「さっき『カノちゃん』って言ったけど、久保田さんと小泉さんって、どういう関係なのか教えてくれるかな」
「う~ん……」
久保田さんは腕を組みながら考えてから答える。
「高校に入って初めて知り合った友達……かな。さっきみんなの前でオドオドした通り、本来の私は内気な性格なの。それで自分を変えようと思ってチア部に入ったんだけど、そこで最初に声をかけてくれたのがカノちゃんなの」
「なるほど。小泉さんって、久保田さんには優しかったのかな」
「もちろんだよ。全く自信がない私にアームモーションをはじめ、ラインダンス、ジャンプ、タンブリングを教えてくれたんだよ。スタンツもこれから挑戦するところなんだ。それにね、優汰君のことはカノちゃんを通して聞いているよ」
「ちなみに、なんて言っていたんだ?」
「『幼なじみの添え物でしかない子だ』って話していたよ」
久保田さんの口から出たその言葉を聞いた途端、僕は日本人ならではのアルカイックスマイルを浮かべた。いや、そうでもしなければ正気を保てなかった。
確かに以前の僕は柚希の添え物同然の扱いだった。柚希が中学校、高校と同じ部活に入ったのは柚希の友達作りのためで、僕と仲良くしていたのはそうしないと柚希の母親から不仲を疑われるからだと別れの日に告げた。柚希から告げられた事実はあまりにも残酷で、僕の心に深い傷が刻まれた。
小泉さんが居なかったら、この傷を抱えたまま生涯独身を通していただろう。しかし、奇跡的にそうはならなかった。幼い頃に励ましの声をかけた小泉さんが僕を導いてくれたのだ。
高橋さんたちと会話を楽しんでいる小泉さんを見ると、久保田さんの顔を再び眺めて答える。
「確かに、その通りだったよ。だけど、小泉さんが居たから幼なじみにサヨナラされてからすぐに立ち直れたんだ。それに、今日みたいに久保田さんの補助だってしているから」
「そうだよね。優汰君はやれば出来るし、それに自分の優れているところをあまり明らかにしないもんね。それも良いところだよ」
「そ、そう?」
「そうだよ。人間観察が得意じゃない私でも分かるもん。優汰君って、『能ある鷹は爪を隠す』ということわざの通りだよ。ねえ、どうしてそうなったの?」
久保田さんは純真で可愛らしい顔を向けながら問いかける。久保田さんの顔は、適当なことを言ったら承知しないと訴えているようにも見えた。
「それは……その、劣等感を感じていたからだよ。幼なじみはスポーツが得意だけど、僕は大したことがないから……」
「でも、それって優汰君とその幼なじみを比べたら、ってことだよね? 幼なじみの子ってスポーツは得意だったの?」
「もちろんだよ。陸上の記録会に何度も参加したし、水泳大会でも水泳部の生徒をものともしないスピードで二十五メートルを完泳したからね。他人と比べるのは僕の主義に反するけど、柚希に比べるとスポーツでは大したことがなかったよ。運動能力は平均的か、中の上ギリギリってところかな」
「それでも凄いじゃない。優汰君はダンスのキレが良かったし、皆をリードしていたよ。中の上どころか、それ以上だと思うよ」
久保田さんは目を輝かせながら僕を褒める。
一昨日のバスケの練習でも、昨日のアームモーションとチアダンス、おまけでやったスタンツでも、僕は今まで発揮しきれていなかった実力を発揮していた。特にスタンツは知識無し、経験無しの自分がやるのはあまりにも無謀だった。にもかかわらず一発で成功させたのは、自分自身の運動能力があってこそだ。
「確かに、言われてみればそうだけどね……」
僕は若干謙虚、というか自虐的に久保田さんに返答する。
「そういうところも、だよ。さっき話したじゃない、優汰君の謙虚なところも私にとっては十分魅力的だよ」
「そうかな?」
「そうだよ。優汰君、自信を持っていいんだよ。卑屈にならなくてもいいんだよ? ……さて、そろそろ上級生やスタンツを練習する子たちが再開するから、私たちも練習を再開しよう?」
そう話すと、久保田さんはタオルで汗を拭ってからそれをスポーツバッグの中に入れて、再び立ち上がる。久保田さんの姿は、まるで飛び立つ蝶々のようにも似ていた。
彼女に続くように、僕も軽くうなずいてから立ち上がる。
「さて、もう少し練習するよ! 優汰君が合図するから、みんなは私についてきて!」
久保田さんは集まった一年生に問いかける。久保田さんの表情は先程まで緊張していたのが嘘のように晴れやかで、話しぶりもまるで別人のようだった。
久保田さんが目で合図すると、僕は首にかけたリズムを取るような感じでホイッスルを鳴らす。すると、一年生たちがそれに合わせて身体を動かす。休日を挟んで三日目になると、生徒たちの動きは初日に比べると実になめらかで、洗練されたものになっている。これならば、本番でも各クラスの代表として彼女たちはうまくやってくれるだろう。
練習を続けていると、あっと言う間に時が過ぎる。
「みんな、今日の練習はここまでだよ!」
下校時刻のアナウンスが流れる頃合いになると、今まで練習を見守っていた日野先生が生徒たちに今日の練習の終わりを告げた。生徒たちは汗をタオルで拭いながら更衣室へと向かい、僕は一年生の生徒と一緒になって後片付けをする。
同年代の女子がよく使うデオドラントスプレーの香りを堪能する間もなく、マット類を次から次へと片付けていく。男性である僕が加わったおかげであっと言う間に片付けが終わり、後は更衣室で着替えて自宅へと戻るばかりだ。
「明日は練習の最終日だな」
誰にも聞こえないように独り言をつぶやき、体育館を後にする。日は暮れ、夜の闇が少しずつ迫ってきた。秋の日は釣瓶落としとよく言うけど、まさにその通りだ。練習している時が一番楽しいと思う一方で、終わりが見えてくると寂しさがこみあげてくるのはどうしてなのだろうか……など、いつものように思索にふけりつつ着替えを済ませ、校舎を後にする。校門の前から帰りのバス乗り場へと向かうと、「おーい」という声が聞こえてきた。
誰だろうと思って振り返ってみると、そこにはふわりとした長い髪の毛と猫目の小泉さんが手を振っていた。もちろん、高橋さんも一緒だ。二人の手にはスポーツバッグが抱えられていて、ユニフォームなどを洗濯しなければならないことが伺えた。
「ユータ、お疲れ様」
「お疲れ様、優汰君」
「二人とも、帰り道は一緒?」
「当たり前じゃないの。ユータとアタシは同じ中学校出身じゃない。そんなことも忘れたの?」
「ごめん、すっかり忘れていたよ」
「全く……」
小泉さんがため息をついているうちに帰りのバスが到着し、慌ただしく乗り込む。この時間に下校する生徒はかなりの数で、バスは一瞬のうちに満席となる。三人分座れるスペースを確保すると同時にバスは学校を離れ、最初の経由地である地下鉄の駅へと向かう。
「ユータは吹奏楽部だったわよね。吹奏楽部はどうだった?」
「楽しいといえば楽しいけど、大変だったことのほうが多かったかな。幼なじみのおまけみたいな扱いだったから、なおさらだよ」
「優汰君って、学校はどこだったの?」
「アタシと同じよ。もっとも、アタシは幼稚園だけ私立だったし、九年間はクラスが別だったわ」
「へ~、そんなこともあるんだ」
「そうだよ。僕たちの小学校は五クラスあったから、一緒にならないのも無理はないよ」
僕がそう話すと、小泉さんは腕を組んでうなずく。
「優汰君って、ずっと幼なじみと一緒だったんでしょ? 大変だったことってない?」
「話しきれないほどたくさんあるよ。彼女の母さんは僕たちが仲良くしていなければ気が済まない人でね、一緒に勉強させられてたこともあったな。あいつ、勉強は出来ないのに、出来たら自分の実力だって言い張っていたからね」
「テストの結果が良ければ『当たり前でしょ、私が手伝ってあげたんだから』って言って手柄を全部横取りしていたからね。だけど、アタシはユータが割と上位にいるって知っていたわ」
「でも、幼なじみは勉強が出来ないけどその分スポーツは僕以上だったから、その差が激しいんだよ。僕なんて……」
「何言ってんのよ、昨日アタシをキチンと支えたユータはどこへ行ったの? こういう時こそ『I am what I am.』でしょ」
一瞬だけ落ち込んだ素振りを見せると、小泉さんが僕を励ましてくれる。その証拠に、小泉さんが甘いデオドラントスプレーの香りを携えながら僕の頭を撫でてくれる。慣れないうちは不快だった香りも、今となっては心の清涼剤だ。
ネガティブな気持ちが抑えられると、僕は「うん、そうだね」と小泉さんに話しかけた。
「あ〜っ! 優汰君、私のことを無視している~」
右隣に座っている小泉さんに宥められていると、左隣の高橋さんが拗ねた顔をしていた。垂れ目を少しだけ尖らせている姿と体型の違いが見事にマッチしていて、可愛らしく見えた。
「高橋さん、ひょっとして妬いているの?」
「当然だよ。だって私は優汰君の彼女なんだから」
「ハイハイ、それは分かっているから落ち着いてよ」
「奏音まで……、まあいいけど」
高橋さんは納得していない様子を見せながらも機嫌を直した。そこで僕はふとあることに気がついた。
キスしたとはいえ、高橋さんとまだ恋人らしいことをしていない。球技大会が終わったら、高橋さんと二人きりで中心街に行きたい。その時に、僕のほうから高橋さんにキスをしたい。
小泉さんも好きだけど、高橋さんはそれ以上に好きだ。二人とも大事にしたい。だけど、本当に好きなのはどちらなのだろうか。二人の想いに悩みながら、その日は帰りの道を歩んだ。