あれから一週間。
絶え間なく巻き起こる男達の熱き戦いによって、風紀委員長の私――瀬名風花の毎日は、嵐の如く過ぎ去っていた。
『風花ちゃん風花ちゃん! 逃げた先でまた追いかけられてるみたい。西階段三階付近!』
「まったく……次から次へと」
叩きのめした編入生四人組を足蹴にしてから、私は校舎を仰ぎ見る。黄色い声が、風に乗って微かに聞こえる。
たった今、中庭で四人の男に絡まれていたところを助けたら、逃げた先でもう違う男子に襲われるなんて――私は校舎に入ると、階段を二段飛ばしで駆け上がる――今日だけで、何度目だと思ってんのよ、柚っ!
この一週間で、あろうことか体育祭で招聘された選手のほぼ全員が、瀬名高に編入してしまった。
彼らのお目当ては、もちろん柚。
格差校則もうろ覚えな体力バカ共が、先を越されてなるものかと、瀬名高のアフロディーテに殺到しまくってるのだ。
「風花ちゃん!」
校舎三階に辿り着くと、廊下の反対側から走ってきた柚が、私の胸に飛び込んできた。
追いかけていたのは、米国からの留学生オレノバン・ミッチェルと、一緒に編入してきたバスケ部の取り巻き二人だ。驚異的なジャンプ力を誇示するように、サルみたいにぴょんぴょん飛び跳ねながらやってくる。
「ヘーイ、ユーズッ! オレとも再会のハグとチュー、アメリカンな挨拶シテクレヨーッ!」
「ここはニッポンですーっ! ハグは女の子限定、それにチューはしていませんっ‼」
「止まりなさいっ!」
一喝すると、オレノバンとその取り巻きは、私に訝しげな目を向ける。
柚を身体の後ろに回すと、正面から三人の不届き者と対峙した。
「久しぶりじゃないか、サヨナラガール。替え玉ちゃんは元気かい?」
「いいから謝りなさい。あなた達が今している事は、柚への迷惑行為よ。風紀委員長として見過ごすわけにはいかないわ」
取り巻きの一人が、したり顔でしゃしゃり出てくる。
「風紀委員長さんよぉ……俺達はまだ編入したての、格差校則や制限解放の蚊帳の外――
男は隙を見て、私が手に持つ赤樫棒をひったくろうとする……が、その動きは遅い。
瞬時に身を捻って躱すと、棒の切っ先を男の喉仏に突き立てて、そのまま横に振りぬいた。
派手な音立てて、男は壁に叩きつけられる。
「ぐはっ、げほっ! ……風紀委員長が、何の罪もない生徒に暴力を振るったな!」
「女の子に手を出す卑怯者が、よくそんな口が利けるわね。これは風紀委員の正当防衛範疇よ。ちょうどいい機会だわ、他にも瀬名高ルールを、その身にたっぷりと叩きこんであげる」
「くっ……ふざけんな! 大事な勝負で替え玉使うヤツの方が、よっぽど卑怯じゃねーかっ!? 俺達に謝れってんなら、まずは風紀委員長様から謝罪のひとつでもねーと、筋が通らないぜ。この落とし前、どうつけるってんだよ!」
「それは……」
言葉に詰まる。チクリと、良心と六花が痛む。
「私達は既に、責任を取っている。ここでそれを持ち出してくるのは、お門違いよ」
背後から響く声。振り返ると、柚に抱きつかれた生徒会長――春花が立っている。
高身長から見下ろす彼女の視線は……いつもの威厳が、ない?
「おっと、今度は生徒会長様のお出ましか。大人しく、あんたの妹をこっちに渡すんだな」
「……柚には関係ないわ」
「そうはいかねえよ。責任って事で言えば、アレについてもあるわけだしな!」
アレ?
春花を見上げると、明らかに表情が曇っている。
「ねぇ春花……アレってなに?」
春花は応えない。悔しそうに唇を噛むだけだ。
「なんだ。風紀委員長はまだ知らなかったのか?」
「あなた達……まさか隠し撮りとか……破廉恥な事で春花を脅してっ!?」
「おいおい、勘違いするなよ。破廉恥なのは俺達じゃない。そこにいる生徒会長が……瀬名高情報系部活を私物化していた証言データの方が、よっぽど破廉恥だったっつー話よっ!」
どういう事⁉ 春花は一切反論せず、悔しそうにヤツらを睨みつけたままだ。
そういえば……噂に聞いた事がある。春花が生徒会長権限を振りかざし、探偵部やスパイ部を意のままに動かしているという……。
でもそれは、生徒会長に与えられた正当な権利。各部活に支援を要請する事自体、何ら問題はない。秘密調査の多い生徒会だから、私物化の疑惑が生まれたとしても不思議ではないけど、それを決定づける証拠なんてそう簡単に出てくるはずがない。
なにより――。
「それが本当だとして、どうやって証拠を押さえたっていうのよ!? 編入したばかりのあなた達に、そんなの入手できるはずがない! どうせでっち上げよ」
「生徒会は人数が増えて、一枚岩じゃなくなったって話だ。理事長に、内部告発されちまうくらいにな」
驚く私の腕を掴み、春花は絞り出すような声で呟いた。
「島君と、世都可が……」
「えっ!?」
「ヘイッ、生徒会長! 早くユズを、こっちに引き渡せっ!」
事情がよく飲みこめてないオレノバンは、とりあえず柚に手招きして、こちらを煽ってくる。
どうしていいか分からずにいると、突然春花が、私の赤樫棒を奪い取った。
「柚を……妹を守れないのなら、もう生徒会長なんてやる意味がない!」
「春花……」
いつでも冷静沈着な春花が、珍しく語尾を荒げている。
「柚は絶対、あんた達なんかに渡さないっ!」
赤樫棒を振り回し、三人組に飛びこんでいく!
『風花ちゃん、春花さんを止めてっ!』
内なる六花の声と同時に、私も乱闘の中に飛び込んだ。
必死に止めようとするも、春花は興奮状態で手が付けられない。そうこうしている内に、三人の男が私にも殴り掛かってくる。なし崩しに、加勢せざるを得ない。
騒ぎを聞きつけた生徒達に囲まれて、私達は衆人環視の中、編入生相手に大乱闘を繰り広げる。
なんで……なんでこんなところで、私は人を殴っているの……。
春花の汚職が本当だったとしても、それは身から出た錆。庇う必要なんてないのに、放っておけない。
妹を守る春花を放っておくなんて……やっぱり私にはできなかった。
* * *
「やりすぎ、だな」
私と春花は、理事長室で二人並んで立っていた。目の前には理事長――お父さんが、呆れ顔で座っている。
「君達は瀬名高のトップツー、生徒会長と風紀委員長だ。その二人が生徒相手に乱闘騒ぎ。挙句、怪我を負わせて病院送りにするとは……」
「だからそれはっ! 柚を守るため仕方なく――」
「男女交際の申し込みを阻止するためには、編入したばかりのスポーツ特待生三人に全治三ヵ月の怪我を負わせるしかなかったと、風花は言いたいのか?」
「それは……」
「瀬名高は、喧嘩上等のヤンキー校じゃない。もっと穏便なやり方がいくらでもあったはずだ」
さすがにスポーツ特待生は一般生徒と違い、喧嘩が強かった。
それでも、長年鍛錬を積んできた私にとっては格下だ。大きな怪我をさせないようある程度手加減して戦っていたが……頭に血が上った春花に、そんな余裕はなかったようだ。
三人のスポーツ特待生相手に捕り物劇を演じた結果、リーダー格のオレノバンは全身打撲と骨折で全治三ヵ月、他二人も全治一ヶ月以上と診断された。
これから夏を迎えるスポーツ選手にとって、この怪我は致命的。痛みが残らず回復したとしても、その後のリハビリ、選手としての調整も含めると、向こう半年間は公式戦に出場できなくなってしまう。
「風花には一週間の自宅謹慎処分を命ずる。いいか、自宅だからな。友達の家に泊る事は許されない。分かったか」
「はい」
かなり寛大な処置だ。正直、風紀委員長解任くらいは覚悟していたけれど、これはもう恩赦と言っていい。
これなら春花も……。
「時瀬春花くん。君には今回の騒動となった遠因――情報機関系部活私物化疑惑が浮上している。既に内部密告者から決定的な証拠データも入手しているし、疑惑でお茶を濁すわけにもいかんがな。それに今回の喧嘩も、君から仕掛けにいったそうじゃないか」
「……はい」
「いくら妹を心配した結果とはいえ、人の上に立つ者には高い倫理観が求められる。この二つは、言い逃れできるものでも――」
「理事長、言い逃れできないにしても、私にも釈明の機会を与えてもらえませんか?」
「……いいだろう、言ってみたまえ」
春花は一歩前に出て、お父さんを真っすぐ見据えた。
「確かに瀬名高において生徒会長は、学校運営の頂点に立つ者で高い倫理観が求められます。ならば、瀬名高にとっての倫理とはなんでしょう? 私は、我が校の理念『元より不平等・格差社会の時世を、五常で切り拓く勇気ある若者を育成する』に集約されると考えます」
「ふむ」
「五常とは仁義礼智信――その最初に来る『仁』を孔子は最高の道徳と説き、『己れの欲せざるところ、これを人に施すなかれ』つまり、自分がしてほしい事を他者にせよ。利己ではなく利他であれと、説いています」
すらすらと、迷いのない弁舌をふるう春花。先の生徒会選挙でも、演説は春香が最も得意とするところだった。
「孔子の言う『仁』を体現できるほど、私は立派な人間じゃありません。万人を等しく愛するなんて、とてもできない。でも私は、自分の家族や友達を思いやる事はできる。だから妹を――柚の気持ちを慮って、守りたかった」
春花の気持ちが、私の心に沁み込んでくる。
妹に対する深い愛……それは、私が六花に感じているものと同じだから。
「そんな私の不完全な『仁』が……それでも利己ではなく利他の気持ちで思いやった『仁』が! そんなにも悪い事だと、理事長はおっしゃるのでしょうか!?」
それでも、私は知っている。
父・瀬名広大に、家族を思いやる気持ちなんて届かない事を。
「万人を愛せず近しい人間のみを愛すると、争いはより激化してしまう。過去も未来も、世界中の民族戦争の根幹は選民思想だ。自分の家族や民族を思いやるがあまり、戦争は繰り返し行われてきた」
「では理事長は、万人を愛する事ができると?」
「そうではない、だから私は――」
「人を傷つけていないとは、言わせませんよ」
黙って睨み合う二人。
私は口を挟む事もできず、ただ二人を見守る事しかできない。
「禅問答は得意ではないのでな、この話はここで仕舞いだ。言いたい事はそれだけか?」
「はい」
「では時瀬春花くん。君への処分は、生徒会長解任だ。そして、全寮制の分校への転入手続きを取ってもらう。もしこれが受け入れられないのであれば、君は瀬名高を退学しなければならない」
ハンマーでガツンと、頭を叩き割られた気がした。
専用分校への強制転校――それは最底辺に落ちぶれた瀬名高生に与えられる、最後の選択。
格差校則の中で最も重い刑罰――通称、『島流し』
「お父さん! いくらなんでもそれは……私に較べてあまりに重いです!」
「分かりました。分校へ転入します」
「ちょっと、春花っ!?」
島流しになった生徒は、その後連絡が途絶え卒業後も行方知らずだ。
この沙汰が下ると、ほとんどの生徒が自主的に退学を選ぶ。それなのに!
「お父さん、春花は今ショックで混乱してるのっ! それにいくらなんでも、現職の生徒会長にこんな厳罰、絶対おかしいわよっ!」
「いいのよ、風花」
「でもっ!」
混乱しているどころか、春花の目は極めて冷静だ。
その証拠に、穏やかな視線だけで、私に「鉾を収めろ」と伝えてくる。
「私がいなくなっても、あなたがいれば柚は守れるもの」
「バカな事言わないで!」
「決まりだな」
お父さんの一言を聞いて、私は悟った。もう私には、どうしようもできない事を。
こんなの、間違ってる。
妹を想う春香が、『島流し』にならなきゃいけないなんて、こんなのこの学校が、絶対間違っているっ!
私は反射的に、両耳のピアスを取った。
その後の事を、私は一切覚えていない。