目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第8話 妖憑

『よぉ兄ちゃん。失敗だよなぁ、あの餓鬼を生かしたまま置いてるのはよぉ?』


「失敗だって?」


『おうよ。だってそうだろ? 昨日の時点で殺しておいてくれりゃあ、こうして俺様が出向く必要もなかったんだ。お前らだって、死にたかねぇだろ?』


「何を言って……」


 飄々と話し続けるその様子にユウは、恐怖とはまた別の気持ち悪さを覚えた。


「さかな、いっぱいとれた――よ?」


 嫌な時に戻って来た少女は、その姿を見るや恐怖の色を浮かべ、両手いっぱいに抱えていた大量の魚をその場で落とすと、力なく膝から崩れてしまった。

 同時に、妖魔の視線が、少女へと送られる。


「逃げなさい、ミツキ…!」


 声を荒げて言いながら、紗雪は妖魔と少女との間に立つ。

 昨日まで、いやつい先刻まで、拭い切れない憎悪から、この少女のことを嫌悪していたというのに。

 触れずとも分かる、暴力の塊のような妖気――少女の正体が何であれ、これほどまでに不快な存在に殺させるわけにはいかない。

 そう思うと、身体が勝手に動いてしまっていた。


 鞘に納めたままの長巻を構える。

 紗雪が最も得意とする、会得した刀術の中で最も出の早い居合の型だ。

 それでも、


『届くわけねぇだろ』


 並みの妖魔なら抜刀を視認した頃には首が飛んでいるところだが、紗雪の抜き払った刀身は、その実体をとらえることは出来なかった。

 呆れたように、嘲笑うかのように、紗雪の背後からつまんねぇと吐き捨てる妖魔。

 振りぬいた動作のまま続く二撃目を放とうとするが、振り向きざまに一瞬だけ映った妖魔の表情に、紗雪は手を止めてしまう。


『おうおう、賢明な判断だな。そうだ女、お前程度の雑魚じゃあ、この俺様は斬れん。さっさと諦めちまうが華ってなもんよ』


 妖魔はヘラヘラと笑いながら、紗雪に視線を落とす。

 その影で、冷酷な心持ちで以って気配を極限まで殺したユウが、渾身の一撃を放った。

 腰背部に差した一対の短刀を両手で繰り、対象の首を直線的に撥ね飛ばす単純な技だが、余計な動作を含まず、速度も限界を極めたユウが放てば、納刀の後に空を切る音が響く程に速い。

 紗雪の攻撃を凌ぐ速さのその技は、妖術を使えないユウが辿り着いた、妖魔を本気で斬り捨てる為の技。

 あの菊理でさえ、模擬戦でも避けることは至難と見極め、その殆どを受けて往なしていた。


 ――それすらも、届かない。


 抜き払った短刀が何かに触れた感触はなく、ただ空を切る音が、遅れて虚しく響くばかり。


『届かねぇ、ってのはお前に言ったんだ、兄ちゃんよぉ』


 ギロリと睨まれる感覚を背中で受ける。


『お前、ずっとこの機会を狙ってたろ。お前ら両方の攻撃が空回った辺りからなぁ』


 当然のことのように言ってのける妖魔の読みは、正しかった。

 ユウと紗雪、双方の攻撃が見切られた時点で、正面からやり合うのはまず難しいと判断し、すぐさま奇襲する為の隙を窺うことに専念し始めていた。

 それを、頭から悟られていたのだ。

 お前たち程度ならいつでも殺せるぞ、と、そう言われているようだった。


(僕ら程度、いつでも……いつでも――そうか、こいつが三叉たちを…!)


 瞬間、聊かの怒りが芽生えた。


(なら――)


『ぬる過ぎんだ、お前ぇの殺意はよぉ』


 間髪入れず放とうとした刀身を、妖魔はいとも容易く二本の指先で捉えてみせた。

 それだけのことで刀身は完全に勢いを殺され、ピクリとも動かなくなってしまう。


『殺意だ。もっと殺意を籠めろ。でなきゃ、俺様たち妖憑ようぶには届かねぇ』


 強く睨みをきかせながら言うと、妖憑と名乗る妖魔は、指先で握っていた短刀をユウの身体ごと強く殴りつけ、川の方へと吹き飛ばした。

 細やかな石礫に打ち付けられた身体が、鋭い痛みを覚える。

 そのまましばらく転がった先、浅瀬に差し掛かったところで静止した。

 短刀諸共殴られた方の腕には、骨まで影響しているだろう強い痛みがある。

 すぐには攻撃、或いは撤退することもままならないかも分からない。そんな中でユウは、敢えて強気に妖魔を睨みつける。


「よ、妖憑だって……?」


『おうよ。親父の血を濃く持つ、まあ妖魔の中でも特別性ってわけだ』


「親父……酒呑童子のことか。気色の悪い」


『カハッ! おうおう、威勢がいいってのは嫌いじゃねぇ。でなきゃ殺し合いも楽しめねぇからなぁ』


「汚らわしい妖魔ごときが、こともあろうか『楽しい』などとは。下劣な口で、感情があるかのような発言は控えて頂きたいものです」


『感情? ああそうだ、感情だ。お前ら妖どもは、俺たち妖魔には感情が無ぇって思ってんだろ? その先入観こそが間違いだってんだよぉ。中にゃあ、俺様みたいに感情を持つ妖魔も――って言いたいとこだが、よぉ女、お前が背中に隠してる餓鬼は何なんだ? そいつだって感情を持って言葉を発してやがるだろうが、まさか妖魔じゃねえ、なんてくだらねぇこと言う訳じゃあねぇよな?』


「そ、それは――」


『どっからどう見ても妖魔じゃねぇかよ。なぁ?』


 声がしたのはすぐ背後。

 すぐさま振り返るも、妖魔は既に少女の首根っこを掴んで立っていた。


「貴様…!」


『お前にゃ直接恨みはねぇんだけどよぉ。早いとこ殺しとかねぇと、親父が五月蠅いんだわ』


 殺意の籠った視線で、妖魔はその細い首元に鋭い爪を這わせる。

 恐怖に怯える少女は、ついぞ目を閉じてしまった。


『まずはお前からだ、餓鬼ぃ』


「やめ――」


「い、いい、さゆき……」


 刀を振り抜こうとする紗雪を止めたのは、今正に絶命させられそうになっている少女だった。

 握られ狭くなった喉を酷使して、何とか細い声を上げている。


「わたし、さゆきがきらいな、ようまだから……いなくなる、うれし、でしょ……?」


「そ、そんなこと…!」


「わたし、ようま……たぶん、わるいこと、してきたから……これでいい、とおもう……」


「良いわけ……そんなこと……あ、あなたは……」


『――五月蠅ぇ』


 低く言い捨てると、妖魔は首を掴む手に一層力を込めた。


「やめ――!」


 ガギン!


 言いかけた紗雪の言葉は、突如飛来してきた何かが妖魔の手を弾き飛ばしたことで留められた。


『痛ってぇなぁおい、何す――』


 言葉を待たずして放たれた渾身の一刀が、妖魔の頬を掠めた。小川に投げ飛ばされていたユウの攻撃だ。

 追跡者は、その対象を仕留められると決定した瞬間、どうしても意識に少しの空白が出来る。その一瞬に全てを賭けた、ギリギリの奇襲だ。

 一撃目は短刀の投擲、二撃目はその影に隠した、単純かつ効果的な振り抜きの一刀。

 つい先刻までの妖魔であれば簡単に回避出来ただろうが、それだけこの少女の件は優先度が高いらしいことが分かる。


『――へぇ、さっきのが全速じゃなかったのかよ。こいつぁ俺様としたことが見誤った。が、その妖気……お前、面白ぇなぁ、ニンゲン・・・・


 ユウのことを鋭く睨みつけつつ、妖魔は何度か含みあり気に頷く。


「どうして僕が人間だと?」


『さぁな。知りたきゃあ、もっと殺意を高めてから出直して来い』


「人間であればこそ、無暗に力に溺れるようなことはないよ」


『いいや、お前は遠からず辿り着く筈だ。俺様たち妖憑とそう変わらねぇ力になぁ』


 嫌に粘り気のある声で言うと、妖魔は先ほどまでユウの居た小川に少し視線を寄越した。

 その一瞬を見逃さずにもう一撃放とうとするが、妖魔がふと手を離し、力なく落ちてきた少女を抱きとめる為に、ユウの攻撃の手は止まってしまった。


『気が変わった。お前は合格だ、ニンゲン。殺すのは最後にしてやる』


「合格だと?」


『あぁ合格だ。んだよ、おいもっと喜べよ、この妖憑、虎熊こだい様が認めてやったんだぜ?』


 ニヤリと纏わりつくような笑みで答える妖魔。


「お前、名前なんか――」


『おっと、そいつに答えるのはまだ先だ。もっと憎しみを、おかしくなっちまうぐらいの殺意を、俺様たちに向けられるようになったら教えてやる』


 一層強く睨みつけ、視線だけでユウを静止させると、妖魔は目の前の空間を爪の先で切り裂いた。

 その中にはまた別の、おどろおどろしい別の空間が広がっている――が、問題はそこではなかった。


「……っ……! その妖術――」


『その餓鬼のことも、今は殺さないでおいてやる。親父には悪いが、もっと効果的な時がある筈だからなぁ』


 吐き捨てるように言うと、妖魔は切り裂いた空間へと姿を消し、程なく裂け目も閉じてしまった。

 少し経つと、今まで感じていたあの重苦しい妖気も、感じられなくなった。


「ユウ…!」


 呆けていたユウの身体を、紗雪が後ろから腕を回して抱き寄せた。


「お怪我は…!? 打ったところは痛くありませんか…!?」


「雪姉……うん、殴られた腕は多少痛むけど、何ともないよ」


 あまりの慌てように、聊か困りながらも首を振る。


「良かった……良かったです……ユウに何かあれば、私は……」


 そう言いながら紗雪は、回した腕に強く力を籠めた。

 その両腕は、小刻みに震えている。


「ごめん、雪姉。もう大丈夫だから」


「駄目です…! 私が落ち着くまで、しばらくそのままでいなさい…! いいですね…!」


「……分かった、そのままでいいよ」


「当然です…!」


 その言葉の通り、紗雪はユウを離す気はないらしく、より一層力を込めてユウのことを抱き締める。

 その間ずっと、紗雪は嗚咽交じりの呼吸を繰り返していた。

 ユウの方はと言うと、九尾の細胞と適合しているせいか、創傷の治癒速度は並みの妖より幾らも早く、気が付けば、折れたと思っていた腕も元通りになっていた。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?