「タンブリングはチアの見せ場のひとつで、カートウェルと呼ばれる側転が割と簡単で、一番難易度が高いのはバク転だね。バク転は本来ベースとなる様々な技、特に倒立とブリッジを身につけておかないと危険を伴うけど……、佐藤さんと丹羽さん、実際にやってもらえるかな?」
「分かりました。眞耶、行ける?」
「任せてください!」
日野先生の後ろで控えていた上級生二人がマットの上に立つと、佐藤先輩がマットに飛びこみ、それからブリッジをしてからあっという間に起き上がった。無論、丹羽先輩は佐藤先輩の補助に回った。
一瞬だけスカートがめくりあげられて、佐藤先輩が履いているスパッツが顔を覗かせた。途端に僕の中の思春期男子の悪い部分が出るかと思ったけど、あまりのかっこ良さに言葉を失ってしまった。
「二人とも見事だったよ!」
拍手をする日野先生を見て、先ほどまで演技をしていた二人がお辞儀をした。西城先輩たちが待っているところに戻ると、日野先生は説明する体制に入る。
「さて、最後は花形となるスタンツだね。これは小学校の時にやったことがある組体操と同じで、二人以上で行うんだよ。上に上がる人が『トップ』で、小柄で体が柔らかい人向けだよ。ここにいる四人だと佐藤さんがぴったりかな。次に土台となる『ベース』だけど、こちらは筋力があって手首が強い人向けだね。西城さんたちはぴったりだね。最後はトップの人を支える『スポッター』だけど、こちらは状況判断に長けている人向けで、こちらは丹羽さん向けだね」
先生の話を聞きながら、僕は前方に立っている上級生の四人の体つきを見てみた。
まず、セミロングとレフトサイドアップが目立つ佐藤先輩は平均的な身長をしているが、この四人の中ではもっとも小柄だ。
高橋さんと同じ髪形をしている丹羽先輩は、どちらかというと状況判断に長けている感じがしそうだ。春風先輩と涼風先輩は体にメリハリがあり、米沢さんにも似て筋力がありそうだ。
「それじゃあ実際のスタンツに移るけど、まずは簡単な『ダブルベース・サイ・スタンド』というものをやってみようかしら。四人とも、位置について」
日野先生がホイッスルを鳴らすと、佐藤先輩が片足ずつ上がって、それを春風先輩たちがしっかりと支えている。背後に隠れた丹羽先輩は佐藤さんから目を離さないようにしっかりと彼女の背中を見て彼女を支え、佐藤先輩は三人に支えられながら立ち上がった。
そんな三人で佐藤先輩を支えている様子を見て、僕はふと五月に行われた三校対抗戦のことを思い出した。
三校対抗戦では各校の応援団の応援合戦が一番の見物で、エール合戦よりもチアリーダーたちの演技が印象に残った。その中でも、小柄な上級生が一番高いところに上ってエールを送っていたところは僕の目に焼き付いている。隣の席に座っていた柚希は各校のチアリーダーたちの演技を見て、自分には無理だと話していた。
しかし、実際にすぐ近くで目の当たりにすると、決して無理ではないことが改めて感じ取れた。ベースをしている二人の手が少しだけ真っ赤になっていて、トップをしている佐藤先輩の太腿も少し赤みを帯びていたのがその証拠だった。
演技が終わると、四人はまた一列に並ぶ。四人の体からは汗が吹き出ていて、動いた分の汗と緊張の汗が両方とも染み出ていた。
先ほどと同じように、日野先生がまた四人に声をかけて緊張を解きほぐそうとする。
「四人ともお疲れ様。連続で申し訳ないけど、最後に四人でトップを上に飛ばして持ち上げる技をやってもらえないかな?」
「エレベーターからの合わせ技……ですか?」
「そうだよ。対抗戦でもやって見せたでしょ」
「う~ん……西城さんたちはどうかな?」
佐藤先輩は春風先輩たち二人に話しかける。涼風先輩がうなずくと、少し詰め寄って佐藤先輩に話しかける。
「アタシはいいけど、春風はどうなんだ?」
「問題ありません。むしろ、もう一度やりたいな」
春風先輩はサラサラしたロングヘアをたなびかせながらうなずく。涼風先輩はすっかり観念した様子で「まぁ、春風がそう言うなら」と答えた。
「日野先生、アタシたちは問題ないってさ」
「オッケー。それじゃあ、残りの二年生は四人の補助に回ってくれる?」
『はいっ!』
僕たちの先頭にいる二人が立つ音が聞こえ、二年生全員がステージ側に並んだ。
丹羽先輩たちが佐藤先輩をそれぞれ支えると、丹羽先輩が「準備できました」と日野先生に声をかけた。頂上にいる佐藤先輩はしゃがんだまま、片時も動かない。緊張の二文字は彼女の表情からは感じ取れず、むしろ余裕すら感じられる。
全員が固唾を飲むなか、日野先生が号令をかける。
「それじゃあ、行きます。ワン、ツー、ダウン、アップ!」
号令をかけ終えると、ベースを務める涼風先輩たちが佐藤先輩を飛ばす勢いで持ち上げ、佐藤先輩はその勢いで立ち上がって両手を水平に広げる。それから、佐藤先輩は先ほど日野先生が見せたトゥタッチジャンプを披露する。
刹那、佐藤先輩は前傾姿勢を取る。それと同時に涼風先輩たちはドスッ! という音とともに佐藤先輩をこの手に受け止めた。四人の見事なまでの連携に、僕の目は釘付けになっていた。
佐藤先輩は涼風先輩たちに支えられて立ち上がり、一年生たちに笑顔を見せた。すると、少し離れたところで体育座りをしている小泉さんはおろか、隣に座っている久保田さんからも拍手が巻き起こった。
「ほんと、みんなしっかりと練習しているだけあって素晴らしかったよ。一年生もそうだけど、まだまだ伸びる余地はあるからね」
日野先生から褒められると、スタンツを連続でこなした佐藤先輩たちは達成感を感じているような笑みを浮かべていた。きっとここにいる全員が同じ気持ちになっているのだろう。先輩たちが頑張っている姿を見て、これから僕も彼女たちの笑顔を見続けたいと思った。
無論、一番笑顔を見たい人は決まっている。その人とは、幼なじみからサヨナラされたばかりに濃厚な口づけを交わした高橋さんだ。
彼女の笑顔を守るために、そして彼女の笑顔に見合った男となるために、僕は彼女たちに尽くそう、そう思った時だった。
「優汰君」
背後から声をかけたのは、何を隠そう高橋さんだった。
「高橋さん、どうしてここに?」
「さっきの日野先生の話、聞いていなかったの? 今日はこれで解散にしようって」
「えっ? 解散って……」
呆気に取られていると、傍に立っている小泉さんが僕に声をかける。
「何を言ってんの? 今日はこれからアンタの簡単な歓迎会をやるから早く切り上げることになったの。先生の好意でね」
「本当? 場所はどこ?」
「チア部の部室よ」
「みんな優汰の話が気になっているから、今頃準備していると思うよ。ねっ、奈津美」
米沢さんが高橋さんに目配せをすると、高橋さんは顔を赤くしながら「そうね」と呟いた。
米沢さんの一言で、僕は月曜日に小泉さんが話したことを思い出した。
『アンタのことを話したら、みんなユータのことが気になったの。だから、ユータをマネージャーとして招き入れたいってわけ』
そう、僕はチア部のみんなの期待に応えるため、吹奏楽部からここに来た。みんなの期待に応えることが僕のやることならば、それに応じるまでだ。
「じゃあ、行こうか」
僕は高橋さんの手を握って立ち上がる。高橋さんの手の柔らかさと温かさ、そして向けてくる笑顔の明るさは、また僕の心と体を熱くした。
「優汰君は今日の主役だから、きっと盛り上がるよ」
「そうね。それに今日は私と奏音も居るよ」
「後はアタシたち以上に美しい先輩と同級生も……、ねっ」
そして、高橋さんの傍にはロングポニーテールをたなびかせながらスポーティーな笑顔を見せる米沢さんと、相変わらず悪戯心にあふれる笑顔を見せる小泉さんが居る。この二人……いや、高橋さんを含めて三人が居れば、もうすぐ訪れる前期期末試験に恐れをなさずに進めるかもしれない。ここは一人で抱え込むよりも、三人の力を借りてみよう。
夕暮れが次第に迫る中、僕は三人と一緒になって部室棟へと向かった。