校庭の林から、重々しいディーゼル・エンジン音が聞こえてくる。
音はどんどん大きくなり、やがて木々の間から、武骨な鋼鉄製車両が飛び出してきた! 上部に二本の砲門を装備し、キャタピラで走行する鈍色の車両は、誰がどう見ても戦車にしか思えない。
そのまま外野グラウンドに辿り着くと一旦停車し、上部ハッチが開いて操縦手が降りてくる。待ち構えていた綾小路君と二言三言交わすと、そのまま入れ替わりで、綾小路君が戦車に乗り込んだ。
我が物顔で外野を一周すると、ライトのポジションで止まってホームベース方向を向く。
ギギギッと、砲門をやや上に調整し準備万端。戦車はまるで「自分、不器用ながら外野手です」とでも言いたげに、ライトの守備についている。
「……おいおいおいっ! あれはどう見ても戦車だろっ!? キャタピラ走行だし機関砲装備してるしレーダーくるくる回ってるし! あんなもん持ち込んで、いったい何を考えているんだっ!」
敵キャプテンの猛クレームを、私は鼻で笑って受け流す。
「あなたねぇ……少しは常識で考えて。私立の高校に戦車なんて、持ち込めるわけないでしょう? アレは瀬名高自動車部が開発した
私が指し示した車両の前面に、取って付けたような小さいグローブが、車のエンブレムのようにちょこんと載っている。
「常識で考えて、戦車が外野を守るなんてありえないだろっ!?」
「綾小路くんが乗り込んだところはみんなが見てますし、ガンタン君は彼のグローブです。レフト本田君のスクーター型グローブと、どこが違うって言うんですか?」
「原付と戦車じゃ、大違いに決まってんだろっ!」
ライトを陣取るガンタン君は、全長八メートル、幅三.一八メートル、全高四.四メートル。せいぜい全長二メートル半の原付とは、比べ物にならない。
それでも私は胸を張る。
エンジン搭載型グローブという点において、スクーターとの差異はないっ!
「とにかくっ! 野球道具は既成のものに限らないというルールがある限り、戦車型グローブでもなんら問題ないはずです。それともなんですか? ガソリン・エンジン式スクーターはグローブとして認めておいて、ディーゼル・エンジン式のガンタン君は、認められないとでも?」
「そもそも戦車なんか持ち出して、どうやって野球やるつもりなんだよっ!?」
「それは見てのお楽しみ。もういいわ。審判の判断を仰ぎましょう」
ライトから聞こえてくる豪快なエンジン音も、「そうだそうだ」と囃し立てているかのよう。
主審はしばし考え込んだものの、サードの一之瀬君が大きく頷いた事を確認して、「問題なしっ!」と宣言した。
* * *
九回表、インヴィテーションズの攻撃は、トップバッターのスーグニーから。
柚がベンチ内で休んでいるせいか、スーグニーは今までにない集中力でバットを構えている。
代わったばかりのマウンドで、私はセットポジションのまま島君のサインに頷いた。
初球は
第一球、投げた瞬間にスーグニーは反応し、器用にバットの根本をボールに当てた。
キャッチャー前にポトリと落ちた球を、島君が素早く拾って送球するも、判定は――!?
「セーフ!」
一瞬早く、スーグニーは一塁ベースを駆け抜けていた……とんでもない俊足だ。
次のバッターは、さきほど文句を付けてきた招聘チームのキャプテン。送りバントの構えを見せている。
ここは定石通りなら、二塁にランナーを送る場面。だがスーグニーには、常識外れの足がある。
二回けん制球を見せても、スーグニーは相変わらず大きなリードを取ってくる。私がキャッチャーに投げた瞬間、案の定走ってきた。ヨシ!
大きく外した敬遠球を、島君が捕って素早く二塁に送球。それでもスライディングしたスーグニーの足が、一瞬早く二塁を陥れる。
ダメだ……この足はもう防ぎようがない。
私達は成す術なく、次の投球も走られて、三塁にまで行かれてしまう。
これでノーアウトランナー三塁。
スクイズも考えられる状況。でも彼の足なら、平凡な内野ゴロでもホームはセーフになってしまう。
だとすれば、小フライのリスクがあるスクイズは可能性が低い。
私は覚悟を決めて投球する。ゴロの打ちにくい、ボール気味高めのストレート。
バッターはそれを読んでいたかのようなアッパースイング! 打球は外野に――!?
パパパパパパパパッ‼
誰もがスタンドインかと思ったその時、放物線の軌道に、三十五ミリ対空機関砲が襲い掛かる!
マシンガンのような速射砲撃は見事打球に命中、ボールは破損し急落下。セカンド頭上に落ちてきたボールを、風花があっさりキャッチした。
グラブに収まった、ひしゃげたボールを審判に見せると……。
「ア……アウト!」
呆気に取られるグラウンド。白い硝煙が風に流されると、ライトを守るガンタン君の砲門が、陽の光に晒されギラリと光る。
「う……うわああっ!」
一瞬の静寂後、観客は悲鳴を上げ、我先にとグラウンドから逃げていく。
混乱に陥る観客席を見上げて、私はマウンド上で愉悦に頬を緩ませた。
ふふふ……これこそが生徒会ビーナス、最後の切り札。陸自所有の八七式自走高射機関砲。
瀬名高風紀委員会諜報部が誇る、とっておきの飛び道具よ!
「どういう事だっ!? なんでこれがアウトになるんだよ!」
審判に詰め寄る敵キャプテンに、私は上機嫌のまま説明する。
「硬式野球では軟式のように、ボールが真っ二つに割れたり破裂したりする、いわゆるパンクボールは想定されてないの。だから野球規則五条二項には、ボールの革が剥がれたり破損した場合でも、そのプレーが終わるまで続行しなきゃいけないと書かれてある……つまり」
私は外野に聳え立つ、ガンタン君を指差した。
「ガンタン君がいる限り、全てのフライはレーダーで捕捉され、〇.〇二秒で撃ち落とされる! 制空権を握った者こそが、戦争の勝者となるのよっ!」
「ふざけるなっ! これは戦争じゃないんだぞ!? 野球の試合で砲撃なんて、許されるわけないだろうがっ‼」
「ふざけているのはどちらの方かしら。この試合は生徒会――すなわち瀬名高トップに君臨する組織が、名誉とプライドを賭けて戦う学校行事の決勝戦。招聘選手相手とはいえ、生徒会が負ける事は許されない。これは私達にとって国防であり、私にとっては
渾身の啖呵に、二の句が継げないキャプテンとインヴィテーションズ・ナイン。
このまま棄権してくれれば、それが一番いいのだけれど――。
「
この状況で、チューインガムを膨らませた陽気なアメリカンは、憎たらしいほどの笑顔を見せてくる。オレノバンは気落ちするチームメイトに明るく声を掛け、ベンチ前で円陣を組んでチームの士気を高めていく。
ちっ……さすがは海外有名スポーツ選手。メンタルコントロールにおいても、彼らは群を抜いている。
冷静に考えれば分かる事だが……フライ守備でしか、ガンタン君の砲撃は使えない。だったらゴロで一点取ればいいだけ。
でもそう簡単に点はやらない。ここまで来たからには、なんとしてでも失点を阻止する!
試合はワンナウトランナー三塁から仕切り直し。
さっきまでとは打って変わって、観客のほとんどいない殺伐とした空気の中、足を震わせた三番バッターが打席に立つ。
ガンタン君が一発、空に向かって砲撃を放つと、委縮したバッターはあっさり三振してくれた。
これでツーアウト。四番バッター、オレノバンが右打席に立つ。
それにしてもこの男……ガンタン君の砲撃にも全く動じた素振りを見せない。もしかしたら軍隊上がりか何かで、戦車なんて見慣れたものなのかしら……?
そう思っていると、島君は主審にタイムを告げ、マウンドに駆け寄ってきた。
「会長、オレノバンと無理に勝負する必要はありません。ここは敬遠で、次のバッターと勝負しましょう」
「でも……」
「スーグニーほどではないにせよ、オレノバンも俊足のバッターです。ゴロが転がれば内野安打にされる危険性もあります」
「……わかった」
島君はホームベースに戻ると、右打席のオレノバンから外角に外れた位置で立ち上がった。
私がミット目掛けてボールを投げると――!?
「ゴーッ!」
投球と同時にスーグニーが走り出した! まさかホームスチール? 敬遠なのにっ!?
慌ててホームに駆け寄ると、オレノバンは外角方向に大ジャンプ! 敬遠のボールにくらいつき空中でバットを振る。
バットはボールにこそ当たらなかったが、まさかのスイングに島君が慌てて、ボールを
ボールを掴み直した島君から送球を受け取ると、私はホームベースに飛び込んだ。それと同時に、スーグニーもヘッドスライディング!
ホームベース上で交錯する二人の周りに、大きな土煙が上がる。
誰もが固唾を飲んで見守る中、砂埃が風に流され、視界がクリアになると――、
「セ……セーフッ!」
伸ばしたグラブとホームベースの間に、スーグニーの手がしっかり差し込まれていた。
九回表、ついに生徒会ビーナスは、一点を勝ち越されてしまった。