「楽しんで、か……意思を持った妖魔、だったのかな」
「分かりません。あくまで『そう見えた』という主観に過ぎませんが、どうにもおかしな挙動の数々があったこと、そして異常な強さを誇っていたことは確かです。力を付けた今から考えても、奴らは桁外れに強いと思います。あの時、どうして生きていられたのかは、自分でも分かりません」
「そっか――僕なんかより、よっぽど苦しい話だね、それは」
「天災にでも遭ったものと思えればよかったのですが、そんな理由から、全く思い込むことも出来なくて」
「いや、恨みを持つのは当然だよ。だって――」
すぐ傍らに気配を感じたユウは、言いかけて言葉を切った。
そこには、涙でこれでもかという程に顔を歪め、嗚咽する、妖魔の少女が立っていた。
「えっと……どうしたの?」
ユウが尋ねると、少女は堰を切ったように声を上げて泣き出した。
「さゆき、しんどかったね……ひっく……友達、みんないなくなった……うぅ」
突然の出来事に、ふたりして固まってしまう。
「ど、どうして泣いてるの?」
「だって、さゆき、友達みんないなくなって、ひとりぼっち……わたしもずっとひとりだったから、さみしいの分かる……」
「さ、寂しい……?」
思わず紗雪が聞き返すと、妖魔の少女は間髪入れずに頷いた。
よもや、自分たちと同じように、感情まであるかのような発言までしようとは。
「ありがとう、雪姉の為に泣いてくれて。でも大丈夫だよ。このお姉ちゃん、昔はすっごくやんちゃでね。僕なんかより活発に動き回るものだから、露店のおっちゃんやお偉いさんから、何度も怒られてきたんだから」
「ちょっと、ユウ…! その話は忘れてくださいと、何度も申したではありませんか」
紗雪は頬を膨らませて憤慨した。
ユウが未だ幼かった当時、紗雪は、過去の出来事からあまり誰とも接しようとはせず、常に一定以上の距離を保って生活していた。
そこに、無邪気で恐れ知らずの少年が土足で踏み込んでしまった。
最初こそ心底嫌そうな顔をわざとしていた紗雪だったが、次第に打ち解け、集落の誰とも遊んでこなかった反動からかとても活発に遊びまわるようになった。
その結果、露店主や咲夜、菊理からも叱られ、その度に罰を受けながらも、またユウとともに悪戯な日々を過ごしていた。
今のように落ち着いたお姉さんになったのは、ユウが療養を終え、菊理に師事するようになってからだ。
「そうなんだ……さゆき、今はさびしくないの?」
「えっ? え、っと……ええ、そうですね。ユウと出会ってからというもの、退屈さは感じなくなりましたし、怒りばかりで時間を浪費することもなくなりました」
「それって、楽しい?」
「……ええ、とっても」
少し躊躇いながらも、紗雪は無理やりに作った笑顔と共に、そう答えた。
すると、少女はぱっと明るく笑って、紗雪の手を取った。
瞬間、びくりと震える紗雪だったが、そんなのお構いなしとばかりに、少女は取った手をぶんぶんと振り回す。
「よかった! さみしいだけは、しんどいもんね!」
明るく話す少女に、紗雪は小さく震えながらも、貼り付けた偽物の笑顔は保ったまま。
その僅かな変化に気付いたユウが、わざとらしくないように少女を引き剥がした。
「あ、ありがとうございます、ユウ……」
小さく、ユウにだけ聞こえる程度の声量で礼を言う紗雪に、ユウは無言で頷いた。
「さて――どうしようか。咲夜様に報告したいところだけど、もう随分と進んできたからね」
殺してしまうのは、恐らく簡単だ。殆ど妖気を感じないから。脅威と捉えるのは早計だろう。
刀を抜けばそれだけで、この子の命は奪い取れる。
しかし問題なのは、妖気はおろか、敵意や悪意といった負の感情が、一切感じられない点だ。
妖という存在を敵として見ず、立ち向かって来ない以上、今まで切り捨ててきた妖魔らと同じ扱いをしていいものやら分からない。
報告、という点と併せて考えても、やはり命は奪うべきではない。
きっと、咲夜や菊理も、何か情報が得られるかも分からないことを考え、同じ選択をすることだろう。
腕を組み、少し逡巡。
「よしっ! 君、僕らと一緒にいよう」
「ユウ…!?」
「君が言ったんだ。寂しいのは嫌だもんね」
「わぁ! うん! わたし、さゆきといっしょにいる!」
嬉々としてそう答える少女に、ユウは笑い、紗雪は困惑した。
現状無害であることに変わりはない。裏表を作っている程、器用な性格をしているようにも見えない。
それでも紗雪からしてみれば、どうにも前向きな考え方は出来なかった。
「それにしても、どうしたものか」
「どうしたものか、って、今ユウが一緒に来いと言ったのではありませんか」
「そうじゃなくて、呼び方だよ、呼び方。いつまでも『君』じゃあ可哀そうじゃないか」
「な、名前……? 妖魔にですか?」
「子どもだよ、ただの。それに、これからまだまだ戦闘だって避けられないんだ。なりよりかは、あった方がいいのは間違いないと思うけどね」
そう語るユウの隣で、名前とは何だとでも言いたげに、少女は小首を傾げている。
「君のことだよ。僕がユウ、こっちが紗雪って呼ばれているように、君だけの呼び方を決めようかと思ってるんだ」
「おー。ならわたし、さゆきに付けてほしい!」
少女は、目を輝かせて答えた。
「は、はい……?」
紗雪は戸惑い、反射的に嫌だと言いかけたところで、ユウが「それは名案だ!」と、わざと大仰に割って入った。
思わず睨んで返したが、ユウは優しく笑って頷くばかり。
わざとらしく何かをさせようとする時のユウは、これ以上何か言葉を尽くしたところで覆そうとはしない。考えがあってのことなのだろうが――正直な気持ちとしては、一緒にすらいたくないというのに。
「僕も何個か思いついたんだけどね。センリ、ヨーコ、ノラミ、それから――」
「ユウの名付けの下手さを忘れていました……はぁ。まあ、考えるだけなら了承しますが、期待はしないでくださいね」
紗雪は呆れて肩を落とし、頷いた。
いっそのこと、向こうが嫌がるくらいに拒絶してしまえば、ある種丸く収まるだろうに、そう答えるしかない自分の弱さが、たまらなく嫌いだ。
そんな答えにも、ユウはまた優しく笑い、深く頷く。
それが嫌に刺さって、紗雪はそれ以上踏み込むことも、退くこともしないでいた。
「さゆきたち、これからどこにいくの?」
少女は、紗雪の方を見上げて尋ねる。
「仲間のいる……かもしれないところにね。あっちの方だよ。今日はもう暗くなるから、野営の準備をして、夜を明かしてからになるけど」
そんな紗雪の胸中はよくよく分かっているユウが、代わりに答え、指をさす。
すると少女は、あまりよくない表情を浮かべ、首を横に振った。
「あっち、こわいのいっぱいいたよ。さゆき、あぶない」
「こわいの? 妖魔のことかな?」
「わかんないけど、わたしよりおっきいツノがはえてて、ヘンテコなやつばっかり」
角の生えた異形。妖魔の特徴だ。
それを『危ない』とは。
「それ、君は大丈夫だったの?」
「だいじょーぶ! こっちに向かってきたやつ、みんなやっつけたから!」
「や、やっつけた……?」
「うん! こう、どーんって!」
そう言いながら、少女は空気に向かって殴る蹴るを繰り返す。
それは子どものお遊び程度の動きにしか見えなかったが、それで本当に妖魔を倒して来たというのであれば、話は変わる。
ユウは、つい先ほどまでの考えは改めた。
妖気がない、というだけのことで、肉体そのものの強さは考えていなかった。
(でも……)
まさか、妖魔でありながら、妖魔に襲われ、更にはそれに応戦までするとは。
そんな話、今まで一度も聞いたことがないし、見たこともない。
「うーん……これからは、僕と紗雪が君を護る。だから、なるべく危ないことはしないって約束しようか。出来る?」
「さゆき、わたしをまもってくれるの?」
尋ねられた紗雪は、ユウの無言の圧を受けて、渋々ではあったが頷いた。
今はそう返してくれ、と言われているようだった。
「わかった! わたし、あぶないことはしない! さゆきのうしろにいる!」
「うんうん、それでいい」
努めて朗らかに笑いながら、ユウは頷く。
しかし少女は何を思ったか、紗雪の方へと近付くと、そのわざとらしい表情を覗き込んだ。
「さゆき、わたし、いや?」
鼓動が強く打った。
「い、嫌なわけでは……」
「わたし、やっつける?」
また、強く打った。
「そ、そのようなこと…………」
「いいよ、やっつけても」
あまりにあっけらかんとしたその言い方に、紗雪だけでなく、ユウまでもが呆気にとられ、少女の方を仰いだ。
「それ、は……」
「でもわたし、さゆきをやっつけないよ。きずつけない。だって、やさしいから」
「優しいなど――」
「やさしいよ。だって、わたしがたおれてたとき、さゆきはわたし、すぐにやっつけられたでしょ? でも、やらなかった。とっても、やさしいよ!」
それはおそらく、少女がふたりの会話の中から、自分がどうやら妖魔と呼ばれる種族であり、それがふたりにとって敵であるということを、どこかで理解してしまったからこそ出てきた言葉なのだろう。
それでも、
「わたし、さゆきが、すき! えへへ」
妖魔の少女は、屈託なく笑う。
その笑顔が嘘でないことは分かる。こちらを惑わす為の妄言ではない。
そう分かるから、分かってしまうから、紗雪にはその是非が下せない。
「……ユウ、任せました。少し、頭を冷やしてきます」
それだけ短く言い残すと、紗雪は小川の方へと歩いて行った。
「うん、分かった」
頷き、その背を少し見送っていると、傍から少女が袖を引いた。
「さゆき、おこった?」
困ったような、心配そうな顔で見上げている。
「――いいや。あれは、怒りたい相手がはっきりしないことへの焦燥だよ」
「しょう、しょう?」
「しょうそう、ね。焦り、かな。彼女の境遇がそうさせてるんだけど――あんまり怒らないであげてね」
「おこる? わたし、さゆきには、ぜったいおこらないよ?」
「そう。なら良かった」
「うん! さゆき、わたしにやさしい。それだけでいい!」
「……うん。そうだね」
夕陽に照らされる紗雪の背を見つめながら、ユウは小さく息を吐く。
紗雪は正しい。妖が妖魔に抱く感情として、怒りはもっともだ。
寧ろ――あのような感情を抱かない、妖でない自分の感覚の方が、きっと異常なのだろう、と。