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1-2 クレーム

 世界的に有名な天才実業家・瀬名広大ひろびろ氏は、国の基盤は教育だと語った。

 特に資源の乏しい我が国において、クリエイティブな製品・サービス・アイデアを創出できる人材育成は急務とし、教育機関に強く求めていた。しかし、教育委員会を中心とした学校改革は遅々として進まない。

 そこで瀬名氏は、自らが理事長となり私立校を創設した。それが、私立瀬名高等学校である。


 瀬名高は、生徒の自主性を貴ぶ校風で知られ、その頂点である生徒会には多大な権限が委任されている。

 スマホの使用、髪色の自由、ピアスの着用、制服アレンジ許容範囲。クラス委員の人事から学校行事の各クラス予算、部活の予算、学食売店利用序列、大盛小盛野菜マシマシネギ抜き対応。果ては生徒の学内立入禁止区域の設定まで。

 生徒会は、これら権限を生徒個人単位で細かく設定し、風紀委員会は、設定された校則の違反者を厳しく取り締まる。

 つまり瀬名高生は一人一校則。優秀な生徒であればあるほど、緩い校則の中、青春を謳歌できる。

 これこそが、瀬名理事長が標榜した瀬名高独自の校則――通称、格差校則である。

 世界にも例を見ない過激な教育方針は、世間のやり玉に挙がる事も多かった。しかし、瀬名氏の影響力と様々な分野で活躍する卒業生の実績により、反対意見はことごとく潰されていった。

 創立から十数年、今では私立難関校としての地位を固めた瀬名高は、全国どころか世界からも注目されるようになっていた。


 入学式、歴代の生徒会長は、新兵に必要以上の活を入れる鬼軍曹の如く、格差校則について説明した。

 新入生には最低限の権利しか与えない事を横暴に宣言し、一ヶ月ほどの判断期間を設けてそれを段階的に緩めていく。無論その制限解放リミット・ブレイクは、生徒一人一人の素行、成績の良し悪しを判断した上で、厳しい格差を付けられる。

 いつしか、入学式の生徒会長恫喝祝辞は瀬名高名物行事となり、新入生にとっての格差校則洗礼儀式となっていた。


 しかして、この悪しき慣習に終止符ピリオドは打たれた。

 私――時瀬春花が生徒会長になったからには、格差校則も緩和政策を受け入れなければならない。


 全てはこの春入学した、愛する妹のために。


* * *


「だから! 納得のいく説明がないと、そう言っているんだ!」


 野太い怒声に生徒会室の窓ガラスが、歯の浮くような金切り声を上げる。

 大きな声で騒ぎ立てているのは、昨日下校時に声をかけてきた野球部キャプテン、一之瀬君だ。

 図体も態度も、なんでも大きい一之瀬君だが、中でも大声だけはメジャー級と県内でも評判の男だ。


「ですから、今説明した通りです。新入生への不当な制限は去年まで。今年から標準的な校則でスタートします。もちろん例年通り、彼らの制限解放は一ヶ月後に行われますし、在校生に関しても、これまで通り期末毎に見直しが入ります」


 居丈高な大男に臆する事なく説明しているのは、副会長の島君だ。

 トレードマークの銀縁眼鏡を光らせて、努めて冷静に対応してはいるものの……うんざり顔は隠せていない。


「勝手にルールを変えてもらっては困る! これじゃあ各部活、準備していた新入生勧誘策に、大幅な変更を強いられるじゃないかっ!」

「新入生勧誘策? 違法まがいの新入部員争奪戦とでも言ったらどうなんだ」

「部活が部員を集めて、何が悪いっ!」


 開き直る一之瀬君に、島君は眼鏡を光らせズバッと切り捨てる。


「野球部は例年、厳しい校則に意気消沈している新入生を言葉巧みに部に誘い、部員に許された権利を見せつけ入部させている。そんな勧誘策、人道的にも変更した方がいいに決まってる」


 個人に課せられた格差校則は、部活中はその部の制限リミットが適用される。野球部に限らず、新入生が大規模部活の甘い汁を理由に入部するケースは、後を絶たなかった。


「うるさいっ! お前に勧誘戦争の過酷さは分からんのだ!」


 島君を押しのけて、大男は会長席の私に詰め寄ってきた。


「会長っ! 入学早々の厳しい格差校則は、確かに新入生の骨身に沁みる事でしょう。だからこそ、みんな制限解放目指して努力するんです! それを今年の新入生だけ免除だなんて、不平等ですよっ! 例年通り、厳しく制限をかけるべきですっ‼」


 野球部キャプテンの声は、とても目の前に座る人間に話しかけるボリュームではない。声の出し過ぎで、調整がバカになっているのかしら。


「一之瀬君」

「はい!」

「不平等、大いに結構です。本校は瀬名高校、『不平等・格差社会の時世を、五常で切り拓く勇気ある若者を育成する』を校訓に掲げ、生徒の自主性を重んじ、生徒会に多大な権限を委ねてきた歴史があります」

「だからこそ、伝統ある歴史を反故ほごにするような――」

「言ってしまえば、生徒会こそが正義なのです。しかし、行き過ぎた正義ほど恐ろしいものはないと、歴史が証明しています。私も格差校則は大事だと思っていますが、程度というものは弁えねばならないと、日々肝に銘じています」

「だからといって、この方針転換は横暴だ! 在校生はみんな、不満に思っていますよっ!?」

「先ほどサッカー部キャプテンも、あなたと同じような主張で生徒会室に来ました」

「ほらっ! 二ノ宮も納得できないって言ってたでしょう!?」


 私は両肘をつき、組んだ両手に顎を乗せ、余裕の笑みを浮かべてみせる。


「二ノ宮君にはサッカーの魅力で部員を勧誘する事を提案したところ、賛同頂けたのですが……野球部はそうではない、と?」


 思いもよらないサッカー部の曲がり球を見せられて、一之瀬君は真っ赤な顔でバッターボックスに立ち尽くしていた。


 瀬名校運動部の二大勢力――野球部とサッカー部は、いつも校内一の部活の座を争っている。

 ここで野球部のみが、大声と感情論だけで食い下がったとすれば、サッカー部と制限格差リミット・ギャップが生まれてもおかしくない。部員争奪戦を間近に控えた今、野球部がサッカー部に、待遇で負ける事は許されない。

 生徒会に意見するなら、それ相応の理由と覚悟が必要なのだ。


 私は穏やかな口調で、大男を諭していく。


「一之瀬君。大事なのは継承けいしょうではありません、承継しょうけいです。野球部という大きな傘の権利・財産を広告塔に、次代に継承させるのではなく、鍛え抜かれた技術・精神性をもって感動を呼び起こし、次代に承継してもらう。それこそが五常をもって伝統を繋ぐ、新入生勧誘となるのではないでしょうか」


 押し黙る一之瀬君だったが、口では勝てぬと悟ったか突然頭を下げると、「失礼しましたっ‼」と大声で叫んだ。

 部屋の窓全てがビシビシと金切り声を上げる中、野球部キャプテンは肩を揺すって去っていった。


「まったく。いつか声だけで窓ガラスを割りそうですね、彼は」


 呆れ口調でそう愚痴ると、島君は窓を開けた。歯の浮くような振動が収まると、心地良い風が外から吹き込んでくる。


「ふぅ、これでもう何回目のクレームよ……毎回説明して追い返してたら、いくら時間があっても足りやしない」

瀬名高ウチの部活、研究会はやたら数が多いですからね……ご安心ください。そう仰るだろうと思って、既にU2ユーツー部に連絡しておきました。今回の祝辞の意図や目的を、動画に上げておきましょう」

「さすが島君、仕事が早――」


 その時、開け放たれた窓から、何者かが部屋に飛び込んできた!

 勢い余ってゴロゴロと転がり、来客用のソファーにぶつかって埃が舞い踊る。

 唖然とする私達を尻目に、飛び込んできた人影は「いててて」と言って立ちあがり、冷静にスカートの埃を払っている。

 身だしなみが整うと、後ろ髪をはたいた手を斜め上に伸ばし、細い指で私を指した。


「それはっ、聞き捨てならないわねっ!」


 茶髪のセミロング。耳たぶに光るピアス。短いスカートから伸びる黒タイツ。

 いかにも遊んでそうな、垢抜けた女子高生。

 しかし本校は瀬名高校。派手な生徒ほど優等生なのだ。ましてや彼女の場合、それこそ超が付くほどに。


 彼女の名前は、風花ふうか

 瀬名高三年生、風紀委員長の瀬名風花だった。

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