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1-5 女神

「これで、すべての一年生分が終了ですね」


 生徒会室のパソコンデスクで、一際大きいエンターキーの音を響かせると、島君は座ったまま伸びをした。


「ご苦労様。今回は結局、島君に任せっぱなしで申し訳ないわ」

「いえ。会長は一番大変な審査フローを構築してくれました。僕はただそのフローに従って、処理を進めただけです。それにこのフローであれば、今までと較べて圧倒的短時間で作業が完了します」


 今日は四月二十七日。

 例年ゴールデンウィーク一週間前のこの時期、生徒会は新一年生の制限解放の準備で忙しかった。哲学部、統計学部、人間観察研など、様々な部活の有識者を集めて、生徒一人一人を事細かに審査していたからだ。しかし今年は、私と島君のたった二人だけで、全ての審査設定を一日で終える事ができた。

 これこそが私の目標――格差校則緩和政策の大きなメリット――審査フローの作業効率向上だ。


 各機関に事前配布した共通テンプレートで、個人情報を効率良く収集。集めた膨大なデータは、新たに採用したアカデミック版高性能BIツールに分析させる。その結果を元にAIが隠しパラメータとなる生徒レベルを算出。同一レベルの生徒をグルーピングし、一気に制限設定が可能となった。

 複雑な計算式を必要とする個人貢献データは、自動処理ボットを使う。クリック一つで誰でも簡単に個人貢献活動を数値化でき、あとはBIツールに流し込むだけで前述の生徒レベルに反映される。

 申請が来てから個別に可否判断していたカスタマイズ要望は、付与したカスタマイズポイントを消費するスキル制を導入し、いつでもポイントさえ足りていれば自動承認、一切手間がかからないよう作り込んだ。

 いずれも生徒一人一人をターゲットに制限設定していた旧態依然とは、比較にならない進歩だ。


「さすが会長です。この作業効率を捨ててまで、前時代的なやり方を復活させようとは、次代の生徒会も考えないでしょう」

「でしょう? これならよほどの事がない限り、極端な格差設定が為される事もない。これで緩和政策も、私一代で終わる話ではなくなったわ」

「それにしても……Pマーク取得の時も思いましたが、会長の情報処理技術とIT知識は、とても高校生のものとは思えませんね」

「それは……お父さんに感謝しないとね」


 午前零時を周って帰宅したお父さんは、そんな時間まで玄関先で待っててくれた娘に、感動の涙を流してくれた。

 まさかその愛娘まなむすめに、更に一時間残業させられるとは思いもせずに。

 私とお父さんは一週間で緩和政策版審査フローを構築、ダミーデータによるテスト、デバックを三日でこなし、わずか十日で本番ローンチにこぎつけた。

 持つべきものはかわいい妹と料理上手な母、そして仕事人間ワーカホリックエンジニアの父である。父の日は奮発するね、お父さん。


「そういえば、MI6研から例の資料が届いています。先週分ですね。今回も中身ギッシリです」


 島君はデスクの引き出しから、『マル秘』と書かれた大きい茶封筒を取り出して、会長席の私に手渡した。

 写真がたくさん入っているのだろう。受け取った封筒は、薄さの割にズシリと重い。


「この数週間で、会長の言うとんでもないの意味がようやく僕にも分かりました。確かにこれは……前代未聞ですね」


 私は、机の上で茶封筒を開封する。

 男子生徒のプロフィール写真、経歴書、現場写真と顛末てんまつ報告書。それが何セットも、次から次へと出てくる。


「先週は七人ですね。これで入学してから登校日換算で十八日、累計二十四人。つまり彼女は、登校するたびに一人と三分の一の男子から告白されている事になります。一日の最高記録は三人、最低記録は一人……毎日ですね」


 島君は半ば呆れながら、表形式でまとめられたデータを読み上げる。

 私はイラつきを抑える事ができず、手にしたボールペンをくるくる回してしまう。


「中学の時より人数が増えてる気がするわ……やっぱり柚の魅力が増してるせいかしら」

「会長の妹さんは、もう魔性の女という域を超えて、クレオパトラか楊貴妃の生まれ変わりなんじゃないですか? それとも、フェロモンに媚薬成分が含まれる体質とか」

「あながち笑えない冗談なのよね……柚の女友達の様子は?」

「探偵部からの報告によりますと、順調に離れていってるようです。告白した二十四人のうち半数は同級生男子、内六名はイケメンと認知されていますので、彼らに好意を持っていたであろう女友達から、嫉妬と反感を買い始めてます」

「離れていった女友達は、すぐにスパイ部に報告。彼女達に同調する、その他女友達の動きも見逃さないよう伝えておいて」

「はい。それとフラれた男の中にですね……」

「もうファンクラブが発足したの!?」

「いえ、教育実習生が混じっていたのですが……」

「校長に報告。もみ消すような動きがあれば理事会、評議委員会宛に告発メールの送信予約をして、スクリーンショットを送りつけてやりなさい」

「相変わらず容赦ないですね……あ、あとMI6研から所感が同封されておりまして」

「読んで」

「ターゲットが告白を断る際、必ず同じ理由を口にするとの事です」

「なんて?」

「私には好きな人がいるので、お付き合いはできません、と」


 ボールペンが宙を舞い、私は完全にフリーズしてしまう。


「あの……会長?」


 フリーズしたままの私を見かねた島君が、ボールペンを拾って手に戻してくれる。

 再びボールペンが回りだすと、それに同調するかのように、私の時間も動き出す。


「……あっ! そうよね! 断る口実によく使うパターンだもんね!? ホントは彼氏いないのに『あたし~彼氏いるんで~』みたいな」

「そうですね」

「一応聞くけど……柚の周りに、特別仲良くしている男子は――」

「いないでしょう。妹さんは男女分け隔てなく話しかける気安い性格のようですが、さすがに危機感を強めた周りの女友達が、男子生徒との接触をガードしているようです。ただしその女友達も、前述の理由で日に日に少なくなっています」

「まずいわね……想定以上に女子友離れが加速している……このままじゃボッチになる可能性も捨てきれない」

「あ、それはなさそうです」

「どうして?」

「妹さんの親友を公言する女子生徒がクラスにいます。名前は葉山はやま世都可せとか

「どうせその女も、柚のかわいさにあてられて、嫉妬に狂って逃げ出すに決まっているわ」

「会長、妹さんの事になると途端に感情的になりますよね……大丈夫ですよ、それはあり得ません」

「どうしてそんな事言い切れるのよ」

「葉山世都可は、女性同性愛者レズビアンなんです」


 再びボールペンは宙を舞い、島君の眼鏡を直撃した。


* * *


「柚……男子にいっぱい告白されてるんだって?」


 夕飯も終わり、姉妹並んでソファーでテレビを見てる時に、私は思いきって切り出した。


「あーうん。やっぱり噂になっちゃってるよね……」

「中学の時もそうだったから気にはなっていたんだけど……大丈夫?」

「心配してくれてありがと。でも大丈夫だよ! 同じクラスの子でね、そういうの気にしない友達がフォローしてくれてるの。世都可っていって、なんとあの子……レズビアンなんだって!」


 きゃーっと、両手を頬にあて、はにかむ柚。

 出たな世都可と心の中で呟きながら、私は一応、驚いたふりをする。


「あたし気づいたのっ! 男子とは友達になれないし女子にも嫌われちゃうでしょ? でも世都可はビアンだから、そんなの全然気にならないって言うの。ああ、そうか! そういう人と友達になればいいんだって!」

「でもそれってさ、その子は柚を……その、性的な目で見て来たり、しないの?」

「あたしみたいな子は世都可のタイプじゃないんだって~。でもお姉ちゃんみたいなカッコいい系女子は、気をつけたほうがいいかもよ~っ!?」


 またもきゃーきゃー言いながら、嬉しそうにはしゃぐ柚。

 その姿を見て、私はほっと胸を撫で下ろした。もっと落ち込んでるかと思ってたが、いつもの元気な柚だ。

 これもひとえに、友達の世都可ちゃんのおかげだろう。たとえビアンだとしても、柚に親しい友達ができたのは歓迎すべき事だ。


 柚は昔から、このモテまくる体質のおかげで、気の置けない友達を作る事ができなかった。

 今と同じように、中学に入学したばかりの時も、柚は毎日のように男子から告白されていた。その常軌を逸した人気っぷりに、次第に女友達は柚から離れ、心無い誹謗中傷を流していった。

 五月末頃に結成された柚ファンクラブから抜け駆け禁止令が出たおかげで、ようやく事態は収束に向かったけど……それでも一度広まった噂はそう簡単に収まらない。柚はクラスから完全に孤立していった。


 当時私は、同じ中学の三年生だった。

 姉の私が妹のためにしてあげられる事は、可能な限り一緒にいる事くらい。

 登校時、昼休み、下校時。学年が違うから、授業中や休み時間は一緒にいてあげられない。学校生活において、その時間は決して少なくなかった。

 私がいない間、柚がどんなに不安で心細かったか……今でも思い出すだけで胸が痛い。


 そして一年後、私は卒業して瀬名高に進学。柚は二年生になってクラスも変わり、ようやく友達ができるようになった。

 それでも柚の周りでは、いつも女の嫉妬が渦巻いていた。そのせいで親友と呼べる友達は、できなかったように見えた。

 そんな柚が、高校入って一ヶ月足らずで親しい友人ができたのだ。

 はしゃいでる様子から、嬉しさが手に取るように伝わってくる。


「あとね! 世都可もかわいいから、男子に告白される事があるんだって。だから二人で考えて、恨みを買わない必殺の告白御免術を編み出したのですよ!」

「へ~、どうするの?」

「あたしと世都可で付き合ってる風に見せかけて『他に好きな人がいるからお付き合いできません』って言って、断るの!」


 柚は瞳を輝かせて、愕然とする私に詳細を話し始めた。

 ペアのキーホルダーを鞄に付ける。二人で歩く時は手を繋ぐ。お昼ごはんを食べさせ合う……とにかく柚と世都可がイチャイチャしているところを、クラスのみんなにアピールするのだという。


「で……でも柚。この前、女の子と女の子なんて考えられないって……」

「そりゃーそうだよー、神様に怒られちゃうよー」

「いやでも、そういうのってほら、エスカレートしていくっていうか……。世都可ちゃんって、本物のビアンなんでしょう?」

「うん。だからこの作戦の一番のポイントは、みんなに嘘を吐かない事なの。二人は付き合ってるの? って訊かれたら、いやそんなんじゃないしっ!? って言って、二人とも否定する事なんだって」


 なるほど。

 付き合ってると嘘を言うと、その後必ず周りから詮索が入る。一番ボロが出やすいところだし、柚も器用に嘘が吐ける子ではない。

 それとは逆に、周りが同性カップルだと囃し立て本人達が否定している構図であれば、逆に付き合ってる信憑性が上がる。一方がレズビアンを公言してるのであれば尚更だ。

 柚は嘘を吐かないで済むし、勝手に周りが勘違いしていくのを放置していればよい。

 それにしても……葉山世都可。

 彼女は相当の策士だ。その真の目的が何なのか、探りを入れなければならない。


「あれ~? お姉ちゃんもしかして、妬いてる?」


 考察を巡らせていた私の真顔を見て、柚が半目になって茶化してくる。


「そんな事ないしっ! 世都可ちゃんが羨ましいとか、全然思ってないしっ!?」


 柚の冗談に合わせて、そっぽを向いて拗ねた態度を演出する……あくまで軽く、爽やかに。


「ん~? 本当かな~? かわいい妹を取られちゃうかもよ~!?」


 立ち上がった柚は、私の正面で腰を屈めて目を合わせようとする。私は首を捻ってそれを拒否。

 すると柚は、当然のように私のふとももを跨いで乗ってくる。座る私に抱っこの態勢になると、ごく自然に抱きしめてくる。


「世都可とは手を繋ぐだけ。ハグは、お姉ちゃんとしかしないよ」


 すぐに離れていく柚。見上げる私。

 室内灯が後光となって、黒髪の輪郭が輝いて見える。女神がこの世にいるとすれば、それは間違いなく私の妹だ。

 そう、柚は妹。

 どうして姉の私は、こんなにも妹に恋焦がれてしまうのだろう。

 どうして妹の柚は、こんなにも慈愛に満ちた微笑みで私を見つめてくるのだろう。

 どうして柚が妹で、私が姉なのだろう。

 依存してるのは、いつも私の方なのに。


「安心した?」

「もうちょっと……安心したい」


 再び笑顔で飛び込んでくる柚を抱きしめて、私はもう迷わない。


 中学の時とは違う。

 妹を守るために手に入れた生徒会長チカラで、柚を守ってみせる。

 必ず。


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