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第41話 いざという時に備えておけよ

 あいにくの空模様のまま、球技大会の一日目がやってきた。

 傘を差してバス停まで歩いていると、スポーツバッグと通学用カバンを持ち歩いている小泉さんと一緒になった。


「おはよう、小泉さん」

「おはよう、ユータ。こんな天気で本当にやるのかしら?」

「午後からは晴れるから、やるんじゃない? フットサルはどうなるか知らないけど」

「クスッ、それもそうね。体力バカの千葉にとっては願ってもない機会じゃない」

「全くだよ」


 傘をさしたままでお互い挨拶を交わすと、話題は今日から二日間にわたって繰り広げられる球技大会のことになった。

 千葉のことが話題となった途端、昨日そいつがずっとお腹を抱えていたことが頭の中をよぎった。


「……ただ、教室に入った時顔色悪かったんだよな」

「あら、どうしてわかるの?」

「僕たちが後藤と話をしていたときに千葉が入ってきただろ? いつもはビシッと決めたイケメン面をしているんだけど、昨日は少しだけぐったりしていたんだよ」

「普段からスケベなことを考えているあいつのことだから、学校じゅうの美少女とエッチしているところを想像して一晩中一人で慰めていたんじゃないかしら?」


 小泉さんは卑猥なことを口にして妖しげな笑みを浮かべた。そこで思い出したのは、こないだ千葉のことを話題にした時の小泉さんたちの反応だ。

 千葉は見た目こそイケメンだが本性は後藤並、いや、それ以上に女性に対する下心が透けて見える男だ。それ故、全校の男子生徒たちの憧れの的であるチア部の女子部員たちからは嫌われている。

 昨日の朝は何となく小泉さんが話していた通りにしか見えなかったが、午後に入ると時折身体を屈めるようになった。体育の授業も見学を申し出るほどで、一体何なんだろうと気になった。他人は他人を信条としている自分もそう感じるのだから、なおさらだ。


「確かにありえそうだけど、昨日に限っては午後の体育は調子が悪くて見学していたからな」

「あら、そう?」

「そうだよ。いつもは……」


 あいつは下校時のSHRでは見ているこっちが辛そうな表情をしていた、と口にする瞬間、地下鉄の駅まで向かうバスが到着した。


「まぁ、このことは後で話そう」

「そうね」


 僕らは互いにうなずくと、ほぼ満員のバスに乗り込んだ。

 一体あいつはどうしたのだろうか。普段は僕をからかう余裕のある千葉がつらい表情を浮かべるなんて信じられない。いったい何があったのだろうか。そんなことばかり気にしていると、あっと言う間にバスの乗り換え場所となる地下鉄の駅へとたどり着いた。そこから住宅街へ向かうバスに乗り、学校前で降りる。ここまではいつもの通りだ。

 小泉さんと一緒に教室へ向かうと、僕らを出迎えたのは後藤だった。後藤の机には、何やら高そうなカメラとレンズが置いてあった。何をするんだろうかと気にしていると、後藤から真っ先に声をかけられた。


「おはよう、二人とも」

「Good morning. ゴトー、もしかしてこのカメラでアタシたちのスカートの中を撮影しようと思っているんでしょうね?」

「なっ、朝っぱらから何て言い草だ! 俺のイメージはエロ男で固定されているのか?」

「もちろんよ。いつも言っているけど、見るにしてもレンズ越しだけにしときなさい。アタシたちのスカートがUFOのように舞う様子なんて撮ったら、承知しないからね!」

「そんなことはしねぇよ! お前らのダンスの様子は撮らせてもらうけどな」

「部活動のため? それとも、後で個人的に利用するため?」


 何かを知っているような顔で小泉さんが後藤に詰め寄る。後藤は冷や汗をかきながら小泉さんに返答する。


「そりゃあ、部活動のためさ。学校生活を収めるのは写真部の部員の責務だからな」

「正直なところ、役得だと思っているんでしょ」

「当然だ。お前なぁ、似たようなことを言わせるなよ」

「あら、そうかしら?」

「うぐぐ……」


 小泉さんがからかうと後藤がムキになって反論し、それから小泉さんが手痛い一言を浴びせる。席が一緒になってから、このやり取りをずっと見ているような気がしている。

 呆れた顔をした小泉さんが今日の支度を始めると、後藤が急に僕の席に近づいた。


「なあ、清水」

「何だよ、急に僕に話を振って。どうしたんだ」

「昨日の千葉、おかしくなかったか? ほら、ずっとあいつお腹を抑えていたのは知っているよな」

「もちろん。体育の授業も見学していたからな。それがどうかしたのか?」


 まるで他人事のように応対すると、後藤が突如顔色を変えて僕に話しかけた。


「あいつ、今朝救急車で運ばれたそうだぞ」

「まさか、あいつが? 冗談だろ」

「それが冗談じゃないんだよ。先生からメッセージ入っていたのを見ていないのか?」

「なにっ!?」


 後藤の一言を聞いて大慌てでスマホをワイシャツの胸ポケットから取り出し、メッセージを確認する。


「本当だ。救急車で運ばれて急性虫垂炎で動けない、って書いてあった」

「ああ、間違いないな。ただ、問題は誰が代わりにバレーの試合に出るかだけど、お前は出られるか?」

「僕はさすがにバスケの試合があるから無理だよ。それに、チア部のマネージャーとして……」

「そんなこと言ってる場合か? お前も下手すりゃ出ることになるんだぞ。悠長なこと言っていられる場合じゃないからな。いざという時に備えておけよ」


 後藤はいつになく真剣な表情でそう話す。

 刹那、一種の不安が頭をよぎった。

 もしバレーの試合に出て無様な姿を見せてしまったら、チア部の女の子たちから失望されかねない。そうなったら僕に対する信頼が大きく揺らぐかもしれない。いつもは「I am what I am.」で通しているのに、ネガティブ思考に陥りそうだ。

 このままでは幼なじみにサヨナラされた日と同じ状態になると悟った僕は大きく深呼吸をして、カメラのセッティングをしている後藤に視点を合わせて答えた。無論、笑顔を保ったままで。


「もちろん、そのつもりさ」

「そうだな。それでこそいつもの清水だな」


 後藤はあまり見せない笑顔を見せて自分の席に戻る。

 すると、小泉さんは後藤に視線を合わせて苦笑いを浮かべていた。


「何だよ、小泉。変な顔で俺を見るなよ」

「そんなセリフを吐けるなんて意外ね。いつもは鼻の下を伸ばしてるアンタらしくもないわ。これじゃあ今降っている雨が矢に変わりそうね」

「どういうことだ! 俺を何だと思っているんだよ?」

「何度も言わせないでよ、このエロ男」

「むぐっ……」


 ああ、また始まった。この二人は水と油だな。

 小泉さんと言い争う後藤の姿を横目で見ながら、僕は廊下にあるロッカーへと向かって今日の準備を粛々と進めていった。

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