「よし、ここからはアタシの動きに合わせて動いてもらうわ」
軽いストレッチ運動が終わると、小泉さんはホイッスルを首にかけ、手には青と白のリボンで出来たポンポンを手にしていた。市販品と学校で使っているユニフォームの違いはあるものの、いつでも応援出来る体制が整っていた。
小泉さんの顔は真剣そのもので、ふざける様子など微塵もない。
思春期男子特有の思考が頭を巡らせていると、小泉さんは深呼吸をしてから腰に手を当てる。ポンポンからは何かが擦れた音が生活音とともに耳に伝わる。
「まずは、アタシが今やっているのは何というポーズでしょう?」
「う~ん……」
頭を抱えていると、軽く前傾姿勢になっていつものいたずら心にあふれた表情を見せる。
「はい、時間切れ。これは『スターティングポジション』と言って、演技を始める前のアームモーションね。まずはそれからやってもらうわ。脚は肩幅くらいに開いて、両手は握りこぶしにしてから腰に当てて」
見様見真似で小泉さんと同じポーズを取る。すると、小泉さんの顔が少しだけ綻んだようにも見えた。
「見事ね。次は『クラスプ』。こないだ丹羽先輩がやっていた通り、胸の前で手を叩く感じでやればいいから」
「え~と、こうか……」
「オッケー。それじゃあ、次は『パンチアップ』。左手を腰に当てて右手を突き上げるやつね」
「左手を腰に当てて、右手を……」
「これも問題ないわね。完璧じゃない。次は『ハイブイ』をやってみて。脚はそのままで、両手をV字にして高く上げて」
「こうか?」
「良いわね。次は『ローブイ』ね。これは『ハイブイ』とは逆に、両手を下げるの。できるかしら?」
「逆だから……こうか」
「そうね。飲み込みがいいわ、ユータ。それじゃあ、両腕を高く伸ばして」
「えーと、こう……か。これは?」
「今やってもらったのは、こないだ丹羽先輩が説明しなかった『タッチダウンモーション』ね。姿勢を変えないモーションはこれくらい……かな。今のところは完璧じゃない、ユータ」
矢継ぎ早に指示を出す小泉さんについていく姿を見て、小泉さんは眩し気な笑顔を見せながら僕を褒めてくれた。僕も心なしか嬉しさに満ち溢れ、つい笑みがこぼれる。
「ありがとう。そう言ってもらえて助かるよ」
「いいのよ。アタシも朝早く起きて教えた甲斐があるわ。それじゃあ、足を前に出して向きを変えてみて。それが『ランジ』よ」
「体育の時間でやっていた『回れ、右』と同じようにすればいいのか」
「そうね。……上手く出来ているじゃない、ユータ。体育の授業では自信なさそうにしているのにね」
「それは余計だろ」
「クスッ、言い過ぎたわね」
小泉さんはポンポンを手にしながら、僕のすぐ隣に並んで話しかける。
身体と髪の毛からは、愛用のシャンプーとボディソープの甘い香りと汗の臭いが漂い、鼻腔を刺激する。無論コスプレ用のユニフォームからも汗の臭いが漂い、その薄い布地からは小泉さんが愛用しているスポーツブラが透けて見えた。もちろん、高橋さんと米沢さんには及ばないにしてもくっきりと見える胸の谷間も。
「でも、アタシは思うの。ユータはいつも『他人は他人、自分は自分』って口にしているくせに、あの性悪な幼なじみに振り回されていた。だから自分に対して自信を失いかけていた。違う?」
小泉さんの言葉が胸に突き刺さった。
確かに、僕は柚希とずっと一緒にいた。しかし、柚希は僕に対して好意なんてものはひとかけらもなかった。あくまで僕はおまけ扱いで、テストでいい結果を出しても一緒に勉強したからと自分の手柄のように扱い、あまりいい結果でなかったら僕のことを責めたてる。
今までの僕は柚希の顔色ばかり窺って、自分自身に対して胸を張ることが出来なかった。
だけど、今は違う。小泉さんは僕のことをすぐ近くで見ていて、僕の知らなかった世界を見せてくれる。そして、僕自身が忘れかけていたことを思い出させてくれた。
「そう……だね。僕は自分に対して自信を失いかけていたんだ。幼なじみの添え物のように扱われていてね。あの時もそうだったんだ」
「あの時って、ひょっとして図書館で幼なじみに問い詰められたこと?」
顔を真っ赤にしながら、僕は無言でうなずいた。
「『ユータは私がいないと何にも出来ないんだから』、『同じ高校に入れたのは誰のおかげだと思っているの?』ってさんざん言われたんだ。しかも図書室で。あの時に三年生の先輩が来なかったら、間違いなく心が折れていたよ」
「確かにね。でも、今はアタシも居るし、ナツにマリンだっているじゃない。それに、マヤ先輩もアンタのことを見ているから、心配ないわよ」
「本当に?」
「ええ。アンタは自分の好きな言葉通りでいなさい。『他人は他人、自分は自分』、そうでしょ?」
小泉さんの言う通りだ。
他人は他人、自分は自分。人生全ての答えは己の中にある。これこそが僕の信念であり、理想の生き方だ。
言いたいことは言わせておけばいい。愛のない言葉を言われたら、適当にあしらってお互いを尊重すればいい。考えをぶつけあって、どちらかが折れる必要なんてない。愛のある言葉はしっかりと受け止め、必要であれば受け入れるべきだ。
柚希のように、自分の地位が不安定で先手を打っているだけの人間なんて、相手にするだけ時間の無駄だ。今の僕に必要なのは、小泉さんのように愛のある言葉をかけてくれる人たちだ。
「そうだね」
僕がそう答えると、小泉さんは笑顔を見せて僕の正面に向き直る。
「そうと決まれば……、もうちょっと練習しない?」
「え、もうちょっとやるの?」
「
「うん」
ベンチに腰掛けてタオルで顔を拭い、スポーツドリンクを口にする。
もう長袖が恋しくなる季節だが、軽く汗を流した後のスポーツドリンクの味は格別だ。マイボトルを持ってきている小泉さんも同じ気持ちで、少し口にすると気持ちよさそうな顔を見せる。
日曜の朝というだけあって、公園前の人通りはまばらだ。僕たちが練習しているなんて、分かるはずもないだろう。
「ねえ、優汰。朝の早い時間帯に身体を動かしたことってある?」
スポーツドリンクの香りを漂わせながら、小泉さんが僕に問いかける。
「小学校の頃はあったかもしれないけど、ここ最近はやったことがないな」
「アタシはあるわよ。昨日だって、朝早くから家で球技大会の練習を軽くやっていたからね」
「体育館に行く前にか?」
「
なるほど、小泉さんは身体を動かすことが好きなのか。そうでなければ、軽音楽部のライブで縦横無尽に動き回り、チアリーディング部の演技披露でも笑顔を振りまけるはずがない。
小泉さんは身を乗り出しながらいつもの表情を見せ、僕に妙案を持ちかける。
「ねぇ、ユータも朝早くから身体を動かしたら? 嫌なことなんて忘れるし、今以上に勉強にも身が入るわよ」
「でも、朝から動いて疲れやしないか?」
「
「そんなものかな」
「そんなもんよ。さて……」
小泉さんはマイボトルの口を閉じてからスポーツバッグに入れると、何かを取り出して僕に見せた。
「次は何をしようかしら。ラインダンスをしてみる? それともスタンツを試してみる?」