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「そうね。にぎやかになりそうで楽しみー」

「はは……。いや、ちょっとよくわかんないんだけど、引っ越すって、どういうこと……?」

「太郎さんね、ここで一緒に暮らさないか、って言ってくれてるの」

「え……」

「風太くん。僕はね、早く君や、雅さんと家族になりたいと思ってる。家族として、四人でこの家で暮らしたいと思ってるんだ。どうかな、家族になることを前提ぜんていに、同居をしてみるっていうのは」

「は……」

「ぜひ、前向きに考えてみてほしいんだ。うちは、いつでもウェルカムだから」

「え、いや……。おい、一星――……」


 さすがに急展開が過ぎる。風太は今、動揺と混乱に襲われて、すべてのプライドを忘却し、生まれてはじめて、一星に助けを求めようとしていた。ところが、一星は肩をすくめてみせただけだ。


「な……っ」


 なんだよ、一星……! その反応はよ! お前はべつに気にしないってのかよ! おれは嫌だぞ、お前と兄弟になるのなんか! 絶対に、絶対に嫌だ!


 近いうちに雅と風太がこの家へ引っ越し、源親子と一緒に暮らそうなんて、それはいくらなんでも急すぎる。そもそも、再婚話もさっき聞いて、納得もさせられないまま、この宴に参加させられているというのに、同居しようと誘われて、「あは、いいですね」と言えるはずがない。しかも、一星の様子を見るからに、彼はやはり、以前からこの計画があったことを知っていたようだった。――ということは、一星は承諾している、ということだろうか。


 いやいやいや……、冗談じゃねえぞ……。いくらなんでも、いきなり同居なんかできねえだろ。そもそも、そんなことになったら、おれと一星はひとつ屋根の下で、下手したら、一緒に登校するかもしれないってことじゃねえか……!


「あの、悪いんすけど……!」


 風太は思わず、立ち上がった。意思とは裏腹に、思わず一星とふたりで一緒に登校する情景を思い浮かべ――……激しくかぶりを振る。やはり、無理だ。そんなことができるわけがない。一星は風太にとって天敵。ライバルなのだから。だが、そう伝えようとした、その時だった――。


「父さん、あんまり急いでも、しかたないんじゃないの」

「一星……」

「風太だって、雅さんだって、急に環境を変えるのは、ストレスになるかもしれないよ。新学期だって、始まったばかりなんだし」


 一星……! いいぞ、いけ……!


 一星の言葉に、風太は感動させられ、ぐっと拳を握る。相手が太一なら、熱いハグをしていたところだったかもしれない。風太は今、目の前にいる一星が、とてつもなく神々こうごうしいものに見えていた。ところが、風太の隣にいた雅がすくっと立ち上がる。


「一星くん、太郎さん……。私たちのことなら、大丈夫よ。来週には、引っ越せると思うから」

「雅さん……」

「風太も、きっと私と同じ気持ちだと思う。今は少し動揺もしてるみたいだけど、本当は、今日のことだって、ずいぶん前から楽しみにしてたの。だから、大丈夫。ね、風太」


 雅さん……?


 嘘八百を並べ立てられ、風太は再びかぶりを振る。冗談じゃない。来週から同居するなんて、心の準備も整理も納得も、できたもんじゃない。


「いや、ちょっと! なに勝手に――」

「ね、そうよね? 風太……?」


 雅は、太郎に顔を隠すように背を向けて、がしっと、風太の肩をつかんでいた。その表情の恐ろしいことといったらない。さらにもっと恐ろしいのは、風太の肩をつかむ、この握力だ。とても女性とは思えないほどの握力で、普段、剣道で鍛えているにもかかわらず、この肩は今にも潰されそうだった。もはや風太に選択の余地はない。


「は、はい……」

「本当かい? 風太くん……」


 心配そうに訊ねられ、風太はどうしようもなく頷く。すると、太郎はぱあっと明るい笑顔を見せた。


「いやぁ、よかった! じゃあ、決まりだ。引っ越しで車を使うときは、すぐに連絡をくれれば対応するよ。――あぁ、風太くん、よければ僕と、連絡先の交換をさせてもらえないかな」

「はい……」

「あっ、そうだ、太郎さん。前に言ってたアプリ、今、みんなで入れておかない? そしたら、連絡先の交換も楽だし、みんなで集まるときも、今どこにいるか、すぐわかるでしょ?」

「いいね、そうしよう! さすがは雅さんだ!」

「えっ……」


 思わず声を上げた。おおかた、GPSアプリかなにかの話だろうが、冗談じゃない。なぜ、そんなもので管理されなければいけないのだろう。百歩ゆずって、太郎と家族になるのは堪えられるが、一星と兄弟になるのだけは、無理だ。彼が、お兄ちゃんになるなんて、プライドが許さない。だが――。


「な、なんで……っ、そんなアプリ入れなくちゃなんねーん――……どぅぁッ」

「風太くん……? どうした、大丈夫か?」

「平気、平気。テーブルの足に、小指ぶつけちゃったみたい。やあね、もう、ドジなんだからぁ……、大丈夫?」


 反論した瞬間、テーブルの下で、雅に足の小指をギリギリと踏まれ、風太は声を失っていた。おかげで、こくこく、と頷くしかなくなった。そうして、涙目になりながら、足をさすっているうちに、雅は勝手に風太のケータイに太郎と一星の連絡先と、アプリをさくっと入れてしまう。それにはさすがに、一星も笑みを引きつらせていた。


 結局、その日。風太は意思を貫くことを微塵みじんにも許されず、雅と太郎のために、源家での同居の話を、強制的に受け入れることになってしまった。しかし、これはまるで、拷問だ。風太は今、地獄の入り口に立っているような心地で、絶望に打ちひしがれていた。今朝、夢のような妄想をふくらませていたが、あれは本当にうたかたの夢だったのだ。


 最悪だ……。おれの夢が……。最後の高校ライフがぁぁぁ……!


 ただし。これが果たして、本当に地獄の入り口であるかどうかは、まだ風太にも、誰にも、わからなかった。

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