「はい、これでテストはおしまいです。みんなお疲れさま。これから大掃除だけど、最後までサボっちゃダメよ」
担任の桜井先生の一言で、教室内から生徒たちの安堵する声が聞こえる。
前期の期末試験は無事終わった。大掃除が終わると、待ちに待った部活動だ。
部活動に積極的に参加している生徒たちにとっては待ちに待った瞬間だが、そうではない生徒たちにとっては憂鬱な日々の始まりだろう。僕はといえば、高橋さんや小泉さんたちと一緒に居られる時間がますます増えるので、嬉しく感じている。以前は柚希のご機嫌取りをしていたけど、そうしなくてもいいのは助かるところだ。
自己採点をした感じでは、試験の結果は前よりも良い結果になりそうだ。
主要科目はいつもよりいい成績を取れそうだし、実技試験がある科目もいい結果に終わりそうだ。特に苦手意識が高かった体育のペーパー試験は中学校時代とほぼ変わらない結果になりそうだ。全ては高橋さんのおかげだ。
教室の大掃除が終わると、部活動がある生徒は部活動へ、部活動がない生徒は自宅へ一直線だ。もちろん、僕と小泉さんは部活動があるので談笑しながら部室棟へ一直線だ。
「ユータ、ホントに頑張ったのね」
「うん。これも一緒に勉強しようと誘ってくれた高橋さんのおかげだよ」
「ナツもだけど、ナツとアンタを引き合わせたのはアタシなんだから、アタシにも感謝していいんじゃないの?」
「うっ、それは……」
「そ・れ・と! こないだアタシがわざわざアンタの家に行って勉強したことも忘れないでもらいたいわね。アタシの膝枕、気持ち良かったでしょ?」
「えっ?」
「どうなのよ?」
小泉さんはそう話しながら、僕の傍に近寄る。すると、汗とボディソープの香りが鼻腔を刺激して、いつの間にか思春期男子の悪いところが盛り上がってしまう。試験期間中、小泉さんの膝の絶妙な柔らかさを何度も思い出したことか。
それでも、やるべきことはやった。何せ、今まで苦手意識を持っていた科目でもいい結果を出せたのだから。特に体育は中学校の期末試験以上の結果を出せたと思う。
「……もちろん、感謝しています」
僕がそう答えると、小泉さんは腕を組みながら納得の表情で何度かうなずいた。
再び部室棟へ向かおうとすると、一号棟の入り口から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「お待たせ」
「奏音、遅くなってごめん」
二人とも肩で呼吸をしながら僕たちに話しかけてきた。腰のあたりまであるライトブラウンの長い髪をたなびかせているのは高橋さんで、同じ長さでダークブラウンの髪をたなびかせているのは米沢さんだ。
小泉さんは腰に手を当てながら、二人を気遣って声をかけた。
「二人とも遅かったじゃないの」
「掃除が長引いちゃってね」
「私もよ」
よく見ると、二人の顔からは汗がにじみ出ていた。もうすぐ彼岸入りとはいえ、まだまだ暑い日々が続いている。そのような中で校舎からここまで走って歩いたら、汗が出るのも無理はないだろう。
高橋さんは練習があるのか気になっているらしく、スマホを手にしている小泉さんに問いかけた。
「それで、今日はどうするのかな?」
「二年生の先輩方から聞いた話だと、日野先生と桜井先生がテストの採点に駆り出されているのよね。それで、コーチは来るのかちょっと気になってね……」
「コーチって、先々週の月曜日に来た美人さんのことか?」
「そうよ。優汰、雑用で忙しい中よく見ていたわね」
「ひょっとしてその美人さんに見とれたんじゃないの、優汰君?」
「どうなのよ?」
「い、いや、そんなことは……」
「慌てて否定するところがますます怪しいわね。鼻の下、伸びているわよ」
「こ、小泉さんまで……!」
三週間前にキスした高橋さんたちが僕の居る方へじわじわと詰め寄るのはともかく、キスをしていない小泉さんまでもが高橋さんたちと同じように詰め寄った。
「優汰君、正直に答えてよ」
目の前の高橋さんの顔は怒りというよりは嫉妬に近かった。このままではまずいと思った僕は、覚悟を決めて真顔で高橋さんたちに答えた。
「もちろん、見とれていたよ」
「やっぱりね」
僕が素直に白状すると高橋さんは呆れた表情を見せ、米沢さんは苦笑いを浮かべ、そして小泉さんは薄目で僕を見つめて高橋さんと同じようにため息をついた。
「まったく、アンタって人は何を考えているのかしら……」
「ごめん、小泉さん。そのつもりはなかったんだけど、つい、ね」
「まぁ、あの人ならば仕方ないよ。私だって見とれるからね」
「ナツ、それ本気で言っているの?」
「本当だよ。それくらいの美人さんだもん」
僕の覚えている限りでは、先々週の月曜日と水曜日に日野先生の手伝いに来た大学生は高橋さん以上の美人だった。引き締まった目元に端正なプロポーション、そして流れるように美しいロングストレートヘアは高橋さんを含む女子生徒には遠く及ばなかった。
しかも、彼女のダンスとバク転は見ていて美しく、選手として入っていない僕でさえも美しいと感じた。
とはいえ、いつまでもこうしておしゃべりをするわけにはいかない。仮に顧問の先生が来なかったとしても、今日から部活動だ。そのことに気づいたのか、高橋さんが僕たちに声をかける。
「ここで油を売っていないで、さっさと部室棟へ向かおうよ」
「そうね。行きましょう、優汰」
米沢さんがそう話すと、三人はそれぞれ長い髪をたなびかせながら部室棟へと足を向ける。僕は三人の後を追うようにして歩く。
「奏音、テストはどうだった?」
「問題ないわ。苦手だった現国と言語文化もユータのおかげで何とかクリアできたから。ね、ユータ」
「う、うん。ところで米沢さんはどうだったの?」
「今回は大丈夫、かな。中間ではまずかった数学と物理も何とかクリアできそうだし、その他の科目も難なく行けそうね。奈津美はどうかしら?」
「全教科そつなく行けそうだね。毎日の予習復習を欠かしたことがないもん」
「継続は力なりってよく言われているけど、その通りね。そうしなければ学校の授業だって、キッズチアだって続けられなかったからね」
「そうね。アタシもよく続いたなぁって思ったわ。ピアノは何度も投げ出しそうになったけど、それでもキッズチアを始めるまでは続けていたからね」
「小泉さんって、ピアノはキッズチアを始めてから続けていたのか?」
「ほんのちょっとだけ、ね。家にキーボードがあるから、今でも時々弾いているわよ」
「リズム感をつかむためとか?」
「そうね……って、そろそろ部室前じゃない?」
試験のことやお互いのことを話しながら歩いていると、時間がたつのもあっという間だ。小泉さんたちとチア部の部室前で「じゃあね」と声をかけられてからかつての新体操部の部室に入ると、不思議にも懐かしさを感じた。
ここはかつて新体操部の部員たちが着替えをしていたことを思うと、一瞬だけ思春期男子の悪い部分が出そうになった。
「……あまり気にしても仕方ないし、着替えるか」
僕は隣から女子が黄色い声を上げながら着替えているのを横目に見ながら、久しぶりに自分専用のロッカーに手を伸ばした。