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第48話 藍那と話してみない?

「ボールをこっちにパスして!」

「絶対に相手チームに渡さないで!」


 体育館シューズと床が擦れあう音とボールが床に叩きつけられる音が双方向から響き渡り、女子生徒たちからの黄色い歓声が混じりあう。辺りは異様な熱気に包まれていて、見る者を圧倒させる。

 今日は昨日と違って選手としての出番がないため、ゆっくりと観戦することが出来る。もちろん、目当ては分かっている。後藤から同じ部活で一年六組の栗原さんと二組の高橋さんが当たるらしく、その試合を目当てにやってきた。

 栗原さんは高橋さんとほぼ変わらない体形をしていて、胸元まである髪を揺らしながらボールを追いかけている。それに対して高橋さんはボールを手にしたら懸命にドリブルをして、ゴール前で待ち構えていた生徒にパスをして得点に繋げた。


「やるじゃない、ナツ! ナイスアシスト!」

「それほどでもないよ。いつも通りやっているだけだよ」

「またまたぁ、謙遜しちゃってぇ」


 高橋さんは体操着の上に赤のビブスを身に着けているクラスメイトと歓談しながらセンターサークルへ向かい、六組の生徒とボールの奪い合いを繰り広げる。普段はチアをやっているところしか見ていなかったけども、ボールとボールの奪い合いに興じている姿を見るとバスケも余裕で出来るのではないか? と思わされるほどだ。


「凄いわよね、ナツにアイナ」


 歓声とアリーナから響く音に混じって、後ろから聞き慣れた声がした。

 振り向くと、そこには体操着姿の小泉さんが立っていた。昨日と違って手にはポンポンを持っておらず、その代わりとしてメガホンを首にかけていた。


「小泉さん、いつからそこに居たんだ?」

「次はマリンたちの出番だからよ。キャットウォークに来たら見慣れた男子生徒が居たからね。ユータかと思って声を掛けてみたんだけど、その通りだったわ」

「参ったな、僕ってそんなに目立つのかな」

「アンタのことは部活で見慣れているから当然よ。それにね……」

「私も居るわ」


 後ろからポニーテール姿の米沢さんが恥ずかしながら手を挙げた。米沢さんはポニーテールにヘアバンドを身に着けていて、試合に臨む準備は万端だ。


「おはよう、米沢さん。ひょっとしてバスケの試合に出るの?」

「そうよ。私、こう見えてもバスケが得意なのよ。夏の合宿でも女子バスケの部員と一緒になってバスケをしていたからね」

「マリンは凄いのよ! 夏の合宿ではダンクを涼しげな顔で決めるんだから!」

「奏音、その話は止してよ! あれは……ついよ、つい……」


 そう話すと、米沢さんは顔を真っ赤にしてうつむく。どうやら図星らしい。


「まさかとは思うけど、バスケの漫画のようなシュートを決めたのか?」

「そうよ。合宿で一緒になった女子バスケの子たちがびっくりしていたわ。どうしてチア部に入ったのよ、って質問攻めにされたんだから!」

「奏音、もういいでしょ」


 米沢さんは顔を真っ赤にして、興奮気味に話す小泉さんを諫めた。


「……ごめん、ちょっと言い過ぎたわね」

「全く、奏音のそういったところは昔から変わらないんだから」


 米沢さんはため息を交えながら呆れかえる表情で小泉さんを一瞥する。すると、キャットウォークの階段から足音が響いてきた。


「米沢さん、そろそろ出番だよ」

「今行くから、待っていて!」


 米沢さんを呼んだ声の主は、彼女と同じクラスの生徒だった。米沢さんは女子生徒にすかさず返答すると踵を返し、「行ってくるね」と僕たちに声を掛けてからキャットウォークを後にした。


「それでは、ただいまから一年一組と一年四組の試合を始めます」


 主審を務める実行委員の生徒がそう告げると、センターサークルに立った女子生徒が睨みあう。審判がボールを投げると、ボールを真っ先に奪ったのは赤いビブスを身に着けた四組の生徒だ。

 米沢さんが同じクラスの生徒からボールを受け取ると、相手の防御の隙をついてゴールポストへとボールを放り込む。しかし、無情にもボールはリングにはじき返され、ビブスを着けていない一組の生徒の手に渡る。


「惜しかったね、今の」


 キャットウォークから一組と四組の試合を眺めながら、小泉さんに話しかける。上級生や他のクラスの生徒たちが応援する声とアリーナから響く音にかき消されながらではあるが、むしろ話しかけるのには都合がいい。


「ホントね」


 小泉さんは力なくそう答える。すると、小泉さんは今が好機と思ったのか、キャットウォークから少し離れたところに立って僕が立っている方向に身体を向けた。


「……ところで、朝のことなんだけど」

「柚希の引っ越しのことか?」

「そうね。六組にはアイナが居るから……」


 そう話していると、キャットウォークに高橋さんと栗原さんがこちらに向かってきた。二人とも暑い中体育館の中を走り回ったせいか、汗の量が半端ない。

 体操服からはスポーツブラが透けて見え、たわわな果実が露わになっている。

 身長は高橋さんが一番高く、その次に高いのは間違いなく栗原さんだろう。見た感じでは、試合に臨んでいる米沢さんとそう変わらない感じがする。


「お疲れさま、お二人とも」

「ありがとう、奏音。見に来てくれて嬉しいよ」

「いえいえ。マリンの試合を見るついでよ」

「奏音ったら、相変わらず謙遜してるんだから。素直になりなさいよ」

「謙遜なんてしていないわよ、アイナ。同じチア部の仲間でしょ、アタシたち」


 女三人寄れば姦しいとは良く言ったもので、集まった瞬間に会話が弾みだす。幼い頃から友達が少なく、中学と高校の吹奏楽部でも友達が少なかった僕にとっては眩しさすら感じる。いや、感じていたとでも言うべきか。

 でも、それも今となっては昔の話だ。今ではチア部のマネージャーとして皆と一緒に汗と涙を流している。ここはねぎらいの言葉を掛けたほうが良いだろう。


「お疲れ様、栗原さんに高橋さん」

「優汰君、そう言ってくれてありがとう。私、頑張ったよ!」

「ありがとう、優汰君。私からもお礼を言うわ。それにね、さっきの試合でナツは優汰君が見てる前でシュート決めたのよ。後少しで私たちが勝ったと思うと悔しいけどね」

「それは言いっこなしだよ、藍那。……そうだ!」


 栗原さんが残念そうな顔を浮かべると、高橋さんが栗原さんの肩を叩く。そこで何かを思いついたらしく、汗の臭いを漂わせながら高橋さんが僕の傍にやってくる。汗の臭いとムスクの香りが鼻腔を刺激し、いつものように思春期男子の悪い部分が目立ちそうになる。


「優汰君、ちょっと耳を貸してくれる?」

「い、良いけど……」


 僕は胸のときめきを抑えきれずに無言でうなずく。


「ありがとう。……この際だから、優汰君がいつも着替えている場所で藍那と話してみない? 優汰君のこと、興味あるみたいだよ」

「えっ……?」


 高橋さんの口から思いがけない言葉が飛び出した。二人きりで話すなんて、一体どういう風の吹き回しだろうか。

 しかし、栗原さんは柚希と同じ六組の生徒だ。だとしたら、柚希のことを何か知っているはずだ。高橋さんとディープキスしたとはいえ、ここは彼女の厚意に甘えよう。


「……いいけど」

「ありがとう、優汰君だったらそう答えると思ったよ。……藍那、優汰君がオーケーだってさ」


 高橋さんはおしゃべりを続けている三人の中に交じると、栗原さんを呼んで僕の目の前に連れてきた。

 ヘアピンで留めた前髪に肋骨のあたりまであるサラサラとした髪をたなびかせると、栗原さんは汗の臭いを漂わせながら僕の左腕を自らの右腕に絡める。


「じゃあ、行こうか」

「えっ、ちょっと栗原さん? どこへ引っ張っていくの?」

「優汰君がいつも着替えているところよ。また後でね、三人とも。真凛の応援、頑張ってね」

「ちょっと、栗原さん……」


 高橋さんたちに声を掛ける間もなく、僕は栗原さんと一緒にキャットウォークを通り抜け、そこからズルズルと引きずられるように体育館を後にした。三人が微妙に笑顔を浮かべていたのは一体どういったことなのか、そのことを疑問に思いながら。

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