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3-6 ターン・ザ・テーブル

 その後オレノバンは三振に倒れたが、インヴィテーションズのベンチは、一点を取った事で異様な盛り上がりを見せていた。

 それに比べて私達生徒会ビーナスは……誰もが俯き黙りこくったまま、守備からベンチに引き上げる。

 九回裏、最後の攻撃……ゼロに抑えられてしまったら、私達の負け。

 策は尽くした。チアガールお色気作戦に、陸自払い下げの自走式機関砲。

 ここまでやって一点が守れず、一点すら取れないなんて。

 それでも――。


「まだ試合は終わってない! この回、何がなんでも逆転するわよっ!」

「おおーっ!」


 泣き言ばかり言っても始まらない。みんなで円陣を組んで気合を入れると、私はバットを持って打席に向かう。

 とにかく先頭バッターの私が、なんとしてでも塁に出る。そうすれば逆転の機運も高まる!


「ピッチャー交代、オレノバン!」


 疲れの見え始めたマッテルノに代わり、オレノバンがリリーフピッチャーとしてマウンドに立った。

 豪快なオーバースローで、第一球を投じる。


「ストラーイクッ!」


 速い……とりあえず様子見で見逃した速球は、予想以上のスピードボールだ。おまけに、今まで散々見てきた変則ラケット投法が頭にちらつき、とてもじゃないがタイミングを合わせられない。

 二球目を空振りすると、あっという間にツーストライクと追い込まれる。

 元々運動能力の差は歴然……だからこそ策を弄して戦ってきたのに、気合だけで挑んでも――ッ!


「ストラーイク! バッターアウト!」


 カットで粘ろうとするも、ボールはバットをわずかに掠っただけ。

 そのままキャッチャーミットに収まって、私はあえなく三振に終わってしまった。


「世都可ー! なんとか塁に出てくれーっ!」


 次のバッター世都可に、ネクストバッターズサークルの島君が声援を送る。私はその横を通り過ぎ、トボトボとベンチに戻るしかない。

 機運を高めるどころか、悲壮感しかベンチに持ち帰る事ができないなんて。

 私はベンチに座って、祈るような気持ちで世都可の打席を見守った。


「お姉ちゃん……」


 背後から弱々しい声。振り返ると柚が、ヘルメットを被って、バットを杖代わりにして立っている。


「お姉ちゃん……次、あたしが代打に出る。あたし相手なら、オレノバンも一塁に歩かせてくれると思う」

「柚……そんな状態で打席に立つのは無理よ……ここはお姉ちゃん達にまかせて、休んでいて」

「オレノバンの球、すごいんでしょ? 世都可やヘージュ先輩でも、打つのは難しいって……お姉ちゃんはそう思ってるんでしょう?」

「それは……そうだけど。でも柚が塁に出ても、次はここまでノーヒットの風花。もう勝負は……」


 傍にいる風花は特に反論するでもなく、私達姉妹の会話を静かに聞いている。


「あたし……言ったじゃん。勇気をもって前に進む。それでもどうしようもない時は、みんなと一緒にピンチを乗り越えたいって。あたしは、あたしのできる目一杯がしたいし、風花ちゃんの言ってた『次こそホームランを打つ』って言葉を信じたい」

「柚……」


 柚は大きくふらつくと、倒れ込むように抱きついてきた。慌てて柚の身体を抱き止めながら、私は自分の無力さを呪う。


「ごめんね柚……お姉ちゃん、三振しちゃって」


 柚はブンブンと頭を左右に振った。身体を離すと、至近距離で訴えかけてくる。


「今、お姉ちゃんがするべき事は、塁に出る事じゃない」

「え……?」

「お願いお姉ちゃん、あたしを信じて。風花ちゃんを信じてる、あたしを信じて」


 柚の真剣な眼差しに、胸がキュッと締め付けられる。こんなにふらふらになりながらも、その信念を貫こうとしている。

 柚をもう一度抱きしめると、私は風花に視線を移した。


「分かったわ、柚を信じる。でも、風花……」

「大丈夫よ」


 風花ははっきり答えた。でもその言葉は、私に発せられたものではない。

 私の胸に寄りかかっている柚に、風花は穏やかな眼差しを向けている。


「絶対大丈夫。私も、きっとホームランを打つって信じてる。だから柚は、必ず塁に出てほしい」

「風花ちゃん……」


 震える小指を差し出す柚に、風花は小指を巻きつけた。

 そのまま目線を私に向けると、声を潜める。


「春花……きっとお父さんは、この試合をどこかで見てる。もうこれは柚だけの問題じゃない。今後の生徒会、風紀委員会に関わる重要な局面になってきている。負けたらどうなるか……私にだって分からない」

「そっ――」


 そんなわけないという言葉が、風花の真剣な眼差しによって、喉奥に詰めこまれてしまう。

 風花の父――瀬名高理事長を務める瀬名広大せなひろびろ氏は、今まで一度たりとも生徒会に口出しした事はない。生徒の自主性を貴ぶ瀬名高において、理事長自らがその理念を曲げるとは思えない。

 風花の言う通り、この試合をどこかで見ていたとしても、それは単に愛娘の活躍が見たい程度の理由。生徒会や風紀委員会の実力を、見極めようとしてるわけではない。

 でももし……風花が試合で活躍できず、生徒会も成す術なく敗れたらどうなるか……。

 既に行われた第一回の制限解放で、現生徒会が格差校則緩和政策を推し進めている事は、理事長も薄々感じているはずだ。良い印象は持ってないだろうし、格差校則反乱の予兆と捉えているかもしれない。そんな中、生徒会が体育祭で失態を晒せば何が起きるか……それは誰にも分からない。


「ここまでノーヒットの私が、何を言っても説得力はないかもしれないけど……座して死を待つより、ここは打って出るべきよ」

「お姉ちゃん……」


 二人に見つめられ、私は大きく頷いた。

 一か八かの勝負に出るなら今――でも、それだけじゃない。

 柚と風花。彼女達のやりとりに、二人の信頼関係が垣間見えた気がして……私の胸が熱く焦がれていく。

 あの柚が、親友の世都可以外にも、こうして信じ合える仲間がいるなんて……。

 妹の成長を目の当たりにして嬉しい反面、どうしようもない嫉妬の炎も、心の奥底に灯ってしまう。


「ストラーイク、バッタアウト!」


 背後では、世都可が三振に終わったコールが聞こえた。

 私は嫉妬心を押し隠し、審判に歩み寄ると、島君に変わって代打・柚を告げる。

 フラフラになりながらバッターボックスに向かう柚を見送ると、風花が小さい右手を差し出してきた。


「え、なに?」


 意味も分からず、その手を握って握手すると、風紀委員長は穏やかな会釈を返す。


「違います。バットを貸してくれますか?」


 意外な申し出に驚くも、私は壁に立てかけておいた自分のバットを手渡した。

 物珍しい箸ねとでも言いたげに、風花は軽くバットを振ると、さっさとネクストバッターズサークルに行ってしまった。


「バット使えるんだったら、最初から使いなさいよっ!」


 遠ざかる背中に文句を言っても、風花は黙ったまま。

 いつもと違う雰囲気に引っ掛かるものの、気を取り直して柚の打席を応援する。

 結局柚は一度もバットを振る事なく、フォアボールを選んで一塁に歩いた。


 これで九回裏ツーアウトランナー一塁。首の皮一枚繋がった、ラストチャンス。


「風花ちゃーん、あとはお願いー!」

「風花、頼んだわよー!」


 黄色い声援を一身に受けて、バットを持った風花は左打席に入った。

 長棒のように振り回す事はせず、風花は腰を屈めて半身になると、まるで居合切りのようにバットを低く構えた。

 小柄な風花が身を縮こまらせる事で、更にストライクゾーンが狭くなる。

 ただならぬ緊張感が、打席の風花から漂っている。


 ピッチャー・オレノバンは、渾身のストレートをインコースへ投じた。風花の構えでは、どう打ったって詰まるコース。

 風花はバットを振る。いや、居合斬りの如く、バットを下から上へと斬り上げた。

 芯を喰った金属音を残し、打球は空へと舞い上がる! ボールはセンターバックスクリーンに、ぐんぐん伸びて――!?

 スーグニーが打球を追ってバックすると、フェンス際でこちらを向いた。見上げた空に両手を伸ばすも……ボールはその、遥か上空。

 見事な放物線アーチを描いて、スーグニーの頭上を越えていく。

 逆転の……サヨナラツーランホームラン!


 打球の行方を見届けた私達は、爆発するような歓天喜地かんてんきちに湧き上がる!

 ダイヤモンドをゆっくり一周してきた風花が、ホームベースを踏んだ瞬間に、生徒会ビーナスのみんなは風花をもみくちゃにした!

 歓喜の渦の中、驚きと感謝の気持ちで一杯の私は、小柄な風花に抱きついた。

 女の子らしい華やかな匂いと、柔らかい抱き心地。

 私の胸の中で、風花も嬉しそうに微笑んでいる。

 その笑顔がとってもかわいくて、輝いていて――だから私は気が付いた。


 風花の小さな、かわいらしい耳たぶ。

 いつもそこに輝いている、ふたつのピアスがない事に。

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