「オープラーッ!」
気合と共に強烈なサービスエースを相手コートに叩きつけると、マッテルノ・ベッツィーニはラケットを放り投げ、観客席に座る柚に熱烈な投げキッスを送った。周りの目なんて気にしない、イタリア人らしい情熱的なアプローチ。
「ヘイヨー、ユーズッ! オレーノ、ダンクシューッ、マジ見テクレタァーッ!?」
テニスコート横の、金網に囲まれたストリートバスケフィールドでは、豪快なダンクシュートを決めた黒人アメリカン、オレノバン・ミッチェルが、リングにぶら下がったまま必死のアピールを続けている。おいおい、君のチームメイトは全員ディフェンス戻ってるぞ。
「ムカエニキタヨ、ユズサン」
いつの間に横にいたのか、エチオピアのマラソンランナー、スーグニー・デレッデ選手が、どこかから摘んできたかわいらしい野花を、柚に差し出している。マラソンコースを抜け出して、給水所ならぬ求婚しよっ! って、やかましいわ!
柚の初仕事、瀬名高体育祭における海外招聘選手のコーディネートは、結果から言えば大成功だった。
宿泊施設での各国メニューやハラルフード手配。ビザ取得支援に空港のお出迎え。到着後も学校案内、競技ルール説明、親睦会、エトセトラエトセトラ。海外のお客様をおもてなしするのは、とにかく大変だ。
特にスポーツ選手は、妥協を許さないストイックな生活をしている人が多いので、予想もしない
ところが、今回の海外招聘選手からは無茶なリクエストなど一切なく、逆に喜んでこちらの指示に従ってくれる。
それはもちろん……空港到着ロビーで出迎えた柚に、全員一発で惚れてしまったから。
その代償として、こうして外国人特有の積極アピール&アタックを柚に仕掛けてくるわけだが……言い換えればそれは、彼らの鍛え抜かれた美技を、瀬名高体育祭で惜しみなく披露してくれているという事。彼らに触発されてか瀬名高男子生徒のモチベーションも高く、どの競技も熱戦が繰り広げられていると聞く。
瀬名高体育祭は三日間の長丁場。この一大イベントを盛り上げる事ができれば、現生徒会の支持率は上がり、世論は私達の味方になる。
そうすれば格差校則緩和政策も、より生徒に受け入れらやすくなるはずだ。
それにしても――。
「会長、柚さん、ちょっとトラブルが……」
スーグニー選手を押しのけて、島君が私と柚に声をかける。私達は急いで席を立ち、出口に向かう彼の後を追う。
すれ違いざま、柚は異国のマラソンランナーから小さな花を受け取ると、眉尻を下げ笑顔を見せた。
「ありがと。でも咲いてるお花を、勝手に摘んじゃダメだよ」
「アオ!」
アハラム語で応える彼に手を振ってから、柚が遅れて付いてくる。
その背後で、目の中にハートマークを浮かばせたスーグニーは、柚に大きく手を振り返していた。
それにしても――レース中の世界的マラソンランナーでさえ、柚を想えば立ち止まり、野に咲く花を摘んでコースアウトしてしまうなんて……。
どうやら私の妹・時瀬柚は、国境なきモテ女。
国連管理下で運用されてもおかしくない、グローバルスタンダード・アフロディーテ。
もし紛争地域に柚を投下したら、全ての戦争が彼女のために休戦してしまいかねない。いや、逆に柚のために、世界大戦まで発展してしまうのかも?
ならば生徒会はどうだろう?
柚を引き入れた事によって、とんでもない幸運を手にする事になるのか。はたまた、とんでもない不運に見舞われてしてしまうのか。
居ても立っても居られない私は、隣を歩く柚に抱きついた。
「きゃっ! もうっ、ふざけてないで行くよっ、お姉ちゃん!」
笑顔の柚にたしなめられると、強烈な胸騒ぎも恋のドキドキに変わってしまう。天にも昇るようなふわふわした幸せな気持ちが、私の全身を包み込む。
ああもうっ、なんで学校で体育祭なんてやらなきゃいけないの! 二人で部屋に閉じこもって、姉妹体育祭をすればいいじゃない!
地団駄を踏む私の手を引いて、柚は島君を追いかけていく。
その先に待つは、
妹が手を引いて連れてってくれるなら、お姉ちゃんはいつだってどこでだってなんだって、できちゃうんだからねっ!
* * *
校庭のメイングラウンドでは、国内から招聘したサッカーチームとラグビーチームが、白熱したバトルを繰り広げていた。
バトルというのはまぁつまり、スポーツではない。異種間競技でも成立するルール不要の殴り合い――つまりケンカだ。
屈強な男達が、両軍総出でグラウンドに入り混じり、キックをかましタックルでなぎ倒されている。
「どうしちゃったのよこれ……なんでこんな、大乱闘になっちゃってんのっ!?」
「どうやら、どちらが柚さんの彼氏に相応しいスポーツか言い争っている内に、こんな事になってしまったようで……」
島君は呆れかえっている。そりゃそうだ。
まさか国内有名クラブチーム同士が、招待された高校のグラウンドでケンカをおっ始めるなんて、完全に想定外だ。おまけにこれを仲裁するのは、難儀がすぎる。
生徒会は、瀬名高生に対して多大な権限を持っているが、学外の人間には基本無力だ。招待客に格差校則は関係ないので、強権を発動する事もできない。
それでも体育祭のメイングラウンドで、しかも騒動の原因が生徒会の柚だと言うなら、放置するわけにもいかない。客人に火種を持ち込んで、家が火事になったら知らんぷり――とはいかない。
隣で柚が、大声を出して仲裁を呼び掛けているが、興奮した男達にその声は届かない。
力づくで止めようにも、この人数じゃ多勢に無勢すぎる。
どうしたもんかと考えあぐねていると、突然、体操服を着た女子が、たった一人で乱闘集団に飛び込んでいった!
「やめろっ! このバカどもっ‼」
棒高跳び用グラスファイバー・ポールを低く薙ぎ、一気に男三人の脚を払って転ばせる。
タックルで飛び込んでくる男の首筋に、棒の切っ先を突き付けると、ポールをしならせハイジャンプ! 大きく飛び上がった上空から、ポールを思いっきり地面に叩きつけた。
バーンという激しい音と共に砂塵が宙を舞い上がり、グラウンドから男達の悲鳴が聞こえてくる。視界を奪われた選手は次々と足を薙ぎ払われ、地面に叩きつけられている。
砂埃が風に流され視界がクリアになると、グラウンドに立っていたのはたった一人。
言わずもがな。少女は瀬名高風紀委員長、『セナの核弾頭』こと瀬名風花だった。
「風花! あなたちょっとやり過ぎよ、相手はウチの生徒じゃないんだからっ!」
「やり過ぎなのは、そこにいるあんたの妹の方よ!」
風花は私達の元に駆け寄ってくると、柚の前で腰に手をやり鼻で小さく息をついた。
「
「えっ?」
「はあっ? 何よそれっ!?」
驚く私と柚の前で、風花は顎を突き出し島君を指す。
「実は……瀬名高体育祭で総合優勝したクラスから、男子だけの投票でMVPを選出するらしいんです。そのMVPには副賞として、柚さんに長期間アプローチできる
銀縁眼鏡の副会長は気まずそうに目を逸らすと、今更ながらの報告をした。
「また男子は勝手な事を……どうして島君は、それを知ってて黙認してたの? すぐに止めさせなさいよっ!」
「現金を賭けた賭博でもないので、止める根拠がないんですよ。学内スポーツイベントの裏で、男子が非公式にMVPを決めてどんな口約束の副賞を用意したとしても、格差校則には抵触しません。それに……柚さんは誰が告白しても即お断りすると、男子に知れ渡っています。時間をかけて告白できる
「えー……」
ドン引きの柚が、絶望に満ちた声を上げる。無理もない。
ただでさえ外国人の積極アプローチに辟易してたところに、身勝手な男子どもに景品扱いされていたのだ。こんなの嫌に決まってる。
しかもそのMVPに選ばれた男は、今がチャンスとしつこく纏わりつき、周りの男子もそれを黙認する。
柚の気持ちなんて誰も考えていない、最低の副賞だ。
「これはもう……生徒会長権限で、無理矢理止めるしかないのかしら」
「止めておいた方が無難です。いくら生徒会長とはいえ、格差校則に記載ない生徒の行動を、制限する権利はありません。白熱した体育祭の最中に、その最大要因であるアフロディーテ杯を生徒会が潰してしまったら、祭が盛り下がるどころか
「じゃあ、風紀委員長」
「パス。不純異性交遊なら取り締まるけど、健全な恋愛は、学内風紀で禁止されているわけじゃないからね。ストーカーと断定できるくらいしつこいアプローチだったらともかく、現段階じゃ、何もされてないわけだし」
島君と風花、それぞれの言い分は分かる。分かるけどもっ!
「私なら大丈夫だよ、お姉ちゃん。誰がMVPになったとしても、相手にしなければいいだけの話だし……」
柚はそう、苦笑いで言うけれどっ!
ダメだ。
そんな、柚だけ我慢すればそれでいいだなんて……妹がよくても、お姉ちゃんが許せないっ!
私はスマホを取り出すと、生徒会室で待機している世都可を呼び出した。
「もしもーし。ねぇ私、超暇なんだけど」
「良かったわ、じゃあ仕事をお願いするわね。本日夕方から大講堂で緊急全校集会。各方面、通達よろしくっ!」
「えっ? あ、えっ?」
一方的に指示して電話を切ると、島君と風花、柚に向き直る。
「盛り上がってる体育祭に水を差す事なく、小競り合いを治めて風紀を守り、柚に嫌な思いをさせない。そうすればいいのよね?」
「お姉ちゃん……」
「その通りですけど……」
「あなた、また無茶する気?」
無茶?
私は思わず、笑みを零す。
格差校則にがんじがらめになっている瀬名高で、唯一無茶できるのが生徒会長。
愛する妹のためならば、お姉ちゃんに躊躇いなんてあるわけない!
「三人とも私に協力しなさい。無茶も無謀も貫き通し、その全てを、私が叶えてみせるわっ!」