久しぶりの登校。通学路に、以前と変わった様子はない。
私を追い抜いていった男子達は楽しそうにふざけあってるし、前を歩く女子二人は、ハマってる歌い手について夢中でお喋りしている。塀の上ではネコがあくびをし、近所のお婆ちゃんは、通り過ぎる私達を眺めて会釈を送っている。
代わり映えのしない日常、平和を絵にかいたような登校風景。
私――瀬名風花は、やるせなさしか感じない。
どんなショッキングな事件が起きても、一週間も経てば風化してしまうのかと。
現職生徒会長『島流し』の衝撃ニュースは、マスコミ部と新聞部によって全校生徒を駆け巡り、春花はその日のうちに学校を去った。
私が自宅で謹慎している間に生徒会後任人事は決定し、副会長の島が生徒会長、葉山世都可が副会長に就任した。
柚も引き続き広報として生徒会に残っているが、どこかに匿われているらしい。毎日更新される広報動画で元気な姿を確認できるけど、授業には一切出てこないと噂になっている。
私はというと、晴れて一週間の謹慎処分が明けて、こうして学校に向かっているわけだけど……正直、おいてけぼり感が否めない。
全ては春花が『島流し』になった事で丸く収まり、学校は日常を取り戻している。
収拾済みの事件に対して、今更私に何ができる……。誰も、不満に思っていないのに。
密告によって生徒会長になった島と、副会長の世都可に詰め寄ったとしても、門前払いを食らうだけだ。
職権乱用は春花の責任だし、証拠を揃えた内部告発は称賛されるべきで、責められる行為ではない。
なら『島流し』にあった春花を、直接救いに行く。そうは思っても、お父さんは頑として分校の所在を教えてくれない。
瀬名高の暗部に詳しい副委員長、綾小路くんに連絡を取ろうとしても、ずっと音信不通のまま。電話もメールもメッセンジャーも、一切返事してくれない。
せめて春花の居場所が知りたい。その手掛かりさえも掴めない私は、自分の無力に打ちひしがれていた。
『元気出して、風花ちゃん』
内なる六花が、励ましてくれる。わかってる、大丈夫と、心の中で呟いた。
めげてばかりいられない、とにかく情報収集だ。ここは六花の言う通り、元気出してフレンドリーに、情報を集めていかなきゃ。
「号外、ごうがーい!」
校門付近で新聞部が、登校する生徒にチラシを配っている。
手渡された一面を見てみると、デカデカと島の写真。その上に『本日放課後、大講堂にて緊急全校集会を開催』と書かれている。
「おはよう。これって何についての集会なの?」
「あっ、風紀委員長、おはようございます。それが僕らも詳しく聞かされてなくて……たぶん島政権が発足したので、その所信表明じゃないかと」
「そう……ありがと」
号外配りに忙しい部員に短く礼を言うと、私は新聞を読みながら校舎に向かった。
それにしても……島兵十郎。先の生徒会総選挙後、彼があっさり春花の軍門に下ったのは、彼女に心底心酔したからだと思っていた。
でも実際は、春花の弱みにつけこんで瀬名高から追放、後釜として生徒会長に就任した。
見事な下剋上。まさか最初からこれを狙っていたのだろうか。
『風花ちゃん、間違っても全校集会に乗り込んで、島君殴ったりしちゃダメだよ。今度こそ退学になっちゃうよ!』
「分かってるわよ」
周囲に誰もいないのをいい事に、声に出して返事する。もちろんそんな事、するつもりはない。
今の私にできる事。
『――私がいなくなっても、あなたがいれば柚は守れるもの……』
あの日の、春花の言葉と笑顔を思い出す。
今の私に、春花を救う事はできないかもしれない。けれど、託された約束は守る。
せめてこれだけは、守らなきゃいけないと思った。
* * *
「つまり、柚の護衛という事ね」
「そうだ」
会長席に座る島は、当然のように頷いた。
昼休みの生徒会室には三人――私と島、窓際で暇そうに外を見ている世都可がいるだけで、柚はやはりいなかった。
どこにいるのかと訊ねると、広報の動画撮影に出掛けているとの事。
「柚くんは、今となっては瀬名高になくてはならない生徒広報だ。しかし彼女の露出が高まれば高まるほど、編入生からの告白アプローチは過熱してしまう。そのため柚くんには、生徒会室で授業を受けてもらっている」
「でも緊急全校集会ともなれば、話は別なわけね」
「そうだ。彼女が生徒会所属である事を広くアピールするためにも、必ず出席してもらわなければならない。一般生徒にとっては、久しぶりのお披露目となるわけだ」
「だからって、護衛に風紀委員長が張り付くってのは、さすがに過保護が過ぎるんじゃない? どうせ警備部にも協力してもらうんでしょう? いくらなんでも全校集会の真っ最中に、無理矢理ステージに上って告白するバカはいないと思うけど」
「バカげた話だが、それも十分あり得る。特待生の一部は、柚くんが不当に隔離されていると主張していて、今度の全校集会に柚くんが姿を見せようものなら、ステージを乗っ取って告白チャレンジ大会を敢行する気らしい」
「呆れた。瀬名高に不慣れな特待生でも、それは普通の学校でもやっちゃいけない事だって分かるでしょう」
「情報を掴んですぐ、生徒会からも説得を試みたんだが……」
島の言葉を、お手上げポーズを取った世都可が引き継ぐ。
「スポーツ特待生は皆実績があるから、自分達に課せられた格差校則を全然苦に思っていないの。つまり、評価が落ちた時の怖さを知らないってわけ。おまけに全員柚目当てで編入してるわけだから、彼女を匿っている生徒会に相当不満を募らせてる。私達が何を言っても、聞く耳持ってくれなかったわ」
「だからって……」
島は悔しそうな表情を浮かべている。
「特待生は現在三十名。もし一斉にステージに上がってこられたら、警備部だけで対処は不可能だ。もし本当に全校集会を乗っ取られでもしたら……生徒会のメンツは丸潰れ、格差校則自体も、なし崩しに潰されかねない」
「そこまで危機感があるのなら、全校集会なんて開かなければいいんじゃない? 所信表明演説なんて、ネット配信の動画で十分じゃない」
「今回は、どうしても開かなければならない集会なんだ。なるべく多くの生徒に、講堂で聞いてもらいたい意図もある」
集会回避は、最初から選択肢にないわけか。詳細を言わないあたり、理事長が絡んでいるのかもしれない。
だとしたら、余計に失態は見せられない。
『まあいいんじゃない? 春花さんにも、柚ちゃんを守る事は頼まれていたわけだし』
内なる六花が、お気楽な声を上げた。
春花との約束もそうだけど……風紀委員長の立場的にも、全校集会乗っ取りは由々しき事態。どっちみち現場に駆け付けるなら、最初から柚の傍にいた方が良い。
「分かったわ。放課後になったら大講堂に行けばいいのね」
「ああ、よろしく頼む」
話がまとまったところで、私は踵を返し生徒会室を出た。島と世都可も、それ以上私を引き留めるような事はしない。もちろん、春花の事を口にするはずもなく。
体育祭の時に感じていた、ささやかな友情みたいなものは、『島流し』がもたらした亀裂によって、私達の中にはもう残っていないのだろう。
それでも、あの姉妹は違う。春花と柚だけは、私達を友達だと言ってくれた。
友達のために、やれる事をやろう。
今の私にできる事は、それくらいしかないのだから。
* * *
放課後、大講堂には多くの生徒が集まっていた。
私はステージの端で柚と並んで座り、島のどうでもいい演説を、あくびを噛み殺しながら聞いていた。
ここまでのところ、議題はつまらない諸注意ばかりで、緊急で招集しなければならないほどの重要性は皆無だ。島が何をしたいのか、私にはさっぱり分からない。
それに、肝心のスポーツ特待生達も講堂には来ていない。どこかに潜んでいるのかもしれないが、入口も舞台裏も、警備部がバッチリ張り込んでいる。どうやら今回は、取り越し苦労で済みそうだ。
と思っていた矢先、大講堂の全ての扉が、大きな音を立てて一斉に開いた!
見た事がないブレザーの制服と、覆面を被った高校生達が、次々と観客席に雪崩れ込んでくる。それぞれ木刀やバットなど武器を持ち、一般生徒を威嚇しながらステージに向かってくる。
特待生か⁉ と思ったが違う。次々と入ってくる覆面集団は……三十どころか五十……いや、百人近い人数だ!
異変に気付いた警備部がすっ飛んでくるが、多勢に無勢。逆に覆面ゲリラ集団に抑え込まれ、武装解除させられる。
一般生徒はパニックになるものの、入り口扉は全て覆面ゲリラ達に抑えられ、逃げる事ができない。舞台袖を見ると、やはりそこにも警備部を無力化させた覆面姿の男達がいた。
やがて大講堂は完全に鎮圧され、私達は元いた席で大人しく座っている事を求められた。
静まった会場を確認すると、覆面ゲリラ軍団のリーダーらしき女が、講壇に立つ島に近づいていく。
島と相対したブレザー制服の女は、おもむろに覆面を取った。長身に似合う、ふわりとしたショートカットが露になる。
首を振って髪型を整えると、まるで歌劇の男役のように凛々しい笑顔を見せた。
「まだまだ演説は苦手のようね、島君」
「……お待ちしておりました」
柚が私の背後から飛び出すと、長身女に抱きついた。二人はしばらく抱き合って、再会の喜びを分かち合う。
会場の一般生徒も驚きで声を失っていたが、すぐにひそひそと、彼女の名前が伝播していく。それもそのはず。瀬名高生であれば、彼女を知らないはずもない。
でもどうしてあなたが――時瀬春花が! 覆面ゲリラ集団を率いて、全校集会に乱入してくるのよっ!?
島はマイクを取って、ざわめく観客席に向かって声を張った。
「お待たせしました! 本日の緊急全校集会の議題は、前・生徒会長、時瀬春花さんの復権についてです‼」
呆気に取られる生徒達を尻目に、島からマイクを渡された春花が、講壇に上がる。
春花が手で合図を送ると、大講堂を占拠していたゲリラ集団が一斉に覆面を取った。
「元・瀬名高
衝撃の告白に、会場は唖然としてしまう。突然の話で信じられない気持ちだが、講堂に立つ分校の生徒達を見渡すと、その言葉が真実だと分かる。
なぜならそこには、以前『島流し』になってしまった、見知ったクラスメイトがいるのだから!
「私達は無人島を脱出し、本校にやってきた。その目的は瀬名校理事長、瀬名広大氏への直談判! 格差校則緩和政策の一環として、今後一切の非人道的な『島流し』を禁じ、分校から本校へ再転入を希望する生徒に対し、これを実現する
分校の生徒達は拍手を送ると共に、講堂の一般生徒に紙を配り始めた。
「今お配りしているのは『島流し』条項改定と、その救済処置制定を支持する同意書です。賛同してもらえる方は、是非署名をお願いしたい。ネット配信をご覧の瀬名高生にも、同様のフォームをダウンロードできるリンクを、概要欄に表示している。電子署名にサインして、生徒会メールアドレス宛まで送ってほしい。……いいですか! 『島流し』は現職の生徒会長ですらその脅威に晒される、格差校則の中でも特に非人道的な罰則です! いつあなたが、あなたの友達が! その対象になってもおかしくないんです!」
淀みなく演説を続ける春花は、用意周到、
ムカムカしてきた私は思わず立ち上がり、春花の背中に大声を浴びせた。
「春花っ! あなたは『島流し』を止めさせるために、あえて『島流し』にされたって言うのっ!?」
斜め後ろを振り返り、春花はマイクを通さず答える。
「その通りよ。でも、本当の目的はそれじゃない」
「どういう事?」
それには答えず、春花はまた前を向き直って、演説を続けていく。
「署名しようにも、長く瀬名高の暗部として秘密にされてきた『島流し』の実態を、皆さんは知らないと思います。そこで、この場をお借りして! 実際に高校一年の入学式から『島流し』され、分校で無人島生活を送ってきた彼女に、話をしてもらいたいと思います」
春花の後ろに控えていた、覆面をしたままの背の低い女子が近づいていく。
春花からマイクを受け取り登壇すると、観客に向かって一礼してから覆面を取った。
その瞬間、私の口から、悲鳴にも似た驚きの声が漏れる。
背の低い彼女は、聞き馴染みのあるおっとりした声で自己紹介した。
「初めまして。瀬名高分校で生徒会長を務めております、三年生の瀬名六花です」