旧部室棟の半地下、寂れた一角に、英国秘密情報部研究会――通称
狭い部室で肩寄せ合う四名の部員は、小さなテーブルを囲んで、真剣な表情で話し合っている。
「生徒会からの新しい指令だ。今度の任務は今までのような情報収集だけじゃない、高度な演技力も必要になってくる。皆、気を引き締めて取り掛かってくれ」
「部長……さすがにこれは、我々だけでは荷が重いのでは? スパイ部にも応援を……」
「馬鹿野郎! 俺達はそのスパイ部からスピンアウトしたMI6研だぞっ!?」
「そうね……彼らが手を貸してくれるとは到底思えないわ……研究会という立場でありながら、生徒会直々の指令を受ける私達に、相当不満を持っているみたいだし」
「それに探偵部は男子生徒、スパイ部は女子生徒を中心に、プリンセス周辺の動向調査が依頼されている。ターゲットの人数が多いから、いくら情報機関系二大勢力とはいえ、余らせている部員はいないだろう。だからこそこの任務は、少数精鋭の
部長の言葉に、三人の部員は小さく頷く。
思いはひとつ、MI6研の悲願――部への昇格だ。
「何としてもでも、やり遂げるぞっ!」
「おーっ!」
意気上がる四人は、テーブル上の二枚の写真を囲んで、具体的な作戦会議に入った。
MI6研の部室から漏れる明かりは、夜遅くまで消える事はなかった。
* * *
「世都可ぁ、あたしが作った卵焼き、食べてみる?」
「じゃあ私からは……かつお節ふりかけたブロッコリーだ! こっちも手作りだぞ~」
「ううー、あたしがブロッコリー嫌いなの知ってて、まーたそういうことするーっ! 茹でて粉ふりかけただけの緑じゃんっ」
「それでも手作りだと言われると、柚が断りづらくなるのも知ってるよ~、ほれほれ~!」
昼休み。
私――葉山世都可と時瀬柚は、中庭でお弁当を食べていた。
嫌がる柚に、箸でつまんだブロッコリーを押し付けながら、私は彼女の表情が柔らかくなっている事に気が付いた。例の同性カップル作戦がようやく浸透してきて、告白してくる男子が少なくなったからだろう。ま、あらかたフッた後っていうのもあるけどね。
それでも、無謀なアタックをしてくる男子が全くいなくなったわけじゃない。
例えば……柚の後ろ。ベンチの裏の繁みの中に、さっきからこちらをチラチラ窺っている男子がいる。できればお弁当を食べてる間は、そっとしておいてほしいんだけど。
私の願いも虚しく、彼は意を決したように立ち上がると、こちらに近づき声をかけてきた。
「あ、あのっ! 時瀬柚さん‼」
ネクタイの色は緑、二年の先輩だ。もちろん私は初対面。おそらく柚も。
見知らぬ男子の登場に、何の用かほとんど予想がついてしまい、私達の顔に苦笑いが浮かんでしまう。
「自分は、二年の赤田と言います! あなたの事が気になって仕方ありません! お友達になってもらえないでしょうかっ!?」
私が一緒にいるにも関わらず、赤田先輩はいきなりの告白敢行。まずは友達からという軟弱オブラートに包めば、少しは成功率が上がるとでも思ったか? 甘ちゃんめ。
相手はすれ違いざまに肩が触れただけで、誰彼構わず恋に落としてしまう、現代のアフロディーテ。使い古された言葉の
「ごめんなさい。あたし好きな人がいるので、お友達からでもお付き合いできないんです」
もう何十回と繰り返したセリフ。私と練習した、断るためだけのフレーズ。
それでも柚の申し訳ないと思っている気持ちが、言葉の端々から滲み出ている。
外見だけじゃない。この子は本当に内面まで美人。それが柚のモテる理由のひとつである事は、間違いない。
「好きな人って……誰なんですか?」
「え?」
「せめて柚さんが好きな人を教えてください! 俺では敵わない人だと思い知って、あなたを諦めたいんです!」
「それは……ねぇ?」
食い下がる赤田先輩に動揺して、柚は困惑した瞳を私に向ける。仕方ない、助け船を出そう。
「先輩、私達の噂を聞いた事ないんですか? 柚も私も男の人が苦手なんです。先輩が敵わないとしたら、そういう理由なんです。これ以上は言わせないで下さい」
「それはつまり……レズっていう……」
「だから! 言わせないで下さい‼」
強い口調で先輩の言葉を遮ると、彼は二の句が継げず、謝罪を残してトボトボと立ち去って行った。
先輩の姿が見えなくなった事を確認すると、柚は緊張した表情を和らげて、眉尻を下げて微笑んだ。
「ありがとう世都可、助かったよ~! なんかあの先輩、ちょっと怖かった」
「そうね……」
告白を断る事は、女の子にとってとてつもないプレッシャーだ。
年一回ならまだ自慢話になるけれど、柚のように毎日何人も来られると、もはや
それに、告白してくる男子が全員紳士的かどうかなんて保証もない。断った瞬間逆上されでもしたら、何をされるか分からない。
柚はそんな心労に毎日のように耐えて、告白を断り続けている。自分が同じ立場だったら、とてもじゃないが精神的にもたない気がする。
そんなこんなを考えてると、中庭に予鈴が響いた。
「やばっ! 早くごはん食べよう。昼休み終わっちゃう!」
「それにしても……」
「世都可?」
お弁当を膝の上に乗せたまま考え事をしていた私に、柚が小首を傾げてくる。
「ううん、なんでもない。急ぐよ柚!」
「フードファイターみたい」
勢いよくお弁当をかっこむ私を見て、屈託なく笑う柚。
引っかかった何かを喉奥へと流し込むように、私はすごい勢いでお弁当を食べきった。
* * *
「ごめんね。嘘吐いてまで呼び出しちゃって」
その日の放課後、柚は二年の先輩女子に呼び出され空き教室に入ると、いきなり頭を下げられた。
世都可はこの場にいない。
生徒会からの呼び出しだから遠慮してほしいと先輩に言われ、一人で付いてきたのだ。
「今日、あなたに告白した赤田君。彼、私の幼馴染でね……時瀬さんにフラれたと聞いて、やっぱり納得できないなって思って……」
「つまり先輩は、赤田先輩の事が好きなんですね!」
嬉しそうな柚の指摘に、先輩はボブカットの小顔を俯かせ、こくんと小さく頷いた。
「彼が時瀬さんの事を好きになっちゃったのは、仕方ない事だと思ってる。もちろん上手くいくとは思ってなかったから、フラれちゃえばまた元通りの関係になれるかなって思ってた。でもアイツ、あなたの事を諦めきれないみたいなの……。時瀬さん、あなた好きな人がいるって言って、断ったのよね?」
「はい、あたしには好きな人がいます」
柚は一瞬躊躇するものの、はっきりと答えた。
「それって、葉山さんの事?」
今度は言葉に詰まってしまう。先輩はふっと、気が抜けたような息を漏らした。
「あなたは嘘が言えない人なのね……分かりやすいわ」
「でも先輩、あたしと世都可が付き合っててもそうじゃなくても、あたしが断る事に変わりはないです。先輩達の関係に影響はないんじゃ……?」
「大ありよっ! 彼はあなたの返事を、告白を断る口実なんじゃないかと疑って、諦めきれなくなっているのよ!?」
大人しい印象の先輩は声を荒げてそう言うと、目尻に涙を浮かべている。
その姿に、柚はいたたまれない気持ちになってしまう。
「ごめんなさい……大きな声を出して」
「いえ……あたしも、その、ごめんなさい」
「時瀬さん。彼には、あなたと葉山さんが付き合ってると伝えるわ。私にとってもその方が都合いいし。でも……私も秘密を話したんだから、あなたにも本当の事を言ってほしい。あなたが本当に好きな人は、誰なの?」
「…………あたしが、好きなのは――」