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4-5 想うがあまり

 あれから一週間。

 絶え間なく巻き起こる男達の熱き戦いによって、風紀委員長の私――瀬名風花の毎日は、嵐の如く過ぎ去っていた。


『風花ちゃん風花ちゃん! 逃げた先でまた追いかけられてるみたい。西階段三階付近!』

「まったく……次から次へと」


 叩きのめした編入生四人組を足蹴にしてから、私は校舎を仰ぎ見る。黄色い声が、風に乗って微かに聞こえる。

 たった今、中庭で四人の男に絡まれていたところを助けたら、逃げた先でもう違う男子に襲われるなんて――私は校舎に入ると、階段を二段飛ばしで駆け上がる――今日だけで、何度目だと思ってんのよ、柚っ!


 この一週間で、あろうことか体育祭で招聘された選手のほぼ全員が、瀬名高に編入してしまった。

 彼らのお目当ては、もちろん柚。

 格差校則もうろ覚えな体力バカ共が、先を越されてなるものかと、瀬名高のアフロディーテに殺到しまくってるのだ。


「風花ちゃん!」


 校舎三階に辿り着くと、廊下の反対側から走ってきた柚が、私の胸に飛び込んできた。

 追いかけていたのは、米国からの留学生オレノバン・ミッチェルと、一緒に編入してきたバスケ部の取り巻き二人だ。驚異的なジャンプ力を誇示するように、サルみたいにぴょんぴょん飛び跳ねながらやってくる。


「ヘーイ、ユーズッ! オレとも再会のハグとチュー、アメリカンな挨拶シテクレヨーッ!」

「ここはニッポンですーっ! ハグは女の子限定、それにチューはしていませんっ‼」

「止まりなさいっ!」


 一喝すると、オレノバンとその取り巻きは、私に訝しげな目を向ける。

 柚を身体の後ろに回すと、正面から三人の不届き者と対峙した。


「久しぶりじゃないか、サヨナラガール。替え玉ちゃんは元気かい?」

「いいから謝りなさい。あなた達が今している事は、柚への迷惑行為よ。風紀委員長として見過ごすわけにはいかないわ」


 取り巻きの一人が、したり顔でしゃしゃり出てくる。


「風紀委員長さんよぉ……俺達はまだ編入したての、格差校則や制限解放の蚊帳の外――超法規的措置オリエンテーション中の特待生だ。校則の番人たる風紀委員会に、俺達を取り締まる法的根拠はないんじゃないのかい!?」


 男は隙を見て、私が手に持つ赤樫棒をひったくろうとする……が、その動きは遅い。

 瞬時に身を捻って躱すと、棒の切っ先を男の喉仏に突き立てて、そのまま横に振りぬいた。

 派手な音立てて、男は壁に叩きつけられる。


「ぐはっ、げほっ! ……風紀委員長が、何の罪もない生徒に暴力を振るったな!」

「女の子に手を出す卑怯者が、よくそんな口が利けるわね。これは風紀委員の正当防衛範疇よ。ちょうどいい機会だわ、他にも瀬名高ルールを、その身にたっぷりと叩きこんであげる」

「くっ……ふざけんな! 大事な勝負で替え玉使うヤツの方が、よっぽど卑怯じゃねーかっ!? 俺達に謝れってんなら、まずは風紀委員長様から謝罪のひとつでもねーと、筋が通らないぜ。この落とし前、どうつけるってんだよ!」

「それは……」


 言葉に詰まる。チクリと、良心と六花が痛む。


「私達は既に、責任を取っている。ここでそれを持ち出してくるのは、お門違いよ」


 背後から響く声。振り返ると、柚に抱きつかれた生徒会長――春花が立っている。

 高身長から見下ろす彼女の視線は……いつもの威厳が、ない?


「おっと、今度は生徒会長様のお出ましか。大人しく、あんたの妹をこっちに渡すんだな」

「……柚には関係ないわ」

「そうはいかねえよ。責任って事で言えば、アレについてもあるわけだしな!」


 アレ?

 春花を見上げると、明らかに表情が曇っている。


「ねぇ春花……アレってなに?」


 春花は応えない。悔しそうに唇を噛むだけだ。


「なんだ。風紀委員長はまだ知らなかったのか?」

「あなた達……まさか隠し撮りとか……破廉恥な事で春花を脅してっ!?」

「おいおい、勘違いするなよ。破廉恥なのは俺達じゃない。そこにいる生徒会長が……瀬名高情報系部活を私物化していた証言データの方が、よっぽど破廉恥だったっつー話よっ!」


 どういう事⁉ 春花は一切反論せず、悔しそうにヤツらを睨みつけたままだ。

 そういえば……噂に聞いた事がある。春花が生徒会長権限を振りかざし、探偵部やスパイ部を意のままに動かしているという……。

 でもそれは、生徒会長に与えられた正当な権利。各部活に支援を要請する事自体、何ら問題はない。秘密調査の多い生徒会だから、私物化の疑惑が生まれたとしても不思議ではないけど、それを決定づける証拠なんてそう簡単に出てくるはずがない。

 なにより――。


「それが本当だとして、どうやって証拠を押さえたっていうのよ!? 編入したばかりのあなた達に、そんなの入手できるはずがない! どうせでっち上げよ」

「生徒会は人数が増えて、一枚岩じゃなくなったって話だ。理事長に、内部告発されちまうくらいにな」


 驚く私の腕を掴み、春花は絞り出すような声で呟いた。


「島君と、世都可が……」

「えっ!?」

「ヘイッ、生徒会長! 早くユズを、こっちに引き渡せっ!」


 事情がよく飲みこめてないオレノバンは、とりあえず柚に手招きして、こちらを煽ってくる。

 どうしていいか分からずにいると、突然春花が、私の赤樫棒を奪い取った。


「柚を……妹を守れないのなら、もう生徒会長なんてやる意味がない!」

「春花……」


 いつでも冷静沈着な春花が、珍しく語尾を荒げている。


「柚は絶対、あんた達なんかに渡さないっ!」


 赤樫棒を振り回し、三人組に飛びこんでいく!


『風花ちゃん、春花さんを止めてっ!』


 内なる六花の声と同時に、私も乱闘の中に飛び込んだ。

 必死に止めようとするも、春花は興奮状態で手が付けられない。そうこうしている内に、三人の男が私にも殴り掛かってくる。なし崩しに、加勢せざるを得ない。

 騒ぎを聞きつけた生徒達に囲まれて、私達は衆人環視の中、編入生相手に大乱闘を繰り広げる。

 なんで……なんでこんなところで、私は人を殴っているの……。

 春花の汚職が本当だったとしても、それは身から出た錆。庇う必要なんてないのに、放っておけない。

 妹を守る春花を放っておくなんて……やっぱり私にはできなかった。


* * *


「やりすぎ、だな」


 私と春花は、理事長室で二人並んで立っていた。目の前には理事長――お父さんが、呆れ顔で座っている。


「君達は瀬名高のトップツー、生徒会長と風紀委員長だ。その二人が生徒相手に乱闘騒ぎ。挙句、怪我を負わせて病院送りにするとは……」

「だからそれはっ! 柚を守るため仕方なく――」

「男女交際の申し込みを阻止するためには、編入したばかりのスポーツ特待生三人に全治三ヵ月の怪我を負わせるしかなかったと、風花は言いたいのか?」

「それは……」

「瀬名高は、喧嘩上等のヤンキー校じゃない。もっと穏便なやり方がいくらでもあったはずだ」


 さすがにスポーツ特待生は一般生徒と違い、喧嘩が強かった。

 それでも、長年鍛錬を積んできた私にとっては格下だ。大きな怪我をさせないようある程度手加減して戦っていたが……頭に血が上った春花に、そんな余裕はなかったようだ。

 三人のスポーツ特待生相手に捕り物劇を演じた結果、リーダー格のオレノバンは全身打撲と骨折で全治三ヵ月、他二人も全治一ヶ月以上と診断された。

 これから夏を迎えるスポーツ選手にとって、この怪我は致命的。痛みが残らず回復したとしても、その後のリハビリ、選手としての調整も含めると、向こう半年間は公式戦に出場できなくなってしまう。


「風花には一週間の自宅謹慎処分を命ずる。いいか、自宅だからな。友達の家に泊る事は許されない。分かったか」

「はい」


 かなり寛大な処置だ。正直、風紀委員長解任くらいは覚悟していたけれど、これはもう恩赦と言っていい。

 これなら春花も……。


「時瀬春花くん。君には今回の騒動となった遠因――情報機関系部活私物化疑惑が浮上している。既に内部密告者から決定的な証拠データも入手しているし、疑惑でお茶を濁すわけにもいかんがな。それに今回の喧嘩も、君から仕掛けにいったそうじゃないか」

「……はい」

「いくら妹を心配した結果とはいえ、人の上に立つ者には高い倫理観が求められる。この二つは、言い逃れできるものでも――」

「理事長、言い逃れできないにしても、私にも釈明の機会を与えてもらえませんか?」

「……いいだろう、言ってみたまえ」


 春花は一歩前に出て、お父さんを真っすぐ見据えた。


「確かに瀬名高において生徒会長は、学校運営の頂点に立つ者で高い倫理観が求められます。ならば、瀬名高にとっての倫理とはなんでしょう? 私は、我が校の理念『元より不平等・格差社会の時世を、五常で切り拓く勇気ある若者を育成する』に集約されると考えます」

「ふむ」

「五常とは仁義礼智信――その最初に来る『仁』を孔子は最高の道徳と説き、『己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ』つまり、自分がしてほしい事を他者にせよ。利己ではなく利他であれと、説いています」


 すらすらと、迷いのない弁舌をふるう春花。先の生徒会選挙でも、演説は春香が最も得意とするところだった。


「孔子の言う『仁』を体現できるほど、私は立派な人間じゃありません。万人を等しく愛するなんて、とてもできない。でも私は、自分の家族や友達を思いやる事はできる。だから妹を――柚の気持ちを慮って、守りたかった」


 春花の気持ちが、私の心に沁み込んでくる。

 妹に対する深い愛……それは、私が六花に感じているものと同じだから。


「そんな私の不完全な『仁』が……それでも利己ではなく利他の気持ちで思いやった『仁』が! そんなにも悪い事だと、理事長はおっしゃるのでしょうか!?」


 それでも、私は知っている。

 父・瀬名広大に、家族を思いやる気持ちなんて届かない事を。


「万人を愛せず近しい人間のみを愛すると、争いはより激化してしまう。過去も未来も、世界中の民族戦争の根幹は選民思想だ。自分の家族や民族を思いやるがあまり、戦争は繰り返し行われてきた」

「では理事長は、万人を愛する事ができると?」

「そうではない、だから私は――」

「人を傷つけていないとは、言わせませんよ」


 黙って睨み合う二人。

 私は口を挟む事もできず、ただ二人を見守る事しかできない。


「禅問答は得意ではないのでな、この話はここで仕舞いだ。言いたい事はそれだけか?」

「はい」

「では時瀬春花くん。君への処分は、生徒会長解任だ。そして、全寮制の分校への転入手続きを取ってもらう。もしこれが受け入れられないのであれば、君は瀬名高を退学しなければならない」


 ハンマーでガツンと、頭を叩き割られた気がした。

 専用分校への強制転校――それは最底辺に落ちぶれた瀬名高生に与えられる、最後の選択。

 格差校則の中で最も重い刑罰――通称、『島流し』


「お父さん! いくらなんでもそれは……私に較べてあまりに重いです!」

「分かりました。分校へ転入します」

「ちょっと、春花っ!?」


 島流しになった生徒は、その後連絡が途絶え卒業後も行方知らずだ。

 この沙汰が下ると、ほとんどの生徒が自主的に退学を選ぶ。それなのに!


「お父さん、春花は今ショックで混乱してるのっ! それにいくらなんでも、現職の生徒会長にこんな厳罰、絶対おかしいわよっ!」

「いいのよ、風花」

「でもっ!」


 混乱しているどころか、春花の目は極めて冷静だ。

 その証拠に、穏やかな視線だけで、私に「鉾を収めろ」と伝えてくる。


「私がいなくなっても、あなたがいれば柚は守れるもの」

「バカな事言わないで!」

「決まりだな」


 お父さんの一言を聞いて、私は悟った。もう私には、どうしようもできない事を。

 こんなの、間違ってる。

 妹を想う春香が、『島流し』にならなきゃいけないなんて、こんなのこの学校が、絶対間違っているっ!


 私は反射的に、両耳のピアスを取った。

 その後の事を、私は一切覚えていない。

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