「あむ……んぐ、んむ…!」
近くに見つけた川から獲った魚に、夢中でかぶりつく妖魔の少女。
焼き魚の熱さに驚いたり、それに息を吹きかけて冷まそうとしてみたり、たまに骨が刺さったのか痛がってみたり、その身の美味しさに目を輝かせてみたり――どこにでもいるただの少女のような反応を見せながら、ユウからの質問にも、普通に答えていた。
その中で分かったことは、少女に名前はなく、どこからやって来たのかも分からず、これまでどうやって生きてきたのかも分からないということ――とどのつまり、彼女の素性については一切が分からないということだけが分かった。
敢えて何度も口にした『妖』や『妖魔』という単語にも、特別な反応を示すこともなかった。どころか、ユウと紗雪のことを、欠片も警戒していない始末。
誰が何者なのか、誰が味方で敵か、何がどうなっているのか、そういったことを何も知らない、ただの無垢な子どものようである。
ユウが会話をしている間、紗雪は、殺意は隠しながらも、何か奇妙な動きを見せればすぐに仕留められるよう常に警戒していた。が、その甲斐も虚しく、妖魔の少女はそれに警戒し返すようなこともしなかった。
次第に、紗雪の方から警戒心を解くほどだった。
「ユウ、これは……」
「うん、ただの子どもだね。僕らのよく知る。もはや、やや負の混ざった妖気があるってだけで、妖魔かどうかすらも怪しい」
「……昔の、可愛い頃のユウみたいですね」
「僕も似たようだと思ったけど、雪姉と出会った頃の僕は、酒呑童子との邂逅を果たした後だった。だから、多少の世界の汚さ、みたいなのは理解していた。けど、この子はどうも違う。一切の悪意を知らない、生まれたばかりのような、本当の意味での無垢だ」
話すことにも疲れたのか飽きてしまったのか、夢中で魚にかぶりつく妖魔の少女。
ふたりは少し離れて、その姿を改めて観察する。
「こうして見ていると、本当にただの少女のようですね。奇妙なことに」
「ほんとにね。魚だって、何となく差し出しただけだったけど、まさか食べるなんて。いやそれ以前に、空腹感を覚える妖魔なんて、僕だって出会ったことがない」
妖魔は、空気中に満ちる妖気や、殺めた妖の妖気を吸収することで、己の生命力とする。何かを食べるにしても、それは妖を真似て悪戯に齧ってみているだけで、生命維持の為の食事というわけではない。
「妖魔であって、妖魔でない……ねえ、ユウ。私、自分たちと同じ言語を話す妖魔とは初めて出会いましたが、酒呑童子も、このような存在だったのでしょうか?」
「うーん、どうだろう。この子ほど、意味のある言葉を重ねて使っていた記憶はないな。でも、どちらにしても同じような音を出していることは確かだ。ともすれば、妖魔が言葉を話すってことも、さほど珍しいことじゃないのかもしれないね。僕らが出会ってきた妖魔の大半が、基本的にそう強くない奴らばかりだったからね。僕の元居た世界にも、ニンゲンの言葉を真似る鳥とかいたらしいし」
「そうなのですか……私、色々と分からなくなってきました……」
「雪姉は、殊更妖魔を嫌ってるもんね。そういう妖も、珍しくはないけど」
紗雪は妖魔に対し嫌悪感を持っている。
ただ、ユウが知っているのは、その事実だけ。
理由に関しては、触れるべくではないからと、尋ねたことがなかった。
「……ユウの話ばかり聞いて、私がずっと隠したままなのは、不公平ですよね」
「嫌なら、無理に話さなくてもいいからね」
ユウの言葉に、紗雪は少し考え込む。
「……ちょっとだけ、昔話をします」
呟くように言うと、何度か深呼吸をして息を整えてから、思い切って口を開いた。
それは、紗雪がユウと出会う、遥か昔の話。
紗雪の暮らしていた集落は小さく、何十名もいない雪女の一族だけで、密やかに暮らしていた。
雪女は、妖の中でもとりわけ長命であると同時に、ニンゲンでいう成人を迎えた辺りからは見た目・体内組織共の老化が止まり、常に若々しい容姿と体力を備えたままで最期の時を迎える。
その特異な体質を持つ雪女は、昔から『不老不死の薬を作れる』と宣う一部の者によって、命を奪われる運命を辿って来た。
それら脅威を常に警戒する生活は、とにかくも息の詰まるものだった。
そんなある日――集落が、無残にも落とされてしまった。
しかし、原因は妖ではなく、たまたまそこを通りがかった妖魔の群れ。
普段なら簡単に対処出来た筈だったが、その妖魔らは異常な強さを持っており、折に触れて雪女たちを挑発、時に品定めするような行動をとりながら、楽しそうに殺して回っていたのだ。
ただその本能ゆえに殺されてしまったのなら、ある意味まだ気持ちの整理はついた。仕方のないことなのだと、時間をかけてなら飲み込むことが出来ただろう。
ただ、その許されない数々の行動ゆえに、紗雪は、妖魔に対し並々ならない嫌悪感を抱くようになった。
当時、集落の中で最年少でありながら、一族の中でも並外れた妖気を持っていた紗雪は、他の仲間たちに存在を隠され、護られた。
その過程で、紗雪はその惨状を間近で見てしまったのだった。
怒りに身を任せ、我を忘れ、楽しみながら仲間を殺して回っていた妖魔を、自身も傷つきながら何とか一掃したが、それらを統率していたらしい親玉一匹だけ取り逃がしてしまった。
全壊した集落を出て、それを追いかける道程で、見かけた妖魔を片っ端から斬り捨てながら当てなく彷徨っていたところを、当時最前線で戦っていた咲夜、そして菊理に保護される形で桜花へとやってきた。
後に、件の親玉は咲夜が倒していたことを知った紗雪は、桜花にいる意味もないからと、跡形もなくなってしまった集落へと帰ろうと試みる。
傷が癒えたらすぐにでもここを発とう――そう思いながら暮らしていた日々の中で、これまで体験したことのない温かさに触れる内、桜花の皆を護りたいと思うようになる。
日々が過ぎ、傷が癒えた紗雪は、自身の素性とこれまでの経緯を話すと同時に、咲夜へと弟子入りを志願した。
そんな言葉を、咲夜が特段驚くこともなく受け入れたことも、紗雪の凍り付いた心を、更に少し溶かすことにも繋がったのだった。