私は、私である。今、私の前には、メイドさんがいる。私に仕える方であり、私にしか見えぬ存在である。かくのごとく特殊性をば説いたところ、彼女は口を開いた。
「つまり、こういうわけだ。私はお前の妄想の産物であり、いわゆるイマジナリーフレンド、あるいはイマジナリーコンパニオンと呼ぶべき存在であると」
「はい。貴方は私、真里谷の友人であり、メイドたる『ヴァーミリオン』です。黒髪に朱色の瞳の美少女で、かつてのイマジナリーフレンドである『コンスタンツェ』の後任となります」
「私は二代目か。初代はどこへ行った」
私は少し考えた。わからなかった。素直な回答がよろしかろうと結論づけ、誠実に応接する。
「どこかへ」
「知らないんかい」
「彼女について、もう少し詳しく申し上げますと。二つ名もつけて呼ぶと、『揺蕩う《たゆたう》時のコンスタンツェ』でした。あらゆる作品時空において、当然のようにメアリー・スーとなる存在、という設定です。なので、きっと、別の時空へ旅立ったのだと思います」
「設定が深いような浅いような、なんとも言えない風味だ」
「なので、貴方には"より深い設定"をつけてありますよ、『散華再来ヴァーミリオン』」
少女は、とてもイヤそうな顔をした。
「絶対に最終回までに死ぬ二つ名じゃないかそれ」
「適度に覚えにくいのが良い感じですよね」
「良くないよ。覚えにくいのはもう、それだけでコンテンツとして失敗だろうよ。それに、もう設定の浅さが垣間見える」
「ヴァーミリオンさんは、今後は『バミさん』と呼ばれます。主に私から。もっとも、私にしか見えない、知り得ない、私だけの友人でメイドさんなんですが」
「たったひとりの知覚相手から、そんな業界用語みたいな呼称で示されるのはイヤすぎる」
「バミさんは身長が二メートルの褐色肌。スリーサイズもボン、ボン、ボンと体格が良く、高校時代は書道と茶道をやっていました」
ちなみに、茶道は裏千家であろうと考えている。一方のバミさんは、渋い茶を強引に飲まされたような顔をした。
「長身設定が特に活かされていない無駄ギャップ」
「それ、ダメですよ。多様性の時代に逆行しています。時代は"SARS"です」
「"SDGs"だろ。突然に『重症急性呼吸器症候群』を発生さすな」
「おお、まるで歩く国立感染症研究所」
「ググッたら最初に出てきた」
バミさんは「Google Pixel」の最新型を見せてきた。うらやましい。私は2017年に買った「Xperia」で頑張っているのに。
ともあれ、解釈違いは正さなければならない。私は彼女に反駁する。
「あ、博学メイド設定なんで、最初から知っていた"テイ"でお願いします」
バミさんは、明確に軽蔑の視線を向けてきた。
「このカンニング野郎。賢く見られたいからって、検索エンジンとばかり仲良くなりやがって」
「だって、頭が良い人間として扱われたかったんですもん」
「そういうのを『小賢しい』と言うんだ。嫌われるならまだしも、相手にされなくなる」
私は深い溜め息をついた。効いたからだ。
「正論は心臓に届くんですよ。どんな薬よりも患部によく届く」
「良い薬だろう」
「毒です」
「それを改善に繋げられないのなら、お前の存在自体が毒なんだ」
「バミさん。貴方は私の理想のイマジナリーでフレンドリーなメイドなので、もう少しマイルドにお願いできませんか」
「前任者のコンスタンツェとやらは、どういうメイドだったんだ」
「メイドではありませんでしたね。白いサマードレスが似合う、金髪碧眼の儚げな雰囲気を持った、最強の少女でした」
バミさんは「断捨離」という言葉をワイドショーで聞いた時のような顔をして、ベッドの縁に座る私を横臥させた。
「共感性羞恥をパッシブスキルで発動させるタイプをご用意するな」
「あ、でも、『AIR』の神尾観鈴のようかというと、そういう感じでもなくて」
私は半身を起こしたが、彼女に再び寝かされた。
「その追加詠唱でもって、威力を倍加させようとするのもやめてくれ」
「にはは、否定されてぴんち」
「"41歳中年独身中年童貞男性"がその言葉を使うことは、何らかの構成要件への該当性があって然るべきだと思う」
こんなことで、刑法犯にされてはたまらない。
「繰り返すなら、『中年』ではなく『童貞』のほうにしていただけませんか。中年は悪くない。童貞も悪くないですが」
「いいか、真里谷」
「いいですよ、バミさん」
「きみはもう大人も大人だ。なるほど、生まれつき身体の難病を持ち、発達障害も重度で患っている。それは残念なことだ。だが、人品を養い、知恵をつけ、社会の一員として適切な振る舞いをするべき年齢だ。私が架空の存在だと理解しているだろう。少なくとも、この次元では。現実に向き合わぬあいだにも、時は過ぎる。それも目を背けるほど、駆け足で過ぎていくものだ」
「でもね、バミさん。理論物理学に即して考えるなら、『時間』というものは人間が便宜的に設定したものに過ぎないではありませんか」
「じゃあ、きみは不滅か。それとも、滅ぶと知りつつ、死ぬのが怖くないのか」
「滅びゆく者ですし、死ぬのは怖いです。めっちゃ怖い。童貞のまま死にたくない」
本心である。たとえ、最大級の気色悪さを付与されようとも。
「最後のが実感を伴いすぎてて、気持ち悪さのバフが1,500%くらい掛かってるぞ」
「自分でも、そう思いました」
「たとえ相対性理論や、その他の諸原理が厳密な学問において『時間』を否定したとしても、だ。きみという個性は、個体は、病み衰えて死にゆく。これは間違いない。ならば、逃げるべきではない。立ち向かわなくてはならない。ましてや、その病は、『強直性脊椎炎』にしても『注意欠陥・多動性障害』にしても『自閉スペクトラム症』にしても、平均寿命が短い傾向にある。遊んでいる暇など一寸もない。いや、真に言うならば、遊ぶことにこそ真剣かつ真摯であるべきだ。捨てていい時間なんて、一分一秒たりともないのだから」
「最近、『線維筋痛症』も発症したんですよ」
「"奴隷の鎖"の代わりに、"疾病の鎖"を自慢するようでも、先は無い。ましてや、もはや四肢が動かずとも抗う人もあるなかで、たとえ24時間続く全身の疼痛があるにしても、このように原稿を作れているではないか。私という存在を求めてくれたことには、感謝を示そう。しかし、現実に戻りたまえ。きみがいるべきは、そこなのだ」
私は逃げたくなった。バミさんの豊満な乳房を見た。逃げるものか。欲望が、特に性欲が私の原動力だ。ついでに言えば、主題から逃げるのも私の得意技だ。
「お言葉ですが、ええと、お名前は何でしたっけ」
「ヴァーミリオンで『バミさん』と名付けたのはお前だろうが。だいたい、なんでVとBが変わるんだ」
「日本語では、そこまで発音は厳密ではないし、愛着が湧きそうでしたから。あと、言い訳させてもらうなら、私にとって貴方は真実なのです。だって、それがイマジナリーフレンドですからね」
「それは、うむ、そうだろうが」
「恥ずかしい話、年始以来、自分はようようおかしくなりまして。まァ、カウンセリングに付き合ってください」
「断る」
バミさんは言った。堂々たる腕組みだった。威圧感があった。なんとも頼もしいことだろうか。
「交渉の余地のない即断即決ゥ」
「友情を瞬時に生もうとするな。信頼を一瞬で得ようとするな。私を生み出したのなら、私を生み出しただけの責任を果たせ。これが物語世界だとして、しかも万一にも連載モノだと仮定したうえで、第1回の冠を据えたとしよう。そうして、続きが出ない。登場人物はそこで死ぬんだ。色のない世界で、どこの誰にも永遠に覚えられることのない、生も死も有り得ない虚無なる終焉。お前は、どれだけそういう世界を作ってきた」
「2つ目以降は覚えてませんね」
「もう少し数えられるだろう。せめて3つ目くらいまでは」
「最近ですね、オグリキャップのころから好きだった競馬の知識が、すごい勢いで消えていってまして」
「コメントしづらい話題を持ってきたな」
「寂しいですよねえ。自分を失うようで」
部屋には、オグリキャップやナリタトップロードなど、複数の競走馬のぬいぐるみがある。今はもう、その大半の事績が、私にはわからない。おそらくは心因性の一時的な健忘だが、あるいは脳の異常かもしれない。それは怖いことだが、同時に「心的外傷から逃れるための心因性の健忘」である可能性も高く、どこか楽観視している自分がいる。
「それで、書くのがこれか」
「懐かしき時代の、ライトノベルのあとがきみたいですよね。もっとも、やっていることは作者と想像上の人物のやり取りですから、個人的にはサイエンス・フィクションみを感じているんですけれども」
「『痛い』ことに変わりはない」
「ちなみに、バミさんは身長210センチメートル、体重120キログラム、決め台詞は『誓って殺しはやっていません』です」
「数値が細かくなった。にしたって、決め台詞くらいは、パクリかつネットミームに頼るのをやめようや」
「池袋の道路標識やゴミ箱も武器です」
「せめて別の区あたりにして、かの平和島静雄さんと被るのを避けられなかったのか」
「順天堂医院に通院していたころ、よく参詣していた神田明神にすれば、平将門公の像を振り回してもらえますかね」
「東京に恨みでもあるのか、お前は」
私は考えた。どうせ小説だ。正直に答えても、ぎりぎりフィクションになる。「飼い犬の食費より安い給料」と笑われたあの日から、さらに収入が減っているとしても、フィクションで押し通せるだろう。
「うーん、まァ」
「否定しろよ、そこは」
「人生いろいろですよね。というわけで、今後ともよろしくお願いします」
「これは小説なのか」
「そうですねえ。『私小説』じゃないかと考えとりますけれども」
「ジャンルは『妄想日記』にしておくべきだと思うが」
「誰かの薬になる、"クスリ"と笑える妄想日記にしていきたいですね」
「薬どころか、今のところは誰かの失笑か憤怒かを買う代物になっている」
「バミさんは厳しいなあ」
バミさんの片眉が跳ね上がった。
「強引に、表題につなげようとしているな。私はここまで、徹頭徹尾が常識人の回答をしていた自覚がある。よって、表題を『真里谷くんは狂っている』にすべきであると提案する」
「ダメですよ。私のハンドルネームは真里谷武田氏、ないし上総武田氏から取ったんですから、武田氏全体を敵に回します」
「勝手にハンドルネームに使っている時点で、宿敵認定されていると考えられるが」
「もし、誤解を招く表現がありましたら、謹んでお詫び申し上げます」
「これまた突然に、芸能界や永田町みたいな構文が出てきたな」
私はいよいよ上半身を起こし、バミさんにボディランゲージをつけて訴えることにした。無論、こんなに急いで動いたから激痛があるものの、今こそ訴えるべきものがあった。同時に、それは勢いでごまかす必要がある証左でもあった。
「ダメですよ。"単一性"の時代に逆行しています。時代はUSSRです」
「良い天丼ネタを思いつかなかったなら、やめておけばいいのに」
バミさんは呆れた顔をしていた。私の性癖たる表情だった。
「正論ロボで返されると、私はしょんぼりして布団に潜るしかなくなるじゃありませんか。そして、布団の中にはね、ある存在が潜んでいるんですよ」
「突然のホラー展開が出たな」
「いえ、お気に入りのVTuberさんが潜んでて、優しく癒やしてくれるんです」
「病院へ行け。あと、対象の方に毎日謝れ」
「もう行ってます。応援よりも謝罪が多いってくらいに謝ってもいます」
「薬を増やしてもらえ。失礼もやめろ。心が平静を取り戻してから、ちゃんとした応援に戻れ」
「バミさんは厳しいなあ」
だが、私はバミさんの厳しさに感謝する。彼女がいるおかげで、幻視も幻聴も無くなったからだ。彼女がその統合体ではないかと言われたら、まァ、そうかもしれない。それでも、少なくとも、私の足首を血まみれの手で掴み、恐るべき地獄へ引きずり込もうと試みる亡者ではない。なんとも、ありがたい話ではないか。