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2 源平の戦い

 始業式の翌日。風太はいつもよりも、うんと早起きをして、自宅を出た。いつもなら、自宅が近い太一と待ち合わせて学校へ向かうのだが、今日は彼には断りを入れてある。途中、電車に揺られながら、苛立いらだちを抑え、ひたすらに頭を巡らせた。


 一星のヤロー……。今日はあいつをとことんまで問い詰めねえと、我慢できねえ……!


 昨夜、風太の母、雅と、一星の父、太郎の再婚を打ち明けられ、来週から同居まで強制されている今、風太はその複雑な感情を、一星にぶつけてやらなければ気が済まなかった。なぜなら、彼はおそらく風太よりも前から、彼らの交際を知っていた可能性が高いからだ。


 風太は今朝、布団の中で目覚めた瞬間にひらめき、決意していた。今日、朝一番に部室で一星を待ち、彼を問い詰めることを。そのために、風太はすでに手を打ってある。スマホでメッセージを入れ、彼を呼び出したのだ。


『朝練の前に話がしたい。部室で待ってる。早く来い!』


 連絡先の交換して、最初の連絡をおれからするってのは、どうも腹立つけど、これっばかはしようがねえ……。


 風太は、にやりと笑う。普段、一星は一番最初に部室へ来ると決まっている。部長になってからは、ずっとそうだ。なにか、それが使命であるかのように、どんなに風太が早く部室へ来ても、彼は必ず先に部室に来ている。そうして、暢気のんきに竹刀を直したりしているわけだ。それは、絵に描いたように理想的で、しかし、あまりに出来すぎた、主将の姿だった。さすがの風太も、一星のその姿には負けを認めざるを得なかったが、ライバルである以上は、悔しいのもまた事実だった。太一にはそれを話すたびに「小者」と笑われるが、ライバルに一等賞を取られ続けるのは、それがどんなものであっても悔しい。


 ただし、昨日の帰り道に、風太は思ったのだ。一星が早く来られるのは単純に、彼が学校の近く――徒歩数分の場所に、住んでいるからだ、と。つまり、風太が電車に乗ってからメッセージを入れておけば、おそらく一星は、風太より先には部室に入れない、はずだ。


 藤沢からは、電車でひと駅。時間にすりゃ、十分もないくらいだ。そこから学校までは走れば数分。さすがの一星だって、十五分そこそこじゃ、出てこれるはずがねえ。今日は、おれが一番をいただくぜ!


 メッセージを送ってすぐ、一星からは「了解」というスタンプが返ってきている。だが、その頃、ちょうど風太は電車を降りる頃だった。わざわざ風太のほうから一星を呼び出したのだから、先に着いて、彼を待ち構えていなければならない。そうして、問い詰めるのだ。雅と太郎の交際を知っていたのなら、なぜ、黙っていたのか、と。ところが――。


「あ、風太。おはよう」

「え……?」


 時刻はまだ六時過ぎだ。しかし、部室の一番奥では、一星がすでにやって来ていて、竹刀を組み直していた。


「てめ……っ、なんで先に――」

「なんで? だって、早く来いってメッセージくれたろ」

「いや、そうだけど……。それにしたって早すぎんだろ! おれ、さっき送ったばっかで……」

「あぁ……。俺、いつも六時半にはここに来てるから、言われた通りに早く来たんだけど……」

「ろ、六時半……」

「悪かったな。風太、俺より先に来たかったんだろ」


 さらりと、恥ずかしい本心を突かれて、たまらずにむかっ腹が立って、顔が熱くなる。彼のこういうところが、いつだって風太のカンにさわるのだ。だが、悔しくもその通りなので、言い返せない。


「それで、話ってなに?」


 一星は、冷静に竹刀を組み直しながら、く。なにを話したいかなんて、聞かなくても当然、わかるはずなのに、その口調はひどく冷たかった。風太は咳ばらいをして、すうっと息を吸い込んだ。


「話ってなに、じゃねえだろうがよ! お前っ、うちの母ちゃんと太郎さんが付き合ってんの、知ってたのか!」

「……知るわけないだろ」

「ウソつけっ!」

「噓なんかつくか。言っとくけど、あの人たち、芸能人もビックリの電撃交際中で、スピード結婚しようとしてると思うよ」

「え……? なにそれ」

「父さんが、新しいパートさんの面接があるって言ってたの、先月の二十日だから。たぶん、それが雅さんだったんだと思う。それから、ふたりが付き合うまで、せいぜい一週間あったとしたって、昨日まで数えて、二週間くらいしかないわけだから……」


 風太は、部室の壁にかけられたカレンダーを見て、指を折って数えてみる。たしかに、一星の言う通りだった。雅と太郎はどう数えてみても、まだ交際期間がひと月もない。


「うそだろ……。信じらんねぇ……!」

「それに、俺が知ったの、言っとくけど、昨日の夕方だからな」

「え……」


 それを聞いた途端、風太は目を丸く見開いた。それが本当だとしたら、一星もまた、風太と同じタイミングで知ったということになる。しかし、そうだとしたら、余計に妙だ。


「お、お前……っ、それにしちゃあ、メシ食ってたとき、ずいぶんと冷静だったじゃねーかよ!」

「あぁ、あのときはもう、父さんに説明聞いたあとだったから」

「いや、いやいやいや! そうじゃなくって! だって、おれらが兄弟になるって、そんなのねえだろ、フツウ! 太一とおれならまだわかるけど、おれとお前だぜ? 突然報告されて、これからお食事会ですって言われて、冷静でいられるわけが――」

「お前と俺を一緒にすんなよ。そんなこと言ったって、俺がムキになったところで、どうしようもないだろ。父さんと雅さんは、もう真剣に付き合ってんだから」

「じゃあ、お前は……、この再婚話に賛成なのかよ……」

「べつに。勝手にすればいいんじゃないの。なにも、俺とお前が結婚するわけじゃないんだし」

「な……っ」


 単純に、結婚という言葉に反応して、途端にかあっと頬が火照ほてった。思わず、後ずさりをする。たとえ話だとしても、それだけは絶対にあり得ない。


「……ったりまえだろーが! アホか、おめーは!」

「お前さ……、もう高校三年生にもなったんだから、ちょっとは冷静になれよ。兄弟になるって言ったって、急にふたりで家族ごっこしなきゃいけないわけでもないだろ。父さんは、ちゃんとお前にひとり部屋あげられるように、掃除してたみたいだったし、たぶん、お前が家に来ても、四六時中、俺と顔を合わせなきゃいけないわけでもないと思う。ただ……」

「ただ?」


 言いかけて、突然、口をつぐんだ一星を、風太はじっと見つめる。すると、ほどなくして、一星はとても言いにくそうに口を開いた。


「うちの父さん、元ヤンでさ……。すげえ怖ぇんだ」

「え……?」

「それだけ、気を付けろ。マジで怖ぇから」


 話を聞けば、一星の父、太郎は元ヤン上がりの柔道整復師で、普段はとても優しいが、怒るととてつもなく怖いらしい。それを聞いて、風太は思わず言った。


「そ、それ! うちもだ!」


 あんなにも優しそうで、なにをしても怒らなさそうな男が、まさか元ヤンだとは思わなかったが、そんな父親が豹変ひょうへんするのは容易に想像がつく。なぜなら、雅もまた同じだった。雅は、息子の風太から見ても、年齢の割には若く見えるし、美人だと思う。普段は家でも外でも優しく、美人で、たぶん、誰から見ても、彼女は魅力的な母だ。しかし、それはあくまで、元ヤンスイッチがオフのときの母。怒らせると、途端にスイッチはオンに切り替わり、彼女は元レディース総長に戻ってしまう。その怖さと迫力を超えるものに、いまだ風太は出会ったことがない。


「うちの母ちゃんも、元ヤンだったんだよ。昔の地元で、レディースの総長やってたんだ!」


 それを聞くと、一星は重いため息をいた。それから、納得したように何度か頷く。


「……やっぱり、そうだったんだな。なんか昨日、そんな感じだと思ったんだ」

「そんな感じって?」

「いや、なんか……。顔とか、全然違うけど、雰囲気が、さ。父さんと、なんとなく似てる気がしたから……。まさか、それであのふたり……」


 一星が難しい顔でブツブツとそう言ったのを聞いて、風太は気付いてしまった。きっと、風太が雅におどされたように、一星もまた、父におどされ、昨日の食事会で、風太と雅を迎えてくれたのだ、と。


 そうかあ……。きっと、一星もおれと同じだったんだ……。おれと同じように、あのムキムキの仏みたいな父ちゃんに再婚するって聞かされて、反対しようとしたら豹変ひょうへんされて、メンチ切られて、反対できなかったんだな……!


 風太は脳内で、太郎の豹変ひょうへんしたヤンキー顔を想像する。途端に寒気がした。恐ろしい。あの体格でせまられたら、いくら親子とはいえ、一星だって逆らえないだろう。風太は、一星にはじめて同情した。

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