桜の花びらがやわらかな春風に吹かれてひらひらと宙を舞っている。
駅前の広場には大きな桜の木が植えられている。
この時期になると普段は通り過ぎる人々も足を止める。
鮮やかに咲き誇る桜の花びらを、スマートフォンの画面のなかに収めるためだ。
広場では様々な人々が思い思いの時間を過ごしている。
ベンチに座り、忙しなくキーボードを打ち続けるサラリーマン。口を大きく開け、広場中に響き渡るほどの声で騒ぐ女子高生達。人目では数え切れないほどの群れで広場を闊歩する鳩。その鳩に優しげな視線を向ける老夫婦。
圭太にとって、特別な存在の女性だ。
二人は中学から高校まで、同じ公立学校に通っていた。
香穂が自ら命を絶ち、二年の歳月が流れた。その二年が長ったのか短かったのか、圭太にはわからない。
今でも圭太の胸には、決して取り除くことのできない棘のようなものが、深く突き刺さっている。
この二年間、一日たりとも彼女のことを忘れたことなんてない。ただ、その日々は、流れる時間も景色も輪郭を失ったように曖昧なものだった。
圭太は手のひらを虚空に差し出す。桜の花びらがそこに降り立つように舞い落ちてきた。その花びらをそっと手の中に包み込み、圭太は目を閉じた。
この二年間に想いを馳せるために。
彼女のすべては、手の届かない遠い場所にいってしまった。
圭太は花びらを手のひらからこぼした。花びらは力なく地面に落ちていく。
咲き誇っている間は、怖いほど綺麗な桜の花。ひとたび散ってしまえば、どうしようもなく儚く切ない。
そんなことを考えていると、ふいに背後から声をかけられた。
「梶圭太さんですか?」
その声は街の喧騒のなかでも澄んだ鈴の音のように、圭太の耳にすっと滑り込んできた。
圭太は思わず振り返る。
振り返った先には、黒縁の眼鏡をかけ学生服を着た高校生ぐらいの男子と、ゴスロリ・ファッションで身を包んだ中学生ぐらいの女の子が立っていた。ふたりとも不自然なほど背すじをきれいに伸ばして。
傍から見れば年相応の男女にしか見えないかもしれないが、向き合っている圭太はふたりから浮き世離れした雰囲気を感じ取った。
「はい、そうですが……あの、君たちは?」
圭太は身構えて言った。
「僕たちは想い玉の使者です。僕は
「え? おもい、だま、の、ししゃ?」
圭太は透が言ったことを頭のなかで反芻した。だが、まったく理解できない。瞬きがいつも以上にはやくなる。
圭太の戸惑いに気づいたのか、透がこう言った。
「梶さんが、僕たちに依頼をしたのですよ」
「依頼? 僕が? なにを?」
「はい。梶さんが。想い玉の依頼を。覚えていませんか?」
「ええ、ちょっと覚えがないです……何かの勧誘ならけっこうです。だいたい、おもいだまってなんですか?」
圭太は強い口調で問い返した。
「わかりました。それなら、島本香穂さんの件はキャンセルということで問題ないですか?」
「えっ? どうして君が島本さんのことを知ってるの?」
「ご自分で依頼をしておいて、ずいぶんいいかげんな人なのですね」
透の隣りにいた詩織が一歩前に出て、ため息を吐きながら言った。驚くほど澄んだ透明な声で。
「依頼って言われても、ほんとに覚えがないんだ」
「わかりました。では、ご説明します。梶さんあてにメールが届きませんでしたか?」
「どんなメール?」
「あなたの想いのこし、お届けします、という件名でお送りしました」
「そういえば……そんなメールが届いていたような……」
「そのメールに梶さんからの返信がありました」
「返信した覚えはないんだけどなあ……」
「では、証拠をお見せしましょうか?」
透はそう言うと、学生服のポケットからスマートフォン取り出し、圭太にメールの内容を見せた。確かに圭太のメールアドレスから返信された痕跡が残っていた。
「もしかして……あのときか……」
その日、圭太は初めてひとりで飲酒をした。圭太は好んで飲酒はしない。その日に限って、夢のなかに香穂が出てきた。夢のなかの香穂は生前と何ひとつ変わらない姿だった。圭太は夜中に目を覚ました。香穂の幻を打ち消すように飲酒したのだ。
「でも、どうして、君たちが僕のアドレスを知ってるの?」
「その件に関しては、私からご説明いたします」
透の妹だと紹介された詩織は、よく見ると整った顔立ちをしていた。映画のスクリーンに映っていても違和感を抱かないほどに。派手なファッションばかりに目がいっていたから気づかなかった。
「わかったよ」
「香穂さんから聞いたのです。梶さんのメールアドレスを」
「は? 君たちは知らないかもしれないけど、島本さんは二年前に亡くなったんだ。ふざけたこと言わないでくれ!」
圭太は自分でも驚くほど大きな声を出して言った。
行き交う人々に怪訝な目で見られる。
圭太はとっさに顔を伏せた。
「場所を変えましょう。近くに静かな喫茶店がありますので」
透は表情ひとつ変えずに言った。
「ついていくと思う? 君たちは怪しすぎるよ。島本さんのことだって、どうせ、どこかで調べたんだよね? 詐欺に僕を巻き込もうとしてるだけだ」
「梶さんがそうおっしゃるのならそれでけっこうですが。僕たちが困るわけではないので」
「もう、透兄さん! そんな言いかたをしなくてもいいでしょう。せっかくのお客様なのだから。香穂さんはこうも言っていました。丘の上の公園で、梶さんにひどいことをしてしまったと。香穂さんはひどく後悔しているようでした」
詩織は大きな目で、圭太をしっかりと見据えて言った。
「わかった。ついていくよ。連れて行って。その喫茶店に」
圭太は目の前で起きていることへの理解に苦しんだ。丘の上の公園のことを知っている人物がいるなんて。圭太に心当たりはなかったが、直感が知らせてくれる。ふたりが嘘をついていないと。圭太はその直感を信じることにしたのだ。
「わかりました。では、いきましょう」
透がそう言うと、詩織は華麗にくるりと回って進行方向に向き直り、圭太に背を向けて言った。
「ついてきてください」
圭太はふたりを完全に信用したわけではない。だが、丘の上の公園でのことを知っているふたりに興味を抱き始めていた。
二人は香穂とどんな関係なのだろうか。
圭太はふたりに引っ張られるように足を踏み出した。