「もー、世都可んちのお泊り、めっちゃ楽しい!」
鼻歌混じりで布団を敷き終えると、柚はジャンプしてその上にペタンと座った。その拍子に、薄手のパジャマがズレ落ち白い肩が露出する。私のパジャマはちょっと大きすぎたけど、それがまた柚のかわいさを引き立たせていた。
「柚はブン太が気に入ったんでしょ?」
私はスマホを操作して、画面を柚に見せる。
お客さんの訪問に大興奮のトイプードルと、それ以上のハイテンションで戯れる柚の姿が、動画で再生される。
「ブン太ちょーかわいいよねぇ、いいなぁ! ねぇ、なんでブン太って名前なの?」
「スキャンダル現場を抑えた新聞記者みたいに、凄い勢いで駆け寄ってくるから」
「なにそれ、ちょーかわいい」
動画が終わると、柚はブン太の代わりに枕を抱きかかえて、布団の上で身悶えし始めた。その足元には、画面を下に向けた柚のスマホが転がっている。
今夜ウチに泊まる事になったからと柚に伝えてから、彼女は一度も、自分のスマホを見ようとはしなかった。
家への道すがらも、コンビニで買わなきゃいけないお泊りセットの話ばかりだったし、あれだけ夢中になって遊んだブン太も、写真に収めようとはしなかった。
食事の時もお風呂の時も髪を乾かしている間も、柚は一切スマホに触れていない。
「それ、いいの? 寝る前に確認しておいたら?」
私の視線で、足元にあるスマホを見た柚は、お決まりの眉を下げた笑顔。
「……見るの、怖いの。どんなメッセが来てても、泣いちゃいそうで」
「そっか……じゃあ、電気消すよ?」
「えーっ!? まだ時間早いよ? もっとお喋りしてよーよ」
「電気を消してお喋りするのが、パジャマパーティでしょ。それにほら、今夜は月明かりがとっても綺麗」
電気を消すと、窓のカーテンを半分だけ開ける。
窓越しの夜空に浮かぶ半月は、まばらな星の中で、ぼんやりした光を放っている。
「わー、ホントだ! 満月じゃなくても結構明るいね」
柚は私のベッドに上ってきて、窓越しの星空を見上げている。月明かりが照らす彼女の横顔に、私は思わず見惚れてしまう。
長いまつ毛、大きい瞳、高い鼻、シミひとつない綺麗な頬……そして音もなく流れ落ちる、涙の糸。
柚は月を見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。
「ホントはね、わかってるの。お姉ちゃんはただ、あたしの事が心配だったんだって」
真珠のような涙が、柚の頬を次から次へと転がり落ちていく。
「中学に入学した時もね……こんな調子で。クラスから孤立していくあたしを、生徒会長でもなんでもない、ただの三年生だったお姉ちゃんは、必死に守ってくれた。あたしもお姉ちゃんに頼ってばっかで……自分では何もしてこなかった」
箱ティッシュを渡すと、柚は「ありがと」と言って受け取り、涙を拭いて鼻をかむ。
ひとしきり表情を整えると、背中を壁に預け、膝を抱えて話を続けていく。
「高校に入って、また告白されるようになって……このままじゃいけないと思った。いつまでもお姉ちゃんに頼りっぱなしじゃなく、自分でこの状況を変える努力をしなきゃいけないって思ったの。結局私一人じゃどうする事もできなかったけど、世都可に相談して、同性カップル作戦や告白御免術も練習して……そのおかげで状況は少しずつ良くなってきた。あたしも少しは自分を変えられたのかな、成長できたのかなって、すごく嬉しかった」
「柚、頑張ってたもんね。告白を断るセリフも、はっきり言えるようになったし」
「でもさ、それも結局お姉ちゃんが裏であたしを見張らせて、危険が及ばないよう配慮してくれてたから上手くいってただけで……そう考えるとすごく悔しいっていうか……頭に来ちゃって」
柚は膝を抱えたまま上を向き、窓外の月を見上げている。
「許していいのか怒っていいのか、もうどうしていいか……わがら、ないっ……よ……」
溢れる涙に耐えきれず、柚はそれ以上、何も喋れなくなってしまった。
彼女の肩をそっと抱き寄せると、柚は私に抱きついて、本格的に泣き始めてしまう。
「柚も正しいし、お姉さんも正しいんだと思う。どっちも正しいから、ぶつかって喧嘩になっちゃったんだよ」
生徒会長との会話を思い出し、私が感じた印象そのままを柚に伝えた。
「そんな時、世都可だったらどうするの?」
「私がどうとかじゃなく、柚がどうしたいか、でしょ? 柚は柚らしく、したいようにすればいいと思うよ」
「あたしは……お姉ちゃんと仲直りしたい。けど、あたしの考えをお姉ちゃんにないがしろにもされたくない。……そんな事、うまく説明できる自信ない……」
「うまく説明できなくてもいいんじゃない? そのまま伝えれば、きっと伝わると思うよ」
艶やかな黒髪を撫でながら話していると、柚は不意に顔を上げ、泣き顔のまま訊いてくる。
「こんな事してたら世都可、あたしの事、襲いたくなっちゃう?」
「今夜は半月だからな……」
「満月だったら、ヤバかった!?」
「言ったでしょ……タイプじゃないって」
「じゃあ今日は、世都可に抱きついて寝るっ!」
「きゃっ! もう柚……」
柚は私をベッドに押し倒すと、抱き枕のように抱え込んで離さない。
お風呂上りのいい匂いに包まれて、さすがの私も鼓動が早くなってくる。
そのままの態勢でどうしたものかと考えていると、すすり上げてた鼻の音は、すぐに寝息に変わっていった。
柚を起こさないよう、私は慎重に身体を離し、起き上がる。そのままベッドを譲る事にして、はだけた毛布をかけてあげる。ふと、下向きに光った彼女のスマホに気が付いて拾い上げた。
新着メッセージ十四件、着信三件。
「……どんだけ心配してるのよ」
私は柚のスマホを枕元に置くと、代わりに自分のスマホを持って、静かに部屋を後にした。
* * *
「もしもし、こんばんは。お姉さんですか?」
「もしもし葉山さん? こんばんは、連絡ありがとう。柚の様子はどう?」
「泣き疲れて、寝ちゃいました」
「そう……柚、何か言ってた? 電話もメッセも、全然見てくれなくて」
「それはまぁ……柚はそれだけ怒っていたとだけ、伝えておきます。ウチが気に入っちゃったみたいで、もう帰りたくないとも」
「そう、なの……」
「……私が柚とお姉さんとの間、取り持ってあげましょうか」
「え!? でもあなた、私の事怒ってるんじゃ……」
「そりゃあ怒ってますよ。行き過ぎた職権乱用、プライバシーの侵害。気分いいわけがない」
「……ごめんなさい」
「だから私と、取引しましょう。私からの要求は二つ。一つは、私と柚から完全に監視を解く事。二つめは……明日の放課後、私と柚で生徒会室に行きます。その時、私のやる事に絶対逆らわない事。これさえ守ってくれれば、例の音声データは公表しませんし、お姉さんと柚の仲直りも私が保証します」
「一つめはもちろん、分かったわ。でも二つめは……あなた、いったい何をする気なの?」
「それはまだ教えられません。でも安心して下さい。姉妹百合とか近親愛とか、そういう事は一切言いませんから」
「どのみち私に選択の余地はないし……分かったわ。あなたの言う事に、私から反対するような真似はしない」
「素直ですね。そういうところはやっぱり姉妹です。柚によく似てる」
「ところで葉山さん、あの……あなたは柚の事を……」
「やめましょうよ、そういうの。タイプじゃないって言ったでしょ?」
「でも……」
「明日の放課後、柚と一緒に生徒会室に行きます。その時にお会いしましょう。おやすみなさい」
「あ、待って――」
お姉さんの呼び止めに気づかないふりをして、私は一方的に電話を切った。
「敵に塩を送るような真似、ホントはしたくないんだけどなぁ……」
スマホの画面を操作して、私は再度電話をかける。
「あ、ヘージュ? ちょっとお願いがあるんだけど……」