扉の窓から、柚が女の先輩と話している姿を見つけて、私は教室に飛び込んだ。
「柚っ!」
「世都可!?」
驚いている柚の前に歩み出て、女の先輩と対峙する。
「柚……この人、赤田先輩の彼女かなんかだって言ってた?」
「え……うん。幼馴染だって」
「そう……
「!? ど、どういうこと……?」
図書館で本でも読んでいそうな、いかにも気弱そうな文学少女――百田先輩は、おどおどした表情で私を見つめてくる。
「私、気になっていたんですよ。昼間の赤田先輩の告白。どうしてわざわざ私がいる時に、柚に告白しにきたのかなって。だってそうでしょう? 普通告白なんて、相手と二人きりの時にするものです」
「さぁ~……舞い上がってたのかしらね……」
作り笑いで後ずさる百田先輩。私は一気に間合いを詰めて、彼女の右手を掴んだ。
「この学校の情報通にね、聞いてみたんです。二年の赤田先輩ってどんな人なのって。そしたら、そんな人はいないって言うじゃないですか。在校生の写真一覧を送ってもらったら、赤田と名乗った先輩は、三年生の赤崎先輩だとすぐに分かりました。英国秘密情報部研究会――通称、MI6研の部長だってね」
掴んだ手を優しく引いて、百田先輩を椅子に座らせると、私は隠し持っていた手錠を取り出した。
「えっ!?」
カシャンと響いた音に驚く百田先輩は、椅子のパイプに手首が固定された事を知ると、真っ青な顔で私を見上げてくる。
「や……止めなさい! こんな事して、私が生徒会に報告したら、あなたの評価はガタ落ちよっ!?」
「どっちの評価がガタ落ちになるんですかねぇ……私? MI6研?」
「ちょっと、世都可!」
慌てる柚と百田先輩を無視して、私は教室のカーテンを閉めていく。
ついでに、教卓に置いてあったプリントを扉の窓にあてテープで目隠しにすると、教室内は薄暗い雰囲気に包まれた。
私は柚の背中を押して、先輩の背後に移動する。椅子に座ったまま動けない先輩からは、完全に死角の位置だ。
「百田先輩。あなたは放課後になると、生徒会からの呼び出しだと言って柚だけを連れて行った。一緒に行くと言った私に、会長から妹さんだけを連れてくるよう頼まれたと、嘘まで吐いてね。在校生一覧で確認したら、あなたは二年の百田先輩。MI6研の紅一点」
背後から手錠を持って忍び寄り、今度は両足を椅子の足に巻き込んで固定する。これで先輩の手足は、完全に椅子に固定された。
「ねぇ世都可、さすがにやりすぎなんじゃ……」
柚の心配声を背中で受け流し、私は百田先輩のスカートのポケットから、スマホを取り出す。
彼女のスマホには、武骨な集音マイクアダプターが取り付けられていて、画面は録音状態である事を告げていた。
「柚。このテの
スマホの録音を停止し、もう一度新規録音ボタンをタップすると、画面は再度録音状態に切り替わった。
「さて、と。誰に頼まれたのか……聞かせてもらっていいですか? せ~んぱい?」
「……私にもスパイの矜持というものがある。依頼主の情報を簡単に吐くとは思うな、一年坊」
「こわーい。そんな文学少女みたいな見た目で先輩ってば、ハードボイルドなんですね」
私は背後から忍び寄ると、持っていたアイマスクを強引にかけさせる。
突然視界を奪われると、さすがの先輩も緊張を隠せない。
「私肩こりが酷くて~。本当にコレ、マッサージ用として愛用しているんですけど~」
鞄から取り出した健康器具のスイッチを入れると、先端の丸まったシリコン素材が、ヴィィィンと大きな音を立て振動する。
気丈に振舞ってた先輩も、その音を聴いてみるみる頬が染まっていく。
「ほとんどの人は違うところのマッサージに使ってるって…………知ってるみたいですね」
柚は真っ赤な顔を手で覆いながらも、指の隙間から覗いた百田先輩のあられもない姿に、目が釘付けになっていた。
ものの数分で息も絶え絶えになってしまった百田先輩は、吐息混じりに依頼主を白状した。
* * *
「お姉ちゃん!」
生徒会室で仕事していた私は、血相変えて飛び込んで来た柚を見て、溜まった疲れもふっ飛んだ。
生徒会仕事でなかなか一緒に帰れなかったから、迎えに来てくれたのかしらっ!?
「MI6研の人から聞いたよ……生徒会が情報機関系の部活使って、あたしの事監視してるって」
私の脳内花畑が、一瞬で極寒吹き荒ぶブリザードに見舞われた。
大きな瞳に怒りの色を滲ませて、柚は真っ直ぐ私を見つめてくる。その表情は、姉の私でさえ見た覚えがないほど、怒っている。
柚のオーラに圧倒されるも、私はなんとか一言を絞り出した。
「どう、して」
「どうして? それはこっちのセリフだよ!? どうしてお姉ちゃんはあたしの事を監視するのっ? 生徒会長権限使って、いろんな部活を巻き込んでっ!」
会長席の机をバンと叩き、瞳を潤ませた柚が訴えかけてくる。
どうして柚が知ってるの? MI6研がヘマした? それともクーデターでも起こっているの?
心当たりと疑問符で頭がいっぱいになり、何も考えがまとまらない。
「それは柚の事が、心配だから……」
口をついて出た答えは、どうしようもなくありきたりな本音。
「心配してくれるのは嬉しいよっ!? でもあたしだって、自分でなんとかしないといけないって必死に考えて……世都可にも協力してもらって……お姉ちゃんが祝辞で言ってたんじゃないっ! 自分らしく、積極的にチャレンジしろって‼」
「でもっ! もし告白してきた男子が変な人だったら、柚が危険な目に合うかもしれないし……」
「だからって生徒会長の権限使って、こんな事する!? お姉ちゃんまであたしを特別扱いしないでっ!」
怒鳴りつけられた私は、思わず目をつむり下を向いてしまう。
どんな罵声も受け止めなきゃならない。そんな覚悟で待ち構えるも、その後に続く柚の言葉はなく……生徒会室はしんと静まり返っていた。
恐る恐る、目を開けた。目の前には、大粒の涙を流す柚が、じっと私を見つめている。
さっきまでの怒りの感情は読み取れない。
ただどうしようもなく悲しく、ただどうしようもなく悔しい気持ちが、泣き顔に滲んで見える。
これ以上ないほどきつく、私の胸が締めつけられていく。
「お姉ちゃんのバカっ‼」
柚は身を翻して、生徒会室から出て行ってしまう!
追いかけようと扉に向かうも、一人の女子生徒が、扉の枠に背中を預けて立っていた。
白く長い脚を高々と振り上げたかと思うと、反対側の扉枠を思いっきり踏みつけ、行く手を遮る。
セーラー服の上から薄手のグリーンパーカーを羽織る少女は、ポケットに両手を突っ込んで、フードを被った顔をこちらに向ける。
冷たい視線を飛ばすその顔は、写真で見た無表情より何倍も美しい。
柚の親友、葉山世都可――彼女の言葉が、氷のナイフとなって私の胸に突き刺さる。
「ここは私が追いかけます。お姉さんは遠慮して下さい」