体育祭二日目早朝。
瀬名高アフロディーテ杯争奪大野球大会のエントリーは、四十九チームに達していた。
想定以上のチーム数に、集合時間を一時間早く前倒し、集まったチームからどんどんトーナメント戦を行っていく。
一回戦~三回戦は、十点差付けばその場でコールド勝ち。五回までで決着が付かなければ以降はタイブレーク制を採用し、六回終わった時点で勝敗を決する事にした。
準々決勝も七回以降はタイブレーク。準決勝以降は通常通り試合を行うが、先に行われた第一試合は五回コールドで勝負を決した。
そんな早回しでの大会進行だったが、各試合は予想以上に盛り上がり、目論見通り体育祭は熱を失わずに済んだ。
生徒会主催の睨みも利いて、乱闘、ケンカ、トラブルの類も一切ない。
「さぁ、いよいよ準決勝第二試合、私達の番っ!」
円陣を組むと、私は声出しの口火を切った。
生徒会ビーナスの面々を見渡すと、みんなの表情はヤル気に満ちている。
「なんとしてもこの試合に勝って、明日の決勝に進む。今まで以上に気合入れていくわよっ!」
「おーっ!」
威勢のいい掛け声と共に、それぞれのポジションに散っていくビーナスナイン。
体育祭は例年以上に盛り上がり、トラブルもほとんど起きてない。大野球大会開催は、既に成功したと言っていいだろう。
でもまだだ。一番大事な目的が、まだ残ってる。
それは、柚の
* * *
「よーし、バッチこーい!」
打ち気に逸る二年生相手に、私はワインドアップ・モーションで振りかぶる。その間にキャッチャー島君が、バッターに何やら囁いている。
「二年二組の田中かっこマサかっことじ君。君は軽音部でギターやってるんだってな。最近うるさいって、目安箱によく苦情が来てるぞ」
「ちっ……プレハブ小屋でやってんだからしょうがないだろ」
「防音設備の整った音楽室が、今度から火木の放課後空くみたいなんだが……君はどうしたらいいと思う?」
ストラーイク、バッターアウト。
「君は将棋部の斎藤君じゃないか。モノポリー部とドミノ同好会が、部室を探しているらしいんだよ。共有してくれる大きな部活って、どこかにないかな?」
「ふん、ボードゲームならなんでも一緒だと思うなよ。ドミノ同好会なんて邪魔で仕方ねーだろ!」
「やっぱりみんな、そう思うよね。でもさっき同じ事言ってヒット打った佐藤君のバックギャモン部は、今しがた廃部になったらしい。いったい何があったんだろうね」
ストラーイク、バッターアウト。
「遠藤君、文芸部の活動はどうですか?」
「え……あの、僕達は図書館で本読んだり小説書いたりしてるだけなので……その、活動とかそういったものは……」
「あ、小説書いてたんですか。創部以来、書籍化した人もいなければコンテスト佳作すら入った事がない文芸部は、今サクラダファミリアなみの大作を執筆中なんでしょうね。聖書でも書いてるんですか?」
ストラーイク、バッターアウト。チェンジ。
私と島君は、ベンチ前でハイタッチを交わした。
「ナイスピッチングです……」
「島君もナイスネゴシエーション! すぐに次の回の打ち合わせをするわよ。次、打席が回る児玉君は……」
「あの会長……僕にもそろそろ、良心の呵責というものが」
* * *
「あーはっはっは! 特大ホームラン、かっとばしてやろうじゃないっ!」
二メートルに達しようかというバット――に見立てた棒高跳び用グラスファイバー・ポールを、風花は右打席に立って、凄い勢いでぐるぐる回している。ぶつからないよう、キャッチャーと審判はものすごく後方で構えている。
「そんなコケ脅しの長棒で、まともに打てるわけないだろーがっ!」
文句と一緒に投げたピッチャーの球を、風花の振り回し棒が見事に捕らえると、ボールは空の彼方へ……とはいかず、平凡なゴロがサードに転がる。
「風花、走って!」
「まかせて!」
風花は足も速い。サードが慌てて捕ろうとすると、ボールはイレギュラーバウンドして真横に転がった。
咄嗟に素手で掴み取ろうとするも、再度ボールが跳ねる! 逆回転に土煙を上げて、打球はホームベース方向に戻っていく。もちろん風花は楽々セーフ。
明らかに不自然なボールの動きに、私は校舎屋上を仰ぎ見る……。
何かがキラリと光る……あれは、ライフル射撃部? いや違う。私は、ベンチ端に座る綾小路くんに振り返った。
野球帽を目深に被った風紀委員会副委員長は、無線イヤホンを耳から下げて、ブツブツと誰かに指示を送っている。
今までの試合も、不可解なイレギュラーバウンドはあった。もしかして……風紀委員会の諜報部員が!?
聞きたくても、やっぱり躊躇してしまう。どうせ聞いても、まともに答えてくれるはずもない。
風紀委員会諜報部員に、ライフルが配備されているのか、なんて。
* * *
「よ……よろしくお願いしまぁす」
ヘルメットを被った柚は、重いバットを肩に担ぎ、フラフラしながら打席に向かう。すごくかわいいけど、その足取りはかなり危なっかしい。
打席に立つ柚にデレッデレのピッチャーは、初球を大きく外角に外した。それでも柚は、懸命に伸びてバットを振る。
「えーいっ!」
案の定空振り。「今度こそっ!」とバットを構え、柚はピッチャーを睨みつけた。はい、睨んでもかわいい。
次はド真ん中に緩い球。柚はバットに振り回されるような、フルスイング!
奇跡的に当たった打球は、ぼてぼてのピッチャーゴロ。
「わー、足がもつれたあー!」
「ぐわー、コンタクトがズレたあー!」
わざとらしく転ぶピッチャー。カバーに入ったキャッチャーも、膝を付いて目をこすっている。
懸命に一塁まで走った柚は、当然セーフ。
「やったあ! ヒット打ったよ! お姉ちゃん!」
ベース上で飛び跳ねて喜ぶ柚に、観客もベンチも審判まで、全男子スタンディングオベーション。
「すごいですね柚さん、出塁率十割です!」
「全部相手エラーだから、打率はゼロ割なんだけどね」
わざわざネクストバッターズサークルに来てまで報告する島君に、苦笑まじりに応えると、私は打席に向かった。
塁上で柚が「かっとばせー! おっねえっちゃんっ!」と、拳を振り上げ声援を飛ばしている。
「やっぱり柚は、かわいいなあ」
集中力を乱しまくったピッチャーは、真ん中高めにストレートを投げてくる。私はバットを振りぬくと、キッチリ真芯で捉えた。
カキーンと気持ちの良い打球音を響かせて、白球は初夏の青空へと吸い込まれていった。
* * *
生徒会・風紀委員会メンバーを主軸に構成された『生徒会ビーナス』は、手段を選ばぬ作戦で、順調に決勝へと駒を進めた。
決勝の相手は、国内外の招聘選手だけで構成された運動神経爆発チーム『SHOHEIインヴィテーションズ』
いくら本職のスポーツじゃないとはいえ、プロを目指すアスリートの運動神経は桁違いだ。生徒会ビーナスとは対照的に、実力で決勝まで勝ち上がってきた。
決勝の二チームが決定したところで、体育祭二日目は終了。
放課後、私達は生徒会室に集まり、決勝戦の作戦会議を開く事にした。
「会長、マスコミ部から報告が上がっています。どれもこれも小ネタばかりで、やはり招聘選手のスキャンダルやスクープは掴めなかったようです」
「ハッキング研は?」
「こちらも成果なしです。招聘選手はアマチュアとはいえ、プロ予備軍ですからね。SNSはもちろんクラウド上のデータにも、スキャンダルに繋がるようなものは見つからなかったとの事です」
島君の報告を聞き、MI6研部長の赤崎も「仕方ないだろう」とため息を吐いた。
「瀬名高生なら
やはり高校の部活では、調査能力に限界がある。おまけに今回は、調査時間があまりにもなさすぎた。
とにかくこれで、予選試合のように脅しをかけてアウトに取る戦術は使えなくなってしまった。
「綾小路くん、風紀委員会の諜報部員は、明日も後方支援してくれるの?」
「無理だ。瀬名高生相手なら不測の事態があっても揉み消せるが、決勝の相手は学外の有名選手。間違って流れ弾でも当たった日には……おっと、これ以上は聞かないでくれ」
私としても、これ以上瀬名高の暗部に首を突っ込みたくない。とにかく、非合法な後方支援は使えない事が分かった。
私達のやりとりを傍で聞いていた世都可が、我慢ならないとばかりに声を上げる。
「ちょっと待ってよ。なんで誰も指摘しないの!? あいつら、明らかに反則してんじゃん! だってピッチャーが、ラケットでサーブ打って投げてんのよっ!?」
そう、インヴィテーションズの先発ピッチャーは、イタリア人テニスプレイヤー、マッテルノ・ベッツィーニ。
時速二百キロを超えるサーブが武器のマッテルノは、グローブと称するテニスラケットを使って、豪快なストレートをミットに叩きこんでくる。硬球だから多少スピードが落ちるとはいえ、メジャーリーガーなみの豪速球は、とてもじゃないが高校生に打ち返せるわけがない。
「この大会は普通の野球大会じゃない、大野球大会よ。ホームページに極小フォントで公開されてるルール細則にも、既成の道具以外の使用が認められている。ラケットをグローブだと主張されたら、認めないわけにはいかないの。……風花が
応接ソファーにちょこんと座っている風花は、自信満々言い放つ。
「見てなさい。あんなへなちょこボール、私が絶対ホームランにしてやるんだから」
「あんた今までの試合、全部ゴロしか打ててないじゃない!」
悪びれもしない風花に、世都可は大きな声でツッコんだ。
「世都可さん、あなた野球経験者なんですってね。ちょっと私のバッティングフォーム、見てもらえないかしら」
「そんなカンフーみたいな打撃フォーム、教えられるわけないでしょ! 普通にバット持って打ってよ!」
「あんなお箸みたいに短い棒、余計打てる気がしないわ」
「あんたんちの箸は、普段ロッカーにでも入れてるんですかっ!?」
一般的な野球規則では、バットの長さは一〇六.七センチ以下と定められている。これじゃ短すぎるって言うのが風花の主張だったけど、どっちみち打てないなら特別ルールなんて作らなきゃ良かった。今更変更するわけにもいかないし。
「マッテルノ以外も、インヴィテーションズはタレント揃いだよ」
サッカー部キャプテンの二ノ宮君が、両手を上げてお手上げポーズを取る。
「特にショートのオレノバン・ミッチェルは、相当ヤバイ。全身バネの瞬発力を生かした守備範囲に、パワー溢れる打撃。アメリカ人だし、バスケやる前は野球もやってたんじゃないか? あいつはピッチャーやっても凄そうだ」
オレノバンは守りの要のショートでありながら、四番を打つ攻撃の主軸だ。
ここまで、守備に打撃に非凡なプレイを見せてる事から、確かに要マークの選手だ。
「スーグニーもとんでもないぞっ! 一番バッターで塁に出ると、一気に三塁まで盗塁されてしまう! センターの外野守備だって、二ノ宮以上間違いなしだ‼」
二日間だけ野球部を退部している一之瀬君も、相変わらずデカい声で懸念を述べる。
ただのマラソンランナーと侮っていたスーグニーは、短距離走も速かった。バントヒットで塁に出れば、分かっていても盗塁し放題。その足を生かした外野守備は、語るまでもなく鉄壁だ。
マッテルノがゼロに抑え、スーグニーが三塁まで進み、オレノバンが返す。これが『SHOHEIインヴィテーションズ』の必勝パターン。
更に他のメンバーも、サッカーとラグビーの名門校選手で、運動神経は折り紙付きだ。並みのピッチャーなら、いとも簡単に打ち崩してしまう。
「どうしようお姉ちゃん。一週間もあったら私、イタリアかアメリカかエチオピアにまで、デートだって言われて連れていかれちゃうかも……」
「大丈夫よ柚。お姉ちゃんに任せなさい」
不安そうな柚の頭を撫でながら、私はこれまでの情報を頭の中で整理する。
彼らは、守備こそマッテルノの豪速球サーブで抑えてるだけで、攻撃は割と正攻法だ。
野球は点を取られなければ負けないスポーツ。まずは、相手の攻撃を封じる必要がある。
「柚がピッチャーやったら、どうなるかしら?」
「ストライクが入ればそれもアリなんでしょうけど……柚さん、キャッチャーまでボールが届かないんですよね。さすがにこれでは……」
島君の言葉に、舌を出して照れたように笑う柚。なにそれ運動音痴かわいい。
「いいんだよー柚は! チームのかわいいマスコットさんなんだからっ!」
「もうっ、世都可! あたしだってちゃんと、みんなの役に立ちたいって思ってるんだからっ!」
世都可と柚がイチャイチャしだして、少しムッとするものの――二人の姿を見ていたら、唐突にアイディアが降ってきた。
「要は敵選手が柚に気を取られて、バッティングもピッチングも集中できなくしちゃえばいいわけよね?」
「それはそうですけど……さすがに打席に立てば、相手もピッチャーに集中すると思いますよ。柚さんが他の内野を守ったとしても、デメリットの方が……」
島君の忠告を聞き流し、私は手元の便箋にペンを走らせた。
きちんと封をしてから生徒会室の窓を開けると、控えていた運び屋部に、二通の封筒を渡す。
「頼んだわよ」
「御意」
あっという間に遠ざかる忍者姿の運び屋部を見送ると、改めてみんなに振り返る。
「明日の決勝戦、作戦を説明するわ」