名前もついていない、寂れた小さな公園――。
日は暮れて、数少ない遊具は暗く濃い影を地面に伸ばしている。利用者が去った後の遊具は捨てられた玩具のようだ。
強い風が吹いている日だった。時折吹きつける突風は、女の子ごとさらってしまいそうなほどだった。
嵐のような天候のなか。
少女は必死な顔で、何度もしゃぼん玉を作っては飛ばしていた。
何度も何度も、そう、何度も。
しゃぼん玉は風に飛ばされて次々に割れていく。
少女はそれでもめげずに、しゃぼん玉を飛ばし続けている。
少女にとってしゃぼん玉は、亡くなったばかりの母親との思い出の遊びだ。
母親は少女を迎えに行く途中、交通事故に遭い命を落とした。
少女は母親が亡くなった日から、毎日欠かさず公園に足を運んでいる。
雨の日も。風の日も。雪の日も。
この公園は少女にとって想い出深い場所のひとつだ。
小学校からの帰り道にあったので、よく立ち寄っていた。母親に連れられて。
この場所で母親から、しゃぼん玉の遊びかたを教わった。
少女はすぐにしゃぼん玉が好きになった。
この日も、少女はしゃぼん玉が空まで届くように願っていた。無理なことだと内心わかっていながら。
風は強さを増して、女の子の髪の毛やスカートをなびかせている。
もう一度だけ、しゃぼん玉を飛ばしたら帰ろうとしたときだった。
背後に気配を感じた。
少女に恐怖心が生まれる。少女は唇をきゅっと結んだ。
意を決し振り返る。
視線の先には大人ではないが、少女より十以上は歳が離れているであろう男女が立っていた。
少女は瞬時に悟った。
この人達は自分に危害を加える人間ではないと。
なぜ、そう感じたのかはわからないが、さきほど生まれた恐怖心はいつの間にか消えていた。
男は黒縁のメガネを掛け学生服を着ている。女のほうは母親と観た映画のなかの主人公が着ていた服装をしていた。全身真っ黒だ。ボリュームのあるスカートはひらひらしている。
背丈はふたりともおなじぐらい。
ふいに女のほうが少女の目線に合わせるように中腰になった。
少女は後ずさりせずに、女と視線を合わせた。
「しゃぼん玉は、お母様との思い出なのですね」
女が言った。
少女は一度だけ頷いた。
「お母様に伝えきれていない想いを届けたいですか?」
次は男が言った。
少女はもう一度頷いた。
「わかりました。
「うん。この子には想いのこしがあるようだ。あとは頼むよ。
少女はふたりの会話についていけなかった。だが、自分のために何かをしてくれるのだということは直感で理解した。
「お母様に思いを届けるお手伝いをさせていただいてもよいでしょうか?」
女がそう言うと、少女は力強く頷いた。
「それでは、あなたの想いのこしをお届けします」
それからの出来事は目を疑うようなことの連続だった。
夢のなかで夢を見ているような。そんな感覚であり光景だった。
すべてが終わったとき。
辺りは真っ暗になっていた。
「私たちはこれで失礼いたします。すぐにお迎えがきますよ。安心してください」
女はとても疲れているようだった。
男が女に肩を貸して、ふたりは公園を後にした。
二人が去った後、入れ替わるように、少女の父親が息を切らしながら公園に入ってきた。
「よかった。またここにいたんだな。お前までいなくならないでくれ」
父親はそう言うと、少女を優しく抱きとめた。
少女は父親に謝罪の言葉を口にした。
父親は息をするのも忘れそうになった。
少女が言葉を口にしたのは、母親が事故で亡くなってからはじめてだったからだ。
父親は少女を抱きしめた。涙を流しながら。
少女は父親の胸のなかで、さきほどの感覚と光景を思い返していた。
今度は父親に感謝の言葉を口にした。
久しぶりに出した自分の声は、誰かの声を借りたように感じた。だが、心がとても軽くなったような気もした。
気づけば、風が凪いでいた。
少女は空を見上げた。
夜空には神々しいほどの光を放っている月が出ていた。
月明かりがふたりの傷を癒やすように降り注いでいる。
少女に自然と笑みがこぼれた。
少女は父親の胸に小さな顔をそっとあずけた。