目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

2-4 お泊り

「もー、世都可んちのお泊り、めっちゃ楽しい!」


 鼻歌混じりで布団を敷き終えると、柚はジャンプしてその上にペタンと座った。その拍子に、薄手のパジャマがズレ落ち白い肩が露出する。私のパジャマはちょっと大きすぎたけど、それがまた柚のかわいさを引き立たせていた。


「柚はブン太が気に入ったんでしょ?」


 私はスマホを操作して、画面を柚に見せる。

 お客さんの訪問に大興奮のトイプードルと、それ以上のハイテンションで戯れる柚の姿が、動画で再生される。


「ブン太ちょーかわいいよねぇ、いいなぁ! ねぇ、なんでブン太って名前なの?」

「スキャンダル現場を抑えた新聞記者みたいに、凄い勢いで駆け寄ってくるから」

「なにそれ、ちょーかわいい」


 動画が終わると、柚はブン太の代わりに枕を抱きかかえて、布団の上で身悶えし始めた。その足元には、画面を下に向けた柚のスマホが転がっている。


 今夜ウチに泊まる事になったからと柚に伝えてから、彼女は一度も、自分のスマホを見ようとはしなかった。

 家への道すがらも、コンビニで買わなきゃいけないお泊りセットの話ばかりだったし、あれだけ夢中になって遊んだブン太も、写真に収めようとはしなかった。

 食事の時もお風呂の時も髪を乾かしている間も、柚は一切スマホに触れていない。


「それ、いいの? 寝る前に確認しておいたら?」


 私の視線で、足元にあるスマホを見た柚は、お決まりの眉を下げた笑顔。


「……見るの、怖いの。どんなメッセが来てても、泣いちゃいそうで」

「そっか……じゃあ、電気消すよ?」

「えーっ!? まだ時間早いよ? もっとお喋りしてよーよ」

「電気を消してお喋りするのが、パジャマパーティでしょ。それにほら、今夜は月明かりがとっても綺麗」


 電気を消すと、窓のカーテンを半分だけ開ける。

 窓越しの夜空に浮かぶ半月は、まばらな星の中で、ぼんやりした光を放っている。


「わー、ホントだ! 満月じゃなくても結構明るいね」


 柚は私のベッドに上ってきて、窓越しの星空を見上げている。月明かりが照らす彼女の横顔に、私は思わず見惚れてしまう。

 長いまつ毛、大きい瞳、高い鼻、シミひとつない綺麗な頬……そして音もなく流れ落ちる、涙の糸。

 柚は月を見つめたまま、ぽつりぽつりと話し始めた。


「ホントはね、わかってるの。お姉ちゃんはただ、あたしの事が心配だったんだって」


 真珠のような涙が、柚の頬を次から次へと転がり落ちていく。


「中学に入学した時もね……こんな調子で。クラスから孤立していくあたしを、生徒会長でもなんでもない、ただの三年生だったお姉ちゃんは、必死に守ってくれた。あたしもお姉ちゃんに頼ってばっかで……自分では何もしてこなかった」


 箱ティッシュを渡すと、柚は「ありがと」と言って受け取り、涙を拭いて鼻をかむ。

 ひとしきり表情を整えると、背中を壁に預け、膝を抱えて話を続けていく。


「高校に入って、また告白されるようになって……このままじゃいけないと思った。いつまでもお姉ちゃんに頼りっぱなしじゃなく、自分でこの状況を変える努力をしなきゃいけないって思ったの。結局私一人じゃどうする事もできなかったけど、世都可に相談して、同性カップル作戦や告白御免術も練習して……そのおかげで状況は少しずつ良くなってきた。あたしも少しは自分を変えられたのかな、成長できたのかなって、すごく嬉しかった」

「柚、頑張ってたもんね。告白を断るセリフも、はっきり言えるようになったし」

「でもさ、それも結局お姉ちゃんが裏であたしを見張らせて、危険が及ばないよう配慮してくれてたから上手くいってただけで……そう考えるとすごく悔しいっていうか……頭に来ちゃって」


 柚は膝を抱えたまま上を向き、窓外の月を見上げている。

 おぼろげに浮かぶ半月に、半人前だと思う自分を重ねているのかもしれない。


「許していいのか怒っていいのか、もうどうしていいか……わがら、ないっ……よ……」


 溢れる涙に耐えきれず、柚はそれ以上、何も喋れなくなってしまった。

 彼女の肩をそっと抱き寄せると、柚は私に抱きついて、本格的に泣き始めてしまう。


「柚も正しいし、お姉さんも正しいんだと思う。どっちも正しいから、ぶつかって喧嘩になっちゃったんだよ」


 生徒会長との会話を思い出し、私が感じた印象そのままを柚に伝えた。


「そんな時、世都可だったらどうするの?」

「私がどうとかじゃなく、柚がどうしたいか、でしょ? 柚は柚らしく、したいようにすればいいと思うよ」

「あたしは……お姉ちゃんと仲直りしたい。けど、あたしの考えをお姉ちゃんにないがしろにもされたくない。……そんな事、うまく説明できる自信ない……」

「うまく説明できなくてもいいんじゃない? そのまま伝えれば、きっと伝わると思うよ」


 艶やかな黒髪を撫でながら話していると、柚は不意に顔を上げ、泣き顔のまま訊いてくる。


「こんな事してたら世都可、あたしの事、襲いたくなっちゃう?」

「今夜は半月だからな……」

「満月だったら、ヤバかった!?」

「言ったでしょ……タイプじゃないって」

「じゃあ今日は、世都可に抱きついて寝るっ!」

「きゃっ! もう柚……」


 柚は私をベッドに押し倒すと、抱き枕のように抱え込んで離さない。

 お風呂上りのいい匂いに包まれて、さすがの私も鼓動が早くなってくる。

 そのままの態勢でどうしたものかと考えていると、すすり上げてた鼻の音は、すぐに寝息に変わっていった。


 柚を起こさないよう、私は慎重に身体を離し、起き上がる。そのままベッドを譲る事にして、はだけた毛布をかけてあげる。ふと、下向きに光った彼女のスマホに気が付いて拾い上げた。

 新着メッセージ十四件、着信三件。


「……どんだけ心配してるのよ」


 私は柚のスマホを枕元に置くと、代わりに自分のスマホを持って、静かに部屋を後にした。


* * *


「もしもし、こんばんは。お姉さんですか?」

「もしもし葉山さん? こんばんは、連絡ありがとう。柚の様子はどう?」

「泣き疲れて、寝ちゃいました」

「そう……柚、何か言ってた? 電話もメッセも、全然見てくれなくて」

「それはまぁ……柚はそれだけ怒っていたとだけ、伝えておきます。ウチが気に入っちゃったみたいで、もう帰りたくないとも」

「そう、なの……」

「……私が柚とお姉さんとの間、取り持ってあげましょうか」

「え!? でもあなた、私の事怒ってるんじゃ……」

「そりゃあ怒ってますよ。行き過ぎた職権乱用、プライバシーの侵害。気分いいわけがない」

「……ごめんなさい」

「だから私と、取引しましょう。私からの要求は二つ。一つは、私と柚から完全に監視を解く事。二つめは……明日の放課後、私と柚で生徒会室に行きます。その時、私のやる事に絶対逆らわない事。これさえ守ってくれれば、例の音声データは公表しませんし、お姉さんと柚の仲直りも私が保証します」

「一つめはもちろん、分かったわ。でも二つめは……あなた、いったい何をする気なの?」

「それはまだ教えられません。でも安心して下さい。姉妹百合とか近親愛とか、そういう事は一切言いませんから」

「どのみち私に選択の余地はないし……分かったわ。あなたの言う事に、私から反対するような真似はしない」

「素直ですね。そういうところはやっぱり姉妹です。柚によく似てる」

「ところで葉山さん、あの……あなたは柚の事を……」

「やめましょうよ、そういうの。タイプじゃないって言ったでしょ?」

「でも……」

「明日の放課後、柚と一緒に生徒会室に行きます。その時にお会いしましょう。おやすみなさい」

「あ、待って――」


 お姉さんの呼び止めに気づかないふりをして、私は一方的に電話を切った。


「敵に塩を送るような真似、ホントはしたくないんだけどなぁ……」


 スマホの画面を操作して、私は再度電話をかける。


「あ、ヘージュ? ちょっとお願いがあるんだけど……」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?