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1-2

「あいつ……、ぜってえ許さねえぞ……。今日の試合稽古で、ぼっこぼこにしてやる!」


 ホームルームが終わったあと、風太は太一と並んで廊下を歩きながら、拳をかかげた。だが、窓にぴょんぴょんと跳ねまくった頭が映っているのに気付き、慌てて手ぐしで髪をく。


「今日だけはゆずれねえ。散々、人のバカにしやがって、あの野郎。おれは怒ってんだからな!」

「たしかに、今んとこ、風太が連続で負け越してるからねー。そろそろ、勝ちたいところだよね」

「うるせえな……っ! 今日こそ、絶対に! おれが勝ーつ!」


 新学期の第一日目は、始業式とホームルームのみで、昼には終わる。しかし、学校生活のなかで、部活動を最も大切にしている風太としては、これから一日がはじまるようなものだった。風太は、剣道部に所属していて、これでも一応、副部長を任されている。ちなみに、太一も同じ剣道部。そして、あの一星もまた、同じく剣道部だった。しかも、ちょっと腹が立つことに、一星は昨年の夏、三年生が引退してから、主将を任されている。


「あーあぁ……。それにしても、なんでおれじゃなくて、あいつが部長なんだろうなぁ……。みんなの目は節穴ふしあなかよ?」


 風太は口を尖らせ、今さらどうしようもないことに、ケチをつける。剣道部の部長、副部長は、去年の夏休み前に、チーム全員の投票によって決められていた。風太はこの投票で、主将になることを夢見ていた。理由は単純、明解だ。「主将」というだけで、最高にかっこいいと思ったし、後輩を思いやる心もふところも、自信があった。しかし、現実は厳しく、風太は僅差きんさで一星に負けてしまい、副主将になった、というわけだった。


「絶対、おれのほうが主将っぽいのになぁ」

「……あのねぇ。半年も経って、まーだそんな文句言ってんの。風太のそういうところ、すげえ小者っぽいよ」

「んだとォ……!」

「いい塩梅あんばいじゃんか。オレはけっこうバランスいいと思うけどなー。冷静、沈着な一星が主将で、熱血漢で猪突猛進ちょとつもうしんな風太が副主将なの。なんか、水と火って感じで」

「どこが! 先が思いやられるっつーの。だいたい、水と火じゃあ、相性激ワルだろーが!」

「はは……。それは、たしかにー」


 太一が笑う。だが、笑いごとではない。風太はげんなりして、剣道場へ重い足取りを進めた。


 風太が一星と出会ったのは、この高校へ入学してくるより前のことだ。春休みから、剣道部の稽古に参加していた風太と太一の少しあと、一星は剣道部への入部を希望し、稽古に参加していた。声をかけたのは、顧問の烏丸からすまだったようだ。なんでも、一星は中学時代、東京都内の強豪校に通っていて、エースだったらしい。その情報だけで、無性に悔しさを覚えた風太だったが、しかし、風太と太一だって、中学時代は関東大会にも出場した、強豪校出身だった。しかも、風太は中学時代、部長を務めていたから、間違っても彼に劣等感は持たなかった。むしろ、早く戦ってみたくてソワソワしていたくらいだ。きっと、強豪校でエースと呼ばれていたくらいだから、みんなに慕われるような、立派な選手なのだろう、と、彼に期待もしていた。しかし、一星の第一印象は、控えめに言っても、最悪だった。


 ――はじめまして、だよな。平野風太だ。これから、よろしく。


 そう手を差し伸べた風太の手を、一星は取らずに、無視をしたのだ。剣道は、礼に始まり、礼に終わる、礼儀を重んじるスポーツであり、武道だ。それなのに、あいさつもまともにしないなんて、なんて失礼なヤツだろう、と風太は思った。


 ……あんなの、侮辱ぶじょくされたようなもんだ。スポーツマンシップのかけらもねえ。礼儀もなってねえ。ただ、強ぇだけの、天狗ヤロウだ。


 あのときのことを思い出すと、今でも腹が立ってくる。あれから、チームメイトとしてはなんとかやってきたものの、風太と一星は一年の頃からずっと、犬猿の仲。最近は、平野と源という苗字をからかって、源平の戦い、と言われたりもする。同じチームメイトの太一には、今年こそ仲良くするように、と口酸っぱく言われてはいるが、こればかりはどうしようもない。風太はそもそも、最初に仲良くしようと手を差し伸べている。それを無視して、敵視したのは一星のほうだ。


「あいつがおれを嫌ってんだ。仲良くなんか、できるかよ……」


 そう呟くと、あきれたように太一がため息を吐く。そうして「だとしても、君らがケンカしてると、チームにはマイナスしかないんだけどなー」と、返される。たしかに、彼がチームにいることで、少なからず戦力として助かっていることもまた、事実ではあった。


「くそっ! 強ぇのムカつく……!」

「……小学生か。でもさ、冗談抜きで、オレたちも、ついに今年で最後だからね……」

「まあな……」

「インハイは無理でも、関東くらいは行きたいじゃん。この辺じゃあ、けっこうがんばってるほう、だと思うし」

「なに弱気になってんだよ。インハイも目指せばいいじゃん! そんで、関東はぜってえ行く!」

「あ、そう……。だったらさぁ、ますます主将と副主将が、くだらないケンカしてる場合じゃないってことも、わかるよね?」


 太一はにこやかな笑みを向けながら、風太の手首を強く握る。その威圧感に、風太は笑みを引きつらせた。本当に怒らせたとき、一番怖いのは、群を抜いて太一だ。付き合いの長い風太だからこそ、それを身をもって知っている。風太は無言でこく、と頷いた。






「姿勢を正して……、瞑想めいそうーーーっ!」


 放課後。いつも通りの時間に、一星の号令がかかり、剣道部の稽古は始まった。今日は来る公式戦の予選会に向け、試合稽古を中心にしたメニューになっている。試合稽古とは、実際の試合と同じルールで行う、実戦型の稽古だ。審判をひとり立てて、勝敗もつける。しかも、今日予定されているのは、個人の総当たりリーグ戦。つまり、一星とタイマンで戦うことができる、ということだった。


 腕が鳴るぜ……。今日こそ、今日こそ……、あのスカシ野郎に一発、おれの最強必殺技を打ち込んでやるんだ……!


 準備運動と、基礎稽古が終わり、技の練習をひと通り熟したあと、顧問の烏丸が一星に合図を送る。すると、一星が「構えて! 蹲踞そんきょ! おさめ、とう!」と、号令をかける。いよいよだ。風太は武者震いを覚え、蹲踞そんきょをした。ところが――。





「くそぉ……!」


 風太はその日、部内の個人リーグ総当たり戦で、一星に勝つことができなかった。風太の調子は良好。狙ったのは、得意技の面だ。しかし、風太は試合開始直後、わずか一分で相打ちになり、逆に面で一本を取られてしまった。もちろん、それから必死に取り返そうとしたものの、結局、時間切れになり、負けてしまったのだ。結果、風太は部内二位。一星は一位。その差は、たった一本だった。


「だあー、もうっ! あの一本がおれのだったら、今日はおれが一位だったのに!」

「しょうがないじゃん、ばっくり打たれたんだから」


 隣を歩く太一が笑みを引きつらせる。一星と風太の試合で、審判に立っていたのは太一だった。彼は一番の特等席で、風太が打たれる瞬間を見ていたのだ。


「でもさぁ、あれ、ほぼ相打ちだったろ?」

「あのねぇ、風太……。何年、剣道やってんの? ほぼ、じゃだめなんだよ。ほぼでもなんでも、先に打ってたらそっちが一本なの。あれは一星の面」

「あぁー……! 今日は絶対、取れると思ったのにー!」

「毎度、その自信があるのはすごいねぇ。……ただ、はたから見てると、たしかに一星と風太の実力って、そんなに変わらない気はするんだよね。ここんとこの一星は、なんか……、すごい調子いい感じはするけど」

「だろ? そうなんだよ! 今はアイツが、ちょっと調子がいいってだけなの!」


 風太は、もう何度も一星と戦っているが、彼との実力差はそんなにあるわけではない――はずだ。実際に、技のキレも、スピードも、互角だと感じている。ただし、ここ数ヶ月ほど、風太はあせっていた。最近、互角に感じていた一星の調子がぐんぐん上がっていて、実はもう、ずいぶん前から一本を取れていないのだ。風太だって調子はいいはずなのに、あと一歩が及ばない。おかげで、もう連続で五回、風太は彼に負け越している。


「おれだって、あと、もうちょっと調子を上げれば……、勝てるはずなんだ」


 風太は、太一にそう言いながら、自分にもそれを言い聞かせた。一星に勝てる見込みは、まだある。あきらめなければ、次は勝てるかもしれない、と。だが、太一はため息を漏らした。


「……まあ、そりゃそうかもしれないけど。一星ってさ、戦い方にも安心感があるっていうか、すごく安定してるな……とは、思うよね。あれだけ安定してて、調子もよかったら、そりゃあ無敵だよ」


 それを聞いた途端、風太はしょぼくれる。わかっているのだ。どのスポーツでも、試合になれば、得点を入れて、勝たなければならない。その中で、想定しない状況は必ず訪れるものだし、そのたびに相手に翻弄ほんろうされるようでは、強い選手には勝てない。風太には自覚があった。自分にはやや、ムラがある。だが、一星にはない。一星はいつだって、安定している。


「どうせ、おれは安定してねーよ……」

「風太は、ジェットコースターみたいなタイプだよね。スーパー強いときと、へなちょこなときがある感じ。でも、今日は風太だって強かったのに――」

「太一、もうやめて……。おれ、灰になっちゃいそうだから……」

「んだよ、もうー、情けないなぁ。明日、またリベンジしろって。言っとくけど、オレだって明日は負けねーからな!」


 明るい声で励まされても、風太の悔しさはつのるばかりだ。わかっている。一星は強い。いや、ここ最近、めきめきと強くなっている。その理由はわからない。けれど、大きく差が開いて、置いていかれる前に、風太はなんとかして、一星の強さの秘訣を知りたいと思っていた。

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