目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
2-3

 それから、数日後。家では雅に荷造りをかされ、学校でも一星とのあいかわらず言い合いをする毎日に、うんざりさせられていた風太だったが、案外とすんなりチャンスはやってきた。新学期早々、他学年の生徒がなにか問題を起こしたらしく、緊急職員会議が開かれることになったのだ。風太は、帰りのホームルームが終わると、すぐに一星のところへ向かう。


「おい、一星」

「風太、どうしたん――」

「喜べ、決闘のお知らせだ!」

「……は?」


 一星は不思議そうな顔で風太を見つめたあと、ぽりぽりと頭をき、風太の背後をのぞいた。そこには、太一が隠れるようにして、申し訳なさそうに立っている。


「おい、なんとか言え。決闘を申し込むって言ってんだよ」

「えぇっと……、いつ?」

「今日! 場所は剣道場! いいか、一星。稽古が始まる前に、おれと勝負しろ。おれが勝ったら、お前は兄貴だろうと主将だろうと、今後、一生おれに逆らうことは許さねえ。おれの言うこと、なんでも聞いてもらうぜ!」


 言うことをなんでも聞かせる。その中には、源家と平野家の同居生活のことも、もちろん入っている。風太ひとりで反対してもどうしようもないが、一星も同じ意見だと彼らに伝えれば、多少なりとも、この流れが変わるかもしれない。風太はなんとかこの話を遅らせてもらって、同居は高校を卒業してからにしてもらおうと考えついたのだ。高校を卒業したら、大学の寮にでも入るか、就職して家を出ればいい。いくら雅でも、それまで待ってもらうくらいは聞き入れてくれるだろう。


「ふーん……。じゃあさ、俺が勝ったら、もちろん、俺の言うことなんでも聞いてくれるんだよな? ――たとえば、これから先、一生、俺の召使いとか。靴磨き係とか。飯炊き係とか」

「あぁ、いいぜ。おれは負けねぇ!」


 風太には今日、必勝法があった。ふっと降りてきた、この策は、間違いなく勝利の女神から送られたに違いない、妙案だった。しかし、それを知らない太一は心配そうだ。


「ほんとかよ、風太……。大丈夫なの、そんな約束しちゃって……」

「お前、やり直しとか、もう一回とか、絶対言うなよ」


 一星は、余程の自信があるのだろう。にやりと口角を上げて言う。だが、風太はそれにも動じない。今回は勝てる。風太はそう信じているのだ。


「あったりめーだ!」

「……わかった。そこまで言うなら、受けて立ってやるよ」

「一星も……、本気でやるつもり?」

「あぁ。これで勝って、風太が大人しく俺の言うこと聞いてくれるんなら、俺にとっても都合がいいからな」





 さて、風太は一星と競うように部室へ入ると、着替えて竹刀を持ち、道場へ入る。まだ、開始時間までは三十分以上あるのに、主将と副主将がそろって道場へ入り、素早く防具を付け始めたのを見て、後輩たちは驚き、慌てたように準備に取りかかっていた。彼らに説明をして回ってくれたのは、もちろん、太一だ。この決闘が終わったら、太一にはなにかしらお礼をしたほうがいいかもしれない、と考えながら、風太はすでに試合場に立っている、一星の反対側へ移動する。


「それで……、いつもの試合と同じルールでいいのか?」


 一星にかれて、風太は面の中でにやりと口角を上げる。せっかくの決闘なのだ。いつもと同じ試合ではつまらないし、もっとふさわしい方法があれば、そのほうがいいに決まっている。そして、この決闘で大切なのは、勝利すること。風太が、一星に絶対に勝てる方法でなければならない。


「試合? おれは勝負をしろとは言ったが、試合しようなんて、ひと言も言ってねえ。これからやんのはなぁ、制限時間なしのかかり稽古だ!」


 途端に周囲から、悲鳴が上がった。一星はまゆをしかめている。当然だろう。かかり稽古とは、剣道の稽古の中では一番といってもいいほど、体力を消耗する苦しい稽古だ。練習試合では、負けた側のペナルティとして、使われることもある。


 方法は、ひとりが構えた状態で立ち、もうひとりが制限時間まで延々と技を打ち込み続ける、というもの。一見、聞けばそれだけの話だが、この制限時間が長ければ長いほど、当然、体力的にも精神的にも苦しくなる。その制限時間がない、というのは、稽古でも滅多に行われない。まさに、地獄のメニューだ。


「かかり稽古……? どうやってそんなもんで、勝負するんだよ」

「おれとお前で、延々えんえんあいがかりをやるんだよ。制限時間なしで、な。先にぶっ倒れるか、動けなくなったほうが負けだ。どうだ、今なら棄権きけんも受け付けるぜ」


 これが、風太の必勝法だった。一星には、試合で連日負け続けているし、彼の調子がすこぶるいいのは、風太にだってわかっている。だから、いつものように試合をしたのでは、そう簡単には勝てない。だが、風太に自信があるもので勝負をすれば、勝機はある。そして、ひらめいたのが、このあいがかり勝負だった。


 おれは、体力と根性なら、絶対に誰にも負けねえ自信がある。一星にだって、負ける気はしねえ。この勝負なら、おれはこいつに勝てる……!


 あいがかりというのは、ひとりが相手に対し、休みなく、ひたすらに連続技を打ち込み続ける、かかり稽古という練習法を、互いに、同時に行う稽古のことをいう。いわば、至近距離での連続技の打ち合いだ。剣道のあらゆる稽古法の中でも、これが最も苦しく、激しい稽古ともいえる。普通なら、どんなに鍛錬たんれんを積んだ選手でも、一分も続ければ息が上がってしまうだろう。それを時間無制限で行えば、さすがの一星だって、十五分――いや、十分ほどで、まともに動けなくなるに違いない。


「……なるほどね。体力だけは自信ありますってことか」

「無駄口はいらねえ。やるのか、やらねえのか。どっちだ」

「いいよ、オーケー」


 道場内はざわついているが、一星はいたって冷静だった。制限時間なしのあいがかりと聞けば、多少はうろたえると思ったのに、まるっきり動揺を見せず、憎まれ口を叩く彼は、まったくしゃくさわる。風太はぎゅっと竹刀を握った。


 涼しい顔しやがって……。けど、そうしていられるのも、今のうちだ。


「それじゃあ、はじめよう。――あ、そうだ。太一、悪いんだけど、太鼓叩いてくれるか」

「太鼓……?」

「かかり稽古といえば、太鼓だろ。はじまりの合図に、叩いてくれよ。その方が、雰囲気出るから」

「え……、まぁ、いいけど……」


 雰囲気出すだぁ? あいかわらずカッコつけやがって……。


 一星の、余裕を見せるような提案には、太一もあきれているのか、肩をすくめている。そうして、器具庫から手持ちサイズの太鼓を持ってきた。それはいつも、稽古のときに烏丸が使っているものだ。剣道の稽古の際には、太鼓で合図をしたり、号令をかけるのにそれを使うのが一般的だった。かかり稽古も例外ではない。


 後輩たちは、心配そうに風太と一星を交互に見つめていた。本来、剣道の試合は、四分間の三本勝負だ。一本を取られても、取り返すチャンスがあるし、逆に取り返されても、三本目があって、最終的には二本取ったほうの勝利となる。しかし、この決闘のルールはひとつ。どちらかが倒れるまで、命をけて打ち合う。それだけだ。どちらがより強いか、それを決める真剣勝負には、このあいがかり稽古こそが、ふさわしい。風太はこの勝負に、高校生活のすべてをかけているといっても、過言ではないかもしれない。


 行くぜ……、一星! この決闘は、おれの勝ちだ!






 風太は、試合場の反対側に立つ一星をじっと見つめ、一歩、内側へ入る。すると、息を合わせたように、一星も一歩、内側へ入った。互いに一礼し、大きく三歩、歩み出て、開始線に立つ。そこで構え、そのまま腰を沈め、蹲踞そんきょをする。これは、剣道の試合において、必ず行われる、相手への礼儀を表す儀式のようなものだ。


 本来は、ここで審判によって号令がかかり、試合が始まるわけだが、今日は決闘。男と男の真剣勝負を名目にした、地獄のあいがかり稽古である。風太は、一星と息を合わせるようにして、立ち上がった。ほどなくして、道場にはドウン、と太鼓の音が響き渡る。それを合図に、風太は気合いの声を上げた。


「うりゃああああっ!」

「やぁさあああああっ!」


 風太が気合いの声を上げれば、一星もまた、声を上げる。次の瞬間。風太は一星の脳天めがけて飛び込んだ。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?