「この荷物はここでいいですか?」
「はい、お願いします」
柚希の家では、業者の方が入れ代わり立ち代わりで荷物を大型トラックの中に運んでいた。
後藤から転校という話を聞いた時点では、本当なのか分からなかった。しかし、今目の前で繰り広げられている光景を見て、二度と会えないのかという実感が湧いてきた。
「本当に引っ越すのか」
「そうだね。聞いた話だけど、東京に引っ越すらしいよ」
僕が独り言を口にすると、後ろにいる高橋さんが声を掛けてきた。
「昨日栗原さんから聞いたんだ。既に転入試験は済ませていて、月曜日から向こうの学校へ通うことになるって」
「東京か……」
高橋さんの言葉を聞いて、僕は安堵と不安が押し寄せる。この町に慣れ親しんだ柚希が上手く生活出来るのか、いじめに遭わないか……。
僕と柚希との付き合いが先月の末ごろに終わったとはいえ、まだ僕の心には柚希が住みついている。だけど、今日で全てが終わる。
「じゃあ、これで荷物は全てですね。確かにお預かりします」
「よろしくお願いします」
柚希の両親が引っ越し業者の方にお辞儀をすると、トラックに業者の方々が乗り込む。間もなくしてトラックが動き始めると、柚希と彼女の両親が自家用車に乗り込もうとする。
見送りは要らないと言われたけど、ここで別れの挨拶をしないわけにはいかない。
「柚希!」
僕は柚希の父親の車に近づいて、声を掛けた。
「優汰、見送りは要らないって言ったのに……」
父親の車に乗り込もうとしていた柚希は足を止めると、僕の顔を向いて力なくつぶやいた。
「そういうわけにはいかないんだ。ただ、このままだとやりきれないままだし、別れの挨拶をと思って……」
「ひょっとして、優汰一人なの? だったら猶更……」
「いや、違うんだ」
そう言って、僕は後ろを振り向く。僕の家の前では、さっきまで言葉を交わした高橋さんと栗原さんが心配そうに見守っている。小泉さんはどうなのかというと、ここからでは視認出来ない。
「僕一人じゃないんだ。知っているだろう、僕が……」
「分かっている。全部栗原さんから聞いたわ。優汰、どうして吹奏楽部を……」
「仕方なかったんだ。沼倉と柚希が仲良くしているところを見ながら部活動を続けるのが辛かったんだ。だから、僕は身を引くしかなかった。たとえ先生から反対されようともね」
「それでチア部に入ったの? 男であるアンタが? ウソでしょ?」
柚希は困惑した表情で僕を見つめる。しかし、ここで黙るわけにはいかない。
「部員として入っているわけじゃないんだ。僕はマネージャーとして皆の世話をしているんだ。チア部のみんなと一緒に居て、気付いたんだ。僕は無限の可能性があるんだってことを」
「……私に比べてスポーツが全然出来ないのに?」
「全然ってわけじゃないさ。バスケでも何回かシュートを決めたし、代役として出ることになったバレーでも活躍したんだ」
「ふ~ん……」
柚希は相変わらず冷たい目で僕を見つめる。やっぱり、柚希は僕が変わったことを信じてくれない。
「柚希、もうそろそろ行くぞ」
「あ、はーい。……優汰、そろそろ……」
柚希が車に乗り込もうとしたまさにその時だった。
「ちょっと待った!」
後ろから聞き覚えのする声が聞こえた。
振り返ると、そこには小泉さんがいつも練習で使っているチアのユニフォームとポンポンを手にしていた。先程まで練習のために着ていたとはいえ、汗の臭いは一切感じない。むしろ洗ったばかりのユニフォームといったところだ。
柚希は小泉さんを警戒しているようで、一歩後ろに下がって彼女をじっと眺めていた。
「何よ、アンタは」
柚希は蛇に睨まれた蛙のように怯えた表情で小泉さんを眺めていた。
小泉さんは柚希に睨みを利かせたまま、喧嘩腰ではありながら落ち着いた口調で話しかける。
「昨日のことを忘れたの? ユータの新しい彼女よ。アナタを心から憎いと思うならば引っ越ししようが関係ないけど、このままじゃユータだけでなくアタシの心に大きなしこりを残すわ。だから……」
「だから?」
「この町を去り行くアナタにエールを送ろうと思うの。いいでしょ?」
心なしか、小泉さんの声のトーンが喧嘩腰ではなくなった。後ろ姿しか見えていない僕でも、小泉さんの顔から笑みがこぼれているような感じがした。
「……本気?」
「悪いけど、本気よ。ユータに励まされて、チアリーディングの楽しさに目覚めたんだから」
「……じゃあ、お願い」
そう話すと、小泉さんはスターティングポジションを取って踊る準備を整えた。
「おーい、早く行くぞ」
車の運転席に座っている柚希の父親が声を掛けると、柚希は父親に「ちょっと待って」と答える。
「……ごめん、手短に頼むわ」
「分かったわ。……それでは、これから新しい生活を送る阿部さんにエールを送ります!」
小泉さんは鼻で息を大きく吸い込むと、W字を作るようにしてから右脚を引き上げる。
「Go! Go! Let’s go! Let’s go! Yuzuki! Go! Go! Let’s go! Let’s go! Yuzuki! Yeah!」
それから掛け声に合わせて右脚を大きく蹴り上げ、プリーツスカートをふわりと舞い上がらせる。最後の掛け声でパンチアップの体勢を取ると、小泉さんは肩で息をしながら僕の顔をちらりと見て、また柚希の居る方向を向いた。
「アタシのエールはどうだった? もうちょっと時間があったら本格的なダンスも見せたかったけど……」
「……バッ……」
小泉さんからエールを送られた柚希は、涙目になって体を震わせていた。
「……バカッ、優汰のバカッ! ……どうして、どうしてサヨナラした私に対してここまでするのよ? 私は貴方のことをさんざんバカにしていたのに、どうして、どうして……」
「そ、それは……」
「ううっ……」
その次の瞬間だった。
柚希は涙をこぼしながら僕のもとへ駆け寄った。
いつも柚希が使っているムスクの香りが鼻腔をくすぐり、ワンピースの上からは彼女の体温を肌で感じとった。
「……優汰、今までごめんね……。ごめんね……」
「柚希……」
知らぬ間に柚希は僕の胸の中で泣いていた。信じられないことに、柚希の口からは心からの謝罪の言葉が漏れていた。
「うぐっ……、ひっく……」
柚希の謝罪の言葉はいつしか嗚咽へと変わる。
そこには、僕をバカにしてきた柚希の姿はない。そこに居るのは、か弱い少女だった。友達欲しさに虚勢を張るだけ、ただ弱弱しい少女が。