学校に到着してから僕は教室に向かわず、直接新体操部の部室へと向かい、一人で着替えた。こういう時はチア部のマネージャーをやっていて良かったなとしみじみ思う。
「優汰君、準備は出来た?」
着替えが終わったタイミングでユニフォーム姿の高橋さんが引き戸を開く。
高橋さんは長くて美しい髪をポニーテールにまとめていた。しかも、根本にはユニフォームの柄に合わせたリボンが備え付けられていた。
メロンのような大きな胸と平均よりも高めの身長、そして可愛らしい顔がアンバランスでありながらも彼女らしさを演出していた。
「こっちは出来たよ」
僕はドキドキする気持ちを抑えながら高橋さんに声をかける。
「高橋さん、そのリボンがとても似合っているね」
「ふふっ、ありがとう。私のお気に入りなんだ」
高橋さんが笑顔を見せると、すぐ後に控えている米沢さんが高橋さんの脇に立つ。
「優汰、私はどうかな?」
米沢さんも高橋さんと同じような髪型をしているが、根本はヘアゴムで止めている一方で前髪をヘッドバンドで押さえていた。青系統の色に白のストライプが入り混じっていて、空の中の一点の雲のように見えた。
ヘッドバンドの有無と目つきの違いこそあれ、高橋さんと米沢さんが双子であるかのような錯覚に陥りそうだ。
「ばっちりだよ。真面目な感じがして、実にいいよ」
「ありがとう。お世辞でも嬉しいわ。……さて、そろそろお姫様の出番かしら」
米沢さんは後ろに控えている小泉さんに声をかける。小泉さんは米沢さんがお姫様と形容する通りで、ふわふわした髪をツインテールにまとめたユニフォーム姿で僕の目の前に現れた。
「……ユータ、アタシのユニフォーム姿はどうかしら?」
ふわふわした髪をツインテールにまとめたユニフォーム姿の小泉さんは僕の目の前で軽く体をひねった。
二人に比べると控えめに感じられるけど、見た目は同じクラスの女子生徒よりも遥かに優れている。とはいえ、いつも見慣れた感じがするのは気のせいだろうか。
「W..., What? ユータ、何をじろじろと見ているのよ」
「ま、まぁ、いつもどおりだな。うん」
「ちょっと! 二人はベタ褒めしているのにアタシはあっさり目? 何か言いなさいよ!」
「ごめん、ごめん。でも、今日はいつにも増して髪がサラサラとしているなぁ、って」
「普段はあまり丁寧に手入れすることはなかったんだけど、今日はきちんと手入れしたわ」
なるほど、だから髪の毛の質が違うというわけだ。
「それより、そろそろ体育館へ向かいましょう。先輩たちを待たせるわけにもいかないから」
「そうね。ユータ、はい、これ」
米沢さんに指摘されて小泉さんがハッと気付いて、僕に二つの段ボール箱を渡す。中には様々なものが入っているらしく、大きさの割にはやや軽く感じる。
「これって、中身は何が入っているんだ?」
「ポンポンと後はタオルよ。別の箱にはチアボードもあるわ。ところでユータ、チアボードって知っている?」
「飾りをつけた板のこと?」
「そうよ。対抗戦の時に見なかった?」
「目の前で掲げられていたから、はっきりと覚えているよ。もしかして、掲げていたのって小泉さん?」
「Of course! 先輩たちから最初の仕事だって言われたから熱心にやったわ。それにね、応援団の先輩たちもアタシのことを褒めてくれたのよ」
小泉さんは胸を張ってそう答えた。胸がちょっとだけ揺れたのは気にしないでおこう。
箱を受け取って部室の戸締りをすると、僕は小泉さんの後を追うようにして歩く。
部室棟から体育館まではあっという間で、朝早い時間ということもあって人っ子一人も居なかった。
荷物を手に持ちながら舞台袖までたどり着いて間もなく、僕は佐藤先輩に聞いてみた。
「荷物はどこに置けばいいんですか?」
「そこに置いてください。本番で私たちが手に取りますから」
僕は佐藤先輩に言われた通りの場所へ荷物を置くと、舞台の様子をうかがっている二年生をよそに雑談をしている小泉さんに声をかけた。
「そう言えば今日は応援団の人たちと一緒だけど、応援団の人たちって厳つい人が多いのかな?」
「以前はそう言ったのも多かったけど、今はそう見えない男子が多いよ。次期応援団長はイケメンで明るい感じの人だよ」
イケメンと聞いて、僕は一瞬だけ後藤から沼倉と高橋さんがベストカップルになるかもという噂を思い出した。その噂を聞いた時点ではもっともらしく感じたものの、今はその高橋さんと一緒の部活に居て、なおかつ彼女として付き合っている。
その次期団長が高橋さんを狙っているのかと思うと、一瞬ではあるものの不安な気持ちが心をよぎった。そんな僕の心配事をよそに、米沢さんが甘い香りを漂わせながら話しかけてくる。
「優汰、一瞬だけビクッとしたでしょ」
「ええ、まあ」
「次期団長はね、ああ見えてグラビアアイドル好きよ。それにしてもおかしな話よね~、グラビアアイドル顔負けの私たちが居るというのに」
「真凛、それは言わないでよ。変なことを想像するから」
「クスッ。ごめんね、優汰君」
「別にいいよ」
僕が笑顔を見せると、二人とも自然と笑顔を見せた。
今までは女の子と話すことに抵抗感を感じていたのに、抵抗感はこれっぽっちもない。むしろ楽しさすら感じる。
僕がSランクの美少女とこっそり会話をしている様子を見たら、全校の男子生徒はどう思うだろうか。羨んだ末に危害を加えようと企むだろう。ただ、今は幸せなままで居たい。心からそう思う。
幸せな気分に浸っていると、誰かが軽く僕の肩を叩く。誰だと思って振り向いてみると、そこにはセミロングとレフトサイドアップの佐藤先輩が僕の後ろに立っていた。
「どうしたんですか、佐藤先輩?」
「お取り込み中で申し訳ないのですが、私と一緒に来てもらえませんか?」
「は、はい! ……小泉さんたち、また後で」
「またね、ユータ」
「行ってらっしゃい、優汰君」
小泉さんに見送られながら佐藤先輩とともにステージの中央部に向かうと、佐藤先輩は焦りの表情を見せていた。
おそらく何かがないということに気が付いたのだろう。
「佐藤先輩、急に呼び出して一体何ですか?」
「突然で申し訳ないですけど、放送部の部室に行ってきてCDラジカセを持ってきてくれませんか?」
「分かりました。……確か放送部の部室って、音楽室の近くでしたっけ」
「そうですね」
音楽室と聞いて、僕はとっさに柚希と沼倉のことを思い出した。
もし僕が柚希と出くわしたら、一体どうなるだろう。吹奏楽部を辞めたことについて叱責されるだろう。いや、そんなことを考えては……。
「優汰君、そんなに心配しなくてもいいですよ。幼なじみとのことは終わったことですから、気にしなくても大丈夫でしょう?」
心配する僕を見て、佐藤先輩が僕に駆け寄って優しい声をかける。
先輩の体から溢れ出すデオドラントの香りが不思議に僕の心を包み込み、安らぎを与えてくれる。
「……そうですね、もう過ぎたことは仕方ないです。考えないようにします」
「そう、それでこそ優汰君です。それじゃあ、お願いしますね」
「行ってきます!」
僕は力強い声を発すると、駆け足で体育館を後にした。
今まで過去を思い出すことが辛かったのに、そんなことは些細なことだと感じるようになった。
これも佐藤先輩や高橋さん、米沢さん、そして小泉さんのお陰なのだろう。
ただ、誰が好きなのかというと自分の中では高橋さんが一番になっている。その次に小泉さんだけど、それ以外の部員も僕に対して好意を抱いている可能性がある。
いや、そんなことばかり気にしていてはいられない。今はやるべきことをやらなければならない。
僕は自分の心の中に生じた何かを振り払うかのように、放送室への道を歩んだ。