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2-1 MI6研

 旧部室棟の半地下、寂れた一角に、英国秘密情報部研究会――通称MI6エムアイシックス研の部室はあった。

 狭い部室で肩寄せ合う四名の部員は、小さなテーブルを囲んで、真剣な表情で話し合っている。


「生徒会からの新しい指令だ。今度の任務は今までのような情報収集だけじゃない、高度な演技力も必要になってくる。皆、気を引き締めて取り掛かってくれ」

「部長……さすがにこれは、我々だけでは荷が重いのでは? スパイ部にも応援を……」

「馬鹿野郎! 俺達はそのスパイ部からスピンアウトしたMI6研だぞっ!?」

「そうね……彼らが手を貸してくれるとは到底思えないわ……研究会という立場でありながら、生徒会直々の指令を受ける私達に、相当不満を持っているみたいだし」

「それに探偵部は男子生徒、スパイ部は女子生徒を中心に、プリンセス周辺の動向調査が依頼されている。ターゲットの人数が多いから、いくら情報機関系二大勢力とはいえ、余らせている部員はいないだろう。だからこそこの任務は、少数精鋭のMI6研われわれに託された。これを成功させれば、おのずと結果は付いてくる」


 部長の言葉に、三人の部員は小さく頷く。

 思いはひとつ、MI6研の悲願――部への昇格だ。


「何としてもでも、やり遂げるぞっ!」

「おーっ!」


 意気上がる四人は、テーブル上の二枚の写真を囲んで、具体的な作戦会議に入った。

 MI6研の部室から漏れる明かりは、夜遅くまで消える事はなかった。


* * *


「世都可ぁ、あたしが作った卵焼き、食べてみる?」

「じゃあ私からは……かつお節ふりかけたブロッコリーだ! こっちも手作りだぞ~」

「ううー、あたしがブロッコリー嫌いなの知ってて、まーたそういうことするーっ! 茹でて粉ふりかけただけの緑じゃんっ」

「それでも手作りだと言われると、柚が断りづらくなるのも知ってるよ~、ほれほれ~!」


 昼休み。

 私――葉山世都可と時瀬柚は、中庭でお弁当を食べていた。

 嫌がる柚に、箸でつまんだブロッコリーを押し付けながら、私は彼女の表情が柔らかくなっている事に気が付いた。例の同性カップル作戦がようやく浸透してきて、告白してくる男子が少なくなったからだろう。ま、あらかたフッた後っていうのもあるけどね。


 それでも、無謀なアタックをしてくる男子が全くいなくなったわけじゃない。

 例えば……柚の後ろ。ベンチの裏の繁みの中に、さっきからこちらをチラチラ窺っている男子がいる。できればお弁当を食べてる間は、そっとしておいてほしいんだけど。

 私の願いも虚しく、彼は意を決したように立ち上がると、こちらに近づき声をかけてきた。


「あ、あのっ! 時瀬柚さん‼」


 ネクタイの色は緑、二年の先輩だ。もちろん私は初対面。おそらく柚も。

 見知らぬ男子の登場に、何の用かほとんど予想がついてしまい、私達の顔に苦笑いが浮かんでしまう。


「自分は、二年の赤田と言います! あなたの事が気になって仕方ありません! お友達になってもらえないでしょうかっ!?」


 私が一緒にいるにも関わらず、赤田先輩はいきなりの告白敢行。まずは友達からという軟弱オブラートに包めば、少しは成功率が上がるとでも思ったか? 甘ちゃんめ。

 相手はすれ違いざまに肩が触れただけで、誰彼構わず恋に落としてしまう、現代のアフロディーテ。使い古された言葉の修辞技法レトリックが、通じる相手ではないんですよ。


「ごめんなさい。あたし好きな人がいるので、お友達からでもお付き合いできないんです」


 もう何十回と繰り返したセリフ。私と練習した、断るためだけのフレーズ。

 それでも柚の申し訳ないと思っている気持ちが、言葉の端々から滲み出ている。

 外見だけじゃない。この子は本当に内面まで美人。それが柚のモテる理由のひとつである事は、間違いない。


「好きな人って……誰なんですか?」

「え?」

「せめて柚さんが好きな人を教えてください! 俺では敵わない人だと思い知って、あなたを諦めたいんです!」

「それは……ねぇ?」


 食い下がる赤田先輩に動揺して、柚は困惑した瞳を私に向ける。仕方ない、助け船を出そう。


「先輩、私達の噂を聞いた事ないんですか? 柚も私も男の人が苦手なんです。先輩が敵わないとしたら、そういう理由なんです。これ以上は言わせないで下さい」

「それはつまり……レズっていう……」

「だから! 言わせないで下さい‼」


 強い口調で先輩の言葉を遮ると、彼は二の句が継げず、謝罪を残してトボトボと立ち去って行った。

 先輩の姿が見えなくなった事を確認すると、柚は緊張した表情を和らげて、眉尻を下げて微笑んだ。


「ありがとう世都可、助かったよ~! なんかあの先輩、ちょっと怖かった」

「そうね……」


 告白を断る事は、女の子にとってとてつもないプレッシャーだ。

 年一回ならまだ自慢話になるけれど、柚のように毎日何人も来られると、もはやねたそねみを誘き寄せる人災でしかない。

 それに、告白してくる男子が全員紳士的かどうかなんて保証もない。断った瞬間逆上されでもしたら、何をされるか分からない。

 柚はそんな心労に毎日のように耐えて、告白を断り続けている。自分が同じ立場だったら、とてもじゃないが精神的にもたない気がする。


 そんなこんなを考えてると、中庭に予鈴が響いた。


「やばっ! 早くごはん食べよう。昼休み終わっちゃう!」

「それにしても……」

「世都可?」


 お弁当を膝の上に乗せたまま考え事をしていた私に、柚が小首を傾げてくる。


「ううん、なんでもない。急ぐよ柚!」

「フードファイターみたい」


 勢いよくお弁当をかっこむ私を見て、屈託なく笑う柚。

 引っかかった何かを喉奥へと流し込むように、私はすごい勢いでお弁当を食べきった。


* * *


「ごめんね。嘘吐いてまで呼び出しちゃって」


 その日の放課後、柚は二年の先輩女子に呼び出され空き教室に入ると、いきなり頭を下げられた。

 世都可はこの場にいない。

 生徒会からの呼び出しだから遠慮してほしいと先輩に言われ、一人で付いてきたのだ。


「今日、あなたに告白した赤田君。彼、私の幼馴染でね……時瀬さんにフラれたと聞いて、やっぱり納得できないなって思って……」

「つまり先輩は、赤田先輩の事が好きなんですね!」


 嬉しそうな柚の指摘に、先輩はボブカットの小顔を俯かせ、こくんと小さく頷いた。


「彼が時瀬さんの事を好きになっちゃったのは、仕方ない事だと思ってる。もちろん上手くいくとは思ってなかったから、フラれちゃえばまた元通りの関係になれるかなって思ってた。でもアイツ、あなたの事を諦めきれないみたいなの……。時瀬さん、あなた好きな人がいるって言って、断ったのよね?」

「はい、あたしには好きな人がいます」


 柚は一瞬躊躇するものの、はっきりと答えた。


「それって、葉山さんの事?」


 今度は言葉に詰まってしまう。先輩はふっと、気が抜けたような息を漏らした。


「あなたは嘘が言えない人なのね……分かりやすいわ」

「でも先輩、あたしと世都可が付き合っててもそうじゃなくても、あたしが断る事に変わりはないです。先輩達の関係に影響はないんじゃ……?」

「大ありよっ! 彼はあなたの返事を、告白を断る口実なんじゃないかと疑って、諦めきれなくなっているのよ!?」


 大人しい印象の先輩は声を荒げてそう言うと、目尻に涙を浮かべている。

 その姿に、柚はいたたまれない気持ちになってしまう。


「ごめんなさい……大きな声を出して」

「いえ……あたしも、その、ごめんなさい」

「時瀬さん。彼には、あなたと葉山さんが付き合ってると伝えるわ。私にとってもその方が都合いいし。でも……私も秘密を話したんだから、あなたにも本当の事を言ってほしい。あなたが本当に好きな人は、誰なの?」


「…………あたしが、好きなのは――」

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