行儀悪く振り上げられた白い脚。否が応でも、私の視線は艶めかしい太ももに釘付けにされてしまう。
早鐘を打つ胸を必死で押し隠し、私は毅然とした態度で世都可に相対する。
「ふざけないで。その足を下ろしなさい」
「当事者のお姉さんが行っても、話がこじれるだけです。私が行って、柚を慰めます」
「あなた、葉山世都可さんよね……一体何があったって言うの」
「別に大した話じゃないですよ。MI6研の百田先輩から、生徒会長が実の妹の動向を探るためだけに、情報機関系部活を私物化してるって話を聞いただけです」
世都可はスマホを取り出して、側面のボタンを押した。怪しい振動音とともに女の子の艶っぽい声が聞こえてくる。
『あんっ、ん、んっ、んっ……ダメっ! そ……そうよ、生徒会長からっ……やぁっあっ、妹の柚っ……と……あんたの動きを……調べろって……いやっ、ああんっ、あああっ!』
嬌声に混じる、言い逃れしようのない自白。なんて恥ずかしい証拠品。
「今夜はウチに柚を泊めようと思います。連絡先交換しときますか? 決まったらメッセでご連絡しますよ」
「葉山さん……あなたやっぱり、柚の事を!?」
「だとしたらどうするんですか? こんな不祥事握られて、今度は何部をけしかけるんですか? 一応言っときますけど、データはこのスマホの中だけにあるわけじゃないですよ」
世都可は脚を下ろすと、扉の前に立ちはだかって私を睨みつける。
色素の薄い、透き通るような氷の瞳。そこに嫉妬の炎は見つからない。
彼女はただ親友を思い、瀬名高の絶対的権力者――生徒会長の私に対峙しているのだ。
「そんな破廉恥なデータ、いくらでも好きにすればいいわ。だからそこをどいて」
「本当に分かってます? この音声データが公表されれば、お姉さんは生徒会長の役職を失うばかりか、下手すりゃ『島流し』ですよ?」
世都可の予想は、おそらく正しい。
それでも――。
「それでも私が生徒会長になったのは、妹を守るため。生徒会長を続けるために、柚を泣かせて放置するなんて本末転倒よ。私が目的と手段を履き違えるような女なら、そもそも生徒会長なんて続けていけるわけがないっ!」
「いい加減な事を……」
「いい加減な気持ちで、
私の絶叫に驚く世都可。私だって下級生の前で、こんな感情的な姿を見せたくない。
でも止まらないの。こうして
私の方こそ、嫉妬に狂って何を言い出すか分からない。
私は柚が好き。
誰にも取られたくないし、本当は誰とも仲良くなんてしてほしくない。私だけの柚でいてほしい。
こんな気持ちに折り合いなんて、最初からつくはずもなかったんだ。
「柚を守るって言っても、どうせお姉さんは一年経ったら卒業しちゃうじゃないですか。生徒会長の庇護が無くなれば、柚はまた告白男子に追いかけ回される事になるのよ。今は姉妹愛と言えば聞こえはいいかもしれないけど、結局それはお姉さんの過保護で、ただの自己満なんじゃないですか?」
「……瀬名高校は今年で創立十六年。まだLGBTなんて言葉がなかった時代にできた学校よ。当然、格差校則に性的マイノリティに関する条項なんてない」
「……今、関係あります? それ」
「柚を守るために、私は生徒会長になった。それは格差校則緩和政策を学校に浸透させ、より今の時代に添う形へ校則を変化させるためよ。それにはLGBTへの配慮も必須……望まぬ女子への告白を、男子に制限させる
世都可もビアンを公言するなら分かるだろう。LGBT条項の制定がいかに大変で、いかに順守されないかを。
しかし本校は瀬名高校。格差校則を制定するのが生徒会で、それを順守させるのが風紀委員会。
この
もし私の在任中にLGBT条項が制定できれば、私がいなくなった後でも、柚は男子の告白に悩まされずに済む。でもそれには時間がかかる。
その間は職権乱用、公私混同、なんと言われようと構わない。
生徒会長の力を振りかざし、私が柚を守っていかなければならない。
「その第一歩が、あの入学式の無難な祝辞って事ですか……」
世都可の言葉に、私は小さく頷いた。
恫喝祝辞を止めただけで、あれだけの反発が起きるのだ。突然LGBT条項なんて制定したら、プライバシーの侵害だ、自由恋愛制限だと、生徒有志で
でもそれも……世都可のデータが公表されてしまえば、全てご破算。
私は『島流し』とまではいかなくても、生徒会長を退任せざるを得なくなり、LGBT条項の実現はなくなる。
「お姉さんの気持ちは分かりました……あなたが既にシスコンを通り超して、姉妹百合の域まで達してそうな事も」
「なっ!? 何を言って……っ!」
世都可は被ったフードを後ろに落とすと、私にぐいっと詰め寄った。
右手首を掴まれると強く引っ張られ、私達は至近距離で見つめ合う。
「言い方を変えましょう。あなたも柚も今はとても混乱していて、話し合っても上手くいかない。ここは私に任せて下さい。あとで必ず連絡します、メッセンジャーだけ交換しておきましょう」
世都可は片手でスマホを操作すると、メッセンジャーアプリの登録画面を見せつけた。
「でもっ」
「お姉さんの緩和政策と一緒ですよ。いきなり主張を押し付けても、きっと上手くはいきません。できるだけソフトにゆっくりと……相手に自分の気持ちを分かってもらう事が必要です」
「でも、あなた……」
「私は誓って、柚には手を出しませんよ。親友ですけど、タイプじゃないんで」
微笑む世都可は、どこか脆く儚い。それは彼女の身体全体の、色素が薄いせいだと気付く。
アシンメトリーの黒髪ボブは少しアッシュが入っているし、切れ長の黒目は輪郭にいくほど薄く、ほのかな緑色が浮かんで見える。制服から露出する首筋や太腿は、桜の花びらに光がさしたような透明感がある。
そんな不思議な魅力を持つ世都可に至近距離で見つめられると、私の頬は自然に熱くなっていく。
慌てて彼女の手を払いのけると、私は居住まいを正した。
「分かったわ、あなたにお願いする」
スマホを取り出すと、私達は連絡先を交換した。
「信用してくれて、嬉しいですよ」
「あなたの事は……私もそれなりに認めているわ。柚の初めての、親友なんだから」
「もっと私を認める事になりますよ、お姉さん」
そう言い残して、世都可は生徒会室を出ていった。
私は会長席に座り直すと、深く息を吐く。
「なんとか、乗り切った……」
ひとつの賭けではあったが、あの様子なら、世都可もすぐにデータをどうこうするつもりはないだろう。
ビアンの世都可なら、柚に対する私の気持ちに同情してくれたはずだし、LGBT条項は彼女にとってもメリットが大きい。
柚に恋愛感情はないという言葉を信じるなら、世都可とは良好な関係を築いておくべきだ。そうすれば職権乱用を公表される事もないし、柚のお目付け役にもなってくれる。
それに……。
強引に掴まれた右手首を、無意識にさすっていた事に気が付くと、私の頬がかあっと熱を放つ。
「どうして私……まだドキドキしてるのかしら……」