小泉さんが紹介したい女の子のことを気にしながら午後の授業を全てこなした頃、僕はさすがにクタクタになっていた。
「清水、俺の代わりに掃除をやってくれないか」
そう、掃除当番の押し付けだ。しかも頼んできたのはサッカー部に居る千葉だ。千葉はいかにもサッカー青年といった感じがするイケメンで、新人戦に向けて必死で頑張っている。まだまだ暑いのに朝練や放課後の練習を欠かしたことはないという努力家だ。
ここは千葉の代わりに掃除をしても構わないが、こちらも小泉さんとの約束がある。二人で協力してやれば早く終わるだろう。
「そりゃあいいけど、千葉も少しは手伝ってくれよ」
「すまないけど、ちょっと無理だ。どうせこれから練習だし、遅れたら先輩たちがうるさいからな」
「練習の準備運動と思えばいいだろ。一人で全部やったら時間がかかるから、な?」
必死になって頼み込むと、千葉は折れたのか掃除用具が入っているロッカーからほうきとちり取りを持ってきた。
「仕方ないな。その代わり、今度ジュースおごってくれよ」
「わかったよ。スポドリでいいか?」
「何でもいいや。そうと決まれば、さっさと済ませようぜ」
千葉からほうきを受け取ると、僕たちは手早い動きで教室内の掃除を始めた。僕たちを見たからなのか、同じクラスの生徒たちも僕たちを手伝ってくれた。
掃除を押し付けることは漫画や小説でよく見かけるけれども、皆で協力すればあっという間に終わる。本来ならばそうあるべきなのに、どうして僕のような目立たない生徒に任せるのだろうか。今度の
掃除を終わらせた後で僕はカバンとマイボトルが入った弁当箱入れを手に取り、小泉さんたちが待っているチア部の部室へと向かった。
「高橋さんたちを待たせているからな、急ごう」
道すがらそうつぶやきながら、部室棟へと足を進める。
チア部の部室の前にたどり着くと、そこには腰に手を当てて少しご立腹の小泉さんが先頭に立っていて、その後ろには困惑気味の顔をしている高橋さんと黒くて腰のあたりまである長い髪をポニーテールに束ねている女子生徒──おそらくこの子が米沢さんなのだろうか──が並んで立っていた。三人とも制服姿のままで、傍から見れば高橋さんと女子生徒が上級生に見えてくるから不思議なものだ。
案の定、小泉さんは語気を鋭くしながら僕に詰め寄ってきた。
「遅い、ユータ!」
「ごめん、掃除やっていたから遅くなったよ」
いつも通りの自信に満ちた顔で怒る小泉さんに対して申し訳ない気持ちを伝えると、小泉さんは腕を組んでからため息交じりで僕の顔を覗いて口を開く。
「アンタのことだから、また千葉に掃除を押し付けられたんでしょ。後でアタシが言ってやるから。もし今度こういう真似したら、先輩たちや応援団に言いつけてサッカー部の応援はしないわよ、ってね」
小泉さんは自信に溢れた笑みを浮かべてそう話す。
チアリーディング部と応援団は僕たちの学校の体育会系の部活、特にサッカー部と硬式野球部を陰で支えている。試合での応援がなければ選手もベストパフォーマンスを発揮することが出来ない。もしそうなれば、千葉にとってはいい薬になるだろう。
「ありがとう、小泉さん。ただ、少しは手伝ってくれたからそれだけは伝えとくよ」
「わかったわ」
僕と小泉さんが話していると、高橋さんがもう一人の女の子を気にしながら小泉さんに声をかける。
「ねえ、奏音。真凛がさっきからしきりに優汰君のことを気にしているから、そろそろ……」
「そうね。マリン、こっちに来て」
小泉さんが目で合図をすると、腰まである黒くて長い髪を結わえてポニーテールをした女の子がこちらに近づいてきた。
身の丈は高橋さんよりはわずかばかり小さいものの、クラスに居る女子生徒と比べれば大きく見える。百六十センチメートル代後半はあるだろう。
小泉さんを思わせるような猫のような瞳と
体つきは高橋さんや小泉さんにも似ていて、出るところは出て、引き締まっているところは引き締まっていた。特に、ブラウスの上から目立つ胸は高橋さんにも引けをとらない。彼女を見ていると、高橋さんを大人っぽくしたらこんな感じになるのだろうかと思わずにはいられなかった。
「はじめまして。あなたが噂の子かしら?」
マリンと呼ばれている女の子が僕に声をかける。彼女は見た目とは違い、可愛らしい声をしていた。高橋さんと日野先生と同じように、見た目と声の違いに驚きを隠せなかった。
「そうです。一年三組の清水優汰です」
頭を下げながら答えると、彼女は笑顔を浮かべた。
「なるほど、いい名前ね。私は一年四組の
一通り話すと、米沢さんは握手を求めてきた。見た目から上級生かと思っていたけど、よく見れば校内靴のラインの色も確かに僕たちと同じ一年生のものだった。
「よろしく」
そのまま米沢さんの手を握る。米沢さんの手の柔らかさと温かさは高橋さんと変わらない反面、彼女の手からは力強さを感じた。
小泉さんは仲良くしている僕たちを感心しながら見ていたが、高橋さんはちょっとだけ申し訳なさそうでありながら少しだけ拗ねた目で僕を見ていた。ひょっとして、妬いているのだろうか。
一通り握手が終わると、小泉さんは左手を腰に当てて、右手を少しだけ前に出してから話し始めた。
「さて、挨拶はそれぐらいにして本題に入ろうかしら。今日はユータのために、着替える場所の準備をしようと思うの」
「まあ、みんなと同じ部屋なわけないか」
「そうだね。男と女が一緒の部室に居たら、それこそ間違いのもとになるじゃない? 現に……」
高橋さんが何か話そうとすると、米沢さんは顔を真っ赤にしながらこれ以上しゃべらないようにと止めに入った。
「奈津美、これ以上は無しでお願い、ね?」
「わかった」
「それで昨日先輩たちと話をしたら、隣の部屋が空いているって話になったの。そこが優汰の着替える場所よ」
米沢さんの反応から何があったのかと疑問に思ったが、何も言わずに小泉さんはチア部の隣の部室に向かって歩き出した。小泉さんが足を止めた部屋の入口には「新体操部」の看板が掲げられていた。
「ここって、新体操部の部室?」
「もちろん。何年か前までは部員も少し居たけど、いまは休部しているの。日野先生に聞いたら使っていいって話になってね」
「でも、本当に男の僕が使っても大丈夫なのか?」
「大丈夫よ。部屋の状態は良いし、隣からアタシたちの声も聞こえるわよ? ただし、早く着替えが終わったからといってのぞき見はしないでね。もししたら……わかっているわよね?」
「いくら年頃の男子とはいえ、さすがにそこまではしないよ」
僕の返答に小泉さんは満足そうにうなずく。小泉さんの周りには高橋さんといい、米沢さんといい、スタイルの良い美女が揃っている。彼女の人脈は一体どうなっているのだろうと不思議がりながらも、僕は新体操部の部室だった場所に足を踏み入れた。