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 頼む。悪夢なら、覚めてくれ……。頼む……。


「はい、それじゃあ、カンパーイ!」

「かんぱあい……」


 風太は今、絶望の淵で、何度目かの乾杯をしたあと、笑みを引きつらせていた。これは、まったく信じられない事態だ。こんなことがあり得て、許されるのだろうか。母がなんの相談もなしに、再婚を決めているというだけでも、強く文句を言いたくなるというのに、その再婚相手がまさかの天敵の親だなんて。あの源一星と、近い将来、兄弟になるなんて。しかも、彼が兄になるなんて。とんでもない災難だ。


「それにしても、風太と一星くんが、同じ剣道部ってのも、なんか運命感じちゃうよねぇ」

「いや……、たまたまだろ……」

「だって、同じ高校でぇ、同じ剣道部でぇ、今年から同じクラスなんてさ。フツウなかなかないじゃない?」

「ははは……、だね」


 フツウなかなかないのは、天敵の親同士が知らない間にくっついてることだろ、と返したいところだが、大好きなビールで酔っ払った雅に、満面のニコニコ顔で言われて、風太はひとまず笑っておくしかない。ここでまた反対しようものなら、雅の鉄槌てっついがまさにこの場所で下されるに違いないし、それに一応、ここは彼女の想い人の家なのだ。おそらく、雅の本性も過去も、太郎はまだ知らないのだろうから、それをさらしてフラれるのを見るのは、息子としても心が痛む。そして、なにより、彼女の恐ろしさを知る風太としては、そのあとが怖い。


「僕はね、雅さんと出会ったのは、まさに運命のご縁だったと思ってるんだ。忘れもしないよ、あの日を。送られてきた履歴書の写真……。あれを見て、僕はすぐに思ったんだ。あぁ、この人と結婚するんだな、って」

「太郎さんったら、もう……!」


 あぁ、もう……。コメントする気にもならねーわ……。


 仲睦まじいふたりの前で、風太の眉がピクピクと痙攣けいれんしはじめる。どうでもいいが、雅と太郎のめは、どうやら、そういうことらしかった。詳細はまったく興味がないので、あまり深堀りする気はないが、とにかくふたりは職場恋愛で、先に惚れたのは院長である太郎の方だったようだ。


「雅さん、グラス代えますね。次も、ビールでいいですか?」

「あっ、うん。ありがとー、一星くん」

「どういたしまして」


 こいつ余裕ぶっこいてんなー……。メンタル、はがねか?


 一星は、目の前でにこやかな笑顔を見せて、雅にビールを注いだり、料理を取り分けたり、空いた皿を片付けたりしている。このカオスな事態におちいりながらも、ずいぶんと余裕なものだ。もしかしたら、彼は今日、このとんでもない宴の詳細を、多少なりとも知っていたのかもしれない。そうでなければ、こんなに冷静でいられるはずはないのだから。


 ……知ってたんなら、学校でなんか言えっつーの。くそぉ……、これじゃ、おれだけ、意味わかんねーサプライズされてるみたいじゃねーか。


 おそらく、風太が今日、サプライズ的に雅の再婚を知ったのも、今日、突然ここへ連れてこられたのも、すべて雅に仕組まれていたことなのだろうが、それにしても、これはあんまりだ。風太は食欲もないのに、取り分けられた料理を、ロボットのように口に運び続けた。


 それにしても、でっけえ家に住んでんだな……。


 風太はふと、部屋の中を見回す。一星が片親だったというのは知らなかったが、彼は風太とは違い、ずいぶんと裕福な暮らしをしているようだった。この家はどうやら、一星の父、太郎の持ち家のようだが、ふたりで暮らすにしては、ここはあまりに広い。太郎は駅前で接骨院を経営している、と、さっき雅が話していたが、おそらく、それなりに繁盛しているのだろう。 


 でっけえ部屋に、でっけえテレビ……。なんか、天井にも風車みたいのがついて回ってるし、うちとは大違いだなぁ……。


 まるで、映画スクリーンのような大きなテレビが、真っ白な壁にくっついている。リビングのすみにはやけに洒落しゃれた観葉植物が置かれ、庭へ続いているのであろう、大きな窓も、鏡のようにきれいに磨かれている。どこを見ても、ここは、いわゆる裕福な家の典型だった。


 風太の家は、雅と風太のふたり暮らし。築四十年の古く狭いアパートの一室での暮らしは、お世辞にも、恵まれているとはいえないものだった。父は、風太が小学校にあがった頃には、もういなかったから、雅が女手一つでひたすら働き、育ててくれたが、一番多いときで、仕事を三つは掛けもっていたことを、風太は知っている。


 そっか……、そうだよな……。ずっと、ずっと……、母ちゃんはおれのために、馬車馬みてえに働いてきたんだ……。この人と一緒になったら、母ちゃんは、今より、幸せになれる……のかな。


 少なくとも、今よりは生活が楽になるのかもしれない。そう思うと、雅の再婚に反対する権利など、風太にはないような気もしてくる。ただ……。


 いや、でも! なんで、なんで……! なんで、よりにもよって一星の父ちゃんなわけ……!


 もはや、問題はそこだけなのかもしれない。しかし、大きすぎる問題だった。風太にとって、これほど大きな問題はほかにない。高校一年生の春から、ずっと天敵で、ライバルだった源一星と、家族になんてなれっこない。お兄ちゃん、なんて呼べっこない。


 そんなことになったら、おれのプライドは……、灰と化すぜ……。


「でも、思いきって、この会を開いてよかったなぁ。風太くんと一星も仲良くできそうだし。これでもう、いつでも引っ越してきてもらえるね」

「えっ、はい……?」


 とりあえず、悪夢のようなこの宴が一秒でも早く終わるように、必死に願って大人しくしていた風太だったが、太郎の発言には耳を疑った。聞き間違いでなければ、今、彼は「引っ越し」と言わなかっただろうか。

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