振り返った瞬間に、セーラー服のスカートがふわっと浮いて、太ももから脚のラインが露になる。
私は一瞬ドキッとするものの、本人はちっとも気にしてない様子で、右手をバッと広げてカメラに向き直った。
「はーい、ここが瀬名高の生徒会室ですっ! 実はあたしのお姉ちゃん、生徒会長さんなんですよっ!」
「はじめまして。柚の姉で生徒会長の、時瀬春花です」
U2部が横に構えるスマホに向かって、私は愛想のよい笑顔を作って挨拶する。
どうせ視聴者の視線は、柚の美脚に釘付けなんでしょうけど。
「瀬名高の生徒会長選挙って、毎年めちゃくちゃ盛り上がるんですよ! その激戦を勝ち抜いたお姉ちゃんは、実はすごい人なのです!」
まるで具体性のない説明だけど、柚は我が事のように胸を張る。かわいい。
下手なアイドル顔負けの美貌とスタイル、愛嬌をもって、柚は楽しそうに生徒会の紹介をしてくれる。インタビューに笑顔で答えながら、私は内心、得も言われぬ恐怖を抱いていた。
これはきっと、瀬名高史上かつてない、大編入時代の幕開けになる。
柚という金棒を手に入れた鬼の理事長の、全国の高校相手に仕掛ける、生徒争奪戦なのだと。
* * *
衝撃の理事長演説から一夜明け。
「柚くんには生徒を代表して、瀬名高を紹介する生徒広報をお願いしたい」
賞状、トロフィーが所狭しと並ぶ理事長室で、私と柚は衝撃の内示を受けた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 理事長は全国の高校を敵に回すおつもりですかっ!? そんな事したら柚目当てに入学希望者が殺到しちゃいますよっ! そんなやり方、教育委員会も絶対黙ってないと思いますっ!」
「何を大袈裟な。生徒広報という役割自体、特段珍しくもないだろう。それに折衝担当の柚くんは、広報も仕事の範疇のはずだ。現に体育祭では、招聘選手相手に学校案内をしていたではないか」
「その結果どうなったか……理事長もよくお分かりでしょう!? 学内学外問わず、柚を巡って喧嘩上等場外乱闘、抜けがけ追っかけビールかけ! 人種も立場も老いも若きも、年中冬至の柚パーティですよっ!? それともあれですか? 柚を
渾身のツッコミにリアクションもなく、理事長は臆面もなく言い放つ。
「勘違いしないでほしいのだが……私は誰彼構わず、瀬名高に入学してほしいとは思っていない。優秀な学生のみに、門戸を開こうとしている。今回の招聘選手の編入も、彼らがスポーツの世界で、瀬名高の名を多くの人に広めてくれるからだ」
昨日の体育祭、締めの演説。理事長がぶち上げた招聘選手特別待遇編入のおかげで、今朝から職員室の電話は鳴りっぱなしだという。どうやら外国人三選手含めたほとんどの選手が、瀬名高への編入を希望しているらしい。
どこから漏れたのか。テレビのワイドショーはその話題で持ち切りで、超個性的私立校のスポーツ特待生大量獲得は、学生スポーツ界の勢力図を一気に塗り替えると、専門家は指摘していた。
「今回の招聘選手編入を皮切りに、更にスポーツ特待生を入学させる算段ですか」
「別にスポーツの世界だけに限っていない。学業でもなんでも、なんらかの専門分野で類い稀な成績を残せる人物には、是非来てほしい。格差校則が絶対の瀬名高は、一芸に秀でた生徒にとって最高の環境になるはずだ」
「今はまだ五月です。入学式もほど遠いこの時期に勧誘なんて……」
「そんな悠長な事は言っておれん。優秀な生徒には、すぐにでも編入してもらいたい」
「新入生だけでなく……他校の在校生を転入させるって事ですか? そんな強引な勧誘、誰が乗ると……だから柚をっ?」
「これは柚くんの、自身のモテ体質と上手く付き合っていきたいという希望に沿うものだ。考えてもみたまえ。体育祭で招聘選手が柚くんに直接告白しに来なかったのは、彼女が生徒会折衝として、公的な立場で接していたからだ。もしなんの役職も後ろ盾もない柚くんだったら、招聘選手達は彼女の周りに群がって、無秩序状態に陥っていたかもしれん」
それは……私も感じていた事だ。
生徒会の一員であれば、必ず柚の周りに誰かいる。何かあれば守ってあげられる。
でも、柚が一般生徒だったらそうはいかない。一人でいるところを狙い撃ちで告白され、断ったら逆上し襲い掛かってくるかもしれない。
それならいっそのこと露出を増やして、人の目とバックアップ態勢を常に付け、相手に告白する隙を与えない方がいい。
「被服部、メイクアップ・クラブ、U2部、マスコミ部、実況部も、柚くんの広報活動支援に名乗りを上げてくれた。生徒会が呼びかければ、他の部活ももちろん協力してくれるだろう。心強い仲間がいつでも近くにいる環境は、柚くんのモテ体質を上手くコントロールする上で、必須の環境整備と言えるだろう」
かわいすぎる女の子がアイドルになるのは、ある意味必然なのだ。
危険な世間を一人ぼっちで歩かせるより、百戦錬磨の芸能事務所が信頼のおけるマネージャーを付き従わせて、外敵から守ってあげる方がいい。その分アイドルは、自身の魅力を思いっきり振りまいて仕事する、事務所にお金を落とす。そうする事で、かわいすぎる女の子は初めてプライバシーを保てる。
柚はもう、そういう領域に足を踏み入れてるのかもしれない。
「お姉ちゃん……あたし、やってみたい」
ここまで黙っていた柚が、意を決したように声を上げた。
「体育祭の三日間……本当に大変だったけど、誰からも告白されなかったし、瀬名高のみんなとすごく仲良くなれた。目立つと逆に告白されないんだって分かって、すごく驚いたし、すごく新鮮な気持ちにもなった」
「柚……」
「ひょっとしてこれが、あたしの進むべき道なのかも……。それを見極めるためにも、生徒広報はいい経験になると思う」
「……分かったわ。じゃあ私も、柚と一緒に広報活動する」
「君はダメだ」
「なぜっ!?」
即断で姉妹愛を切り裂く理事長に、私は勢いよく振り返る。
両肘を机につき、重ねた手の甲に顎を乗せた理事長は、余裕の笑みを浮かべている。
「春花くんは生徒会長だろう? 瀬名高の生徒会トップが、広報だけに専念されては困る。君が始めた格差校則緩和政策を、放ったらかしにするのかい?」
やはり、お見通しですか。
それにしても……理事長はGPMを快く思ってないと想定していたけど、その表情と口調にそんなニュアンスは一切ない。
私は思い切って訊いてみた。
「理事長は、緩和政策についてどうお考えなのですか?」
「私は手ぬるいやり方は嫌いだ。だが、格差校則も含め瀬名高の未来は、生徒自身の手に委ねられるべきだと思っている。島くんでも風花でもなく、君が生徒会長に選ばれたからには、舵取りは君に一任されている。……逆に春香くんは、緩和政策を推し進めて、どこへ向かおうというんだい?」
「私は……行き過ぎた格差校則を、今を生きる私達に合わせた形に
「そうか、好きにしなさい。しかしこれだけは言っておく。学園の舵取りは生徒会長のものだが、学園そのものは生徒会長のものではない。君が改革を進めようとしても、抗う者は必ず出てくる。それは
低い声が重しとなって、私の両肩に圧し掛かってくる。
その真意は、何をしても瀬名高は変わらないという自信の表れか。はたまた、手のひらであがく若輩者を静観する、年配者の余裕か。
いずれにせよ、私の今後の行動は逐一、理事長によって見守り見定められる事になるだろう。
その結果、手のひらの全てを握り潰す――そんな事だってないわけじゃない。
「風花ちゃんに対しても、そうだったんですか?」
その時、部屋に充満した重々しい空気を、柚のハイトーンボイスがあっさりと打ち破った。
「そう、とは?」
「あの……なんて言っていいかわかりませんけど、『見守り見定める』って話です。お姉ちゃんも言ってましたけど、あれが偽物の風花ちゃんだったなんて、あたしには信じられません。理事長は風花ちゃんの何を見守り見定めた結果、そう言い切ったんでしょうか?」
物怖じしない柚の態度に、理事長は頬を緩めると、引き出しを開けて小さな写真立てを取り出した。
「君達は私からどんでん返しを食らったわけだから、説明しないわけにはいかんだろうな」
理事長は、手にした写真立てに向かってそう呟くと、指でくるっと反転させ机に立てた。
写真には、お揃いのピンクの衣装を着た、かわいらしい双子の女の子が写っている。
そこから語られた理事長の話を、私はすぐに信じる事ができなかった。
風花と、彼女の小さな身体に同居している双子の妹、
父の
親しい友人を作らない風花の、孤立を深めるその理由が――多重人格だったなんて。
* * *
「カット。はーい、オッケーでーす、最高でしたよー!」
撮影はスピーディに進み、暗くなる前に私達は解放された。明日の昼には、瀬名高の動画サイトで公開されるそうだ。
柿色の空の下、私と柚は帰路につく。二人の長い影がアスファルトの上で重なると、柚は風花について話し始めた。
「あたし達が風花ちゃんの力になれる事って、ないのかな?」
「素人がどうこうできるとは、ちょっと思えないわ。ましてや風花は、自分の中の六花を、ちゃんとコントロールできている。何も困ってはいないのよ。今日だって、普通に学校に来てたわけだし」
「でも風花ちゃん、普段からあんなにツンケンしてるのは、自分から人を遠ざけるため……なんだよね? 自分の中にいる六花ちゃんが消えないよう、周りの人と友達にならないように……」
「それは……あの子の性格もあると思うけど」
とはいえ、思い出すのはあの日のサヨナラホームラン。
風花は私達のために、ひた隠しに隠していた六花を表に出してくれた。
父親が見てる。多重人格が周りにバレる。そのリスクを分かっていながら、あえてその選択をしてくれた。
それは私や柚、一緒に戦ったチームメイトを、仲間だと思ったからに違いない。
「あたし、少しだけ風花ちゃんの気持ちが分かるんだ。友達欲しいけど作っちゃいけない、でもやっぱり寂しいっていう気持ち。あたしも、そう思ってた時期あるから……」
「柚……」
「瀬名高に入って世都可が話しかけてきた時も、最初は反感買われないよう、なるべく合わせて喋ってた。でも逆に世都可に言われちゃって」
「……なんて?」
「柚の気持ちなんて、私には分からないよ。同じように、ビアンの気持ちを柚が推し量ろうなんて、無理だからって。分かったフリなんてしなくていい。これからお互いの事をもっと知ってもらえるよう、お互いが自分らしくふるまえばいいんだよ、って」
飾り気のないその言葉は、なるほど世都可が言いそうなセリフだ。
「あたし、そうか! って納得しちゃったの。思えばあたしに話しかけてくる女の子は『気持ち分かるよ、大変だよね』って言ってくれた。でもしばらくすると、みんないなくなっちゃう。多分その子が想像していたあたしと、実際のあたしやあたしを取り巻く環境が、全然違っていたからだと思う。それって、最初から分かってなかったって事だよね? 分かったフリして近づいて、違ったから去っていく。その繰り返し。でも世都可は最初から違った。分からなくてもいい、でも理解したいから一緒にいようよって、言ってくれた」
きっと世都可も、私達が想像する以上のレズビアンの現実を経験してきている。そこで感じた葛藤は、他人がそう簡単に理解できるものではないはずだ。
だからあの子は、軽々しく「分かるよ」なんて言わない。
逆に「分からない」事を分かっているから、相手とできるだけ一緒にいて、理解しようとする。
「あたしも、風花ちゃんと一緒にいてあげたい。お友達になりたいと思ってる」
「そうだね」
これもひとつ、妹の成長。友達ができたからこそ気付けた人間関係の難しさ。
もしかして風花に必要なものって、そういうものかもしれない。
「えっ!? 風花ちゃんっ!」
驚く柚の視線の先、前方の電柱の陰から、噂の風花がひょっこり現れた。
柔らかい笑顔でにっこり微笑むと、私達の前にとててっと走ってくる。
「あの……春花、柚ちゃん」
「風花ちゃんっ! 心配してたんだよっ!」
いきなりハグする柚に目を丸くしながらも、彼女は私の顔を見つめている。
「突然であの、申し訳ないんだけど……今夜二人のお家に、泊めてもらってもいいかしら……」
涙ぐむ柚に抱きつかれながら、風花は私に問いかける。
その両耳に、アレキサンドライト・ピアスはない。
私は軽くお辞儀をして、本日二度目の自己紹介をした。
「はじめまして、かな。私は時瀬春花。あなたは瀬名……六花さんよね」