最後の一体が霧散したのを確認すると、息の揃った納刀で場が収まった。
「お疲れ様です、ユウ。給水は?」
「必要ないよ、ありがとう。それより――」
「はい。おそらく、私が感じていることと同じかと」
「だよね。ここらにいる妖魔にしては、強すぎる。まだまだ監視所までは遠いって言うのに」
「嫌な予感がいたしますね」
「やめてよ、雪姉の予感はよく当たるんだから」
ユウは心底嫌そうに肩を落とした。
紗雪の直観はよく当たる。これまで同道した任務で、それには何度も助けられたものだ。
「まあでも、妖気を感じることが出来ない僕でも気付くくらいだからね。緊張感は常に持っていこう」
「はい。私は左右と後方を、ユウは前方をお願いします」
「だね。それじゃあ――」
と、言いかけた矢先。
遠くの方で、何かが落ちるような音が響いた。
気配も感じない奇襲か――ふたりして瞬時に刀の柄に手を添えながら、臨戦態勢をとる。
そうして音のした方に視線を寄越してみると、
「……なんだ?」
何かが落ちている、いや倒れているらしく見えるそれは、暫く見つめていても動かない。
「誰かが倒れている……? 子ども、でしょうか」
遠目にもそれは、ユウや紗雪より幾らも小さく見えた。
自身より遥かに目の良い紗雪の言葉に、ユウは刀から手を離し、倒れているものの方へと向かって歩き出した。
「ちょっと、ユウ…!?」
「分かってるって、罠の可能性を忘れるな、でしょ」
振り返ってそう答えながら、ユウは手を振りつつも立ち止まらない。
あまりの警戒心の無さに呆れながらも、妖気が感じられないことが分かると、紗雪もその背を追って駆けだした。
罠も奇襲もなく薄れかけていた警戒心だったが、一歩、また一歩と近付くにつれ、緊張感がふたりを襲う。
「この子……」
「ええ。近付かなければ分からない程に微弱ではありますが、妖気を感じます。それも、妖魔の」
ユウや紗雪と同じヒト型。身の丈は、ユウがここへ来た六つの頃と同じくらい。
しかしその身からは、確かに妖魔の妖気が漂っている。小さいが、一本角もある。
一本角は、妖魔の特徴だ。
「妖魔、と呼ぶには聊か弱すぎるようも思えますが。とりあえず――」
言いながら、紗雪は仕舞っていた刀を抜き払い、構えの姿勢をとった。
「雪姉…!?」
「妖魔だと分かった以上、斬るのが我々の仕事です」
「子どもだよ」
「見た目だけです。妖気は確かに妖魔のもの」
「でも、僕らと同じ形だ」
「…………」
毅然とした態度で言いながらも、紗雪はその違和感にも気が付いていた。
妖魔は、自然の中に溢れる負の念が、酒呑童子の妖気に呼応することで生まれる存在だ。
その姿形に法則性はなくバラバラで、ただ一本の角を持っているということ、そして負の妖気を持っているということ、そして言葉を持たないという点が判断基準だ。
妖が共通して持つヒト型、或いは動物のような形、といった分かりやすい形式上の概念はなく、そもそもからして男女や大人子どもといった枠組みすらもない。
過去、ヒト型に近い者が発見された事例もあるが、何れも同じ筋肉や神経系といった組織すら持っていない、中身の無い、ガワだけのただの塊だった。
それが、ヒト型で、且つ女の子なのだろうと分かる形で、筋肉を使った呼吸を繰り返している。
妖気は、確かに妖魔のものだ。
小さいが確かに角もある。
しかし、ヒト型だ。
それら矛盾の数々に、紗雪は『本当に斬ってしまってもいいのだろうか』と聊かの躊躇いを覚えていた。ユウの言葉に間が生まれたのは、そのためだった。
ただそれは、冷静に物事を分析した上での話。
気持ちの上では、それを取り逃がすなどという考え自体はなかった。
「では、如何いたしますか? このままでは何も進展しません」
紗雪の言葉に、ユウは少し考えた後で、その身体に両手を伸ばした。
「ユウ……?」
「一旦、介抱しよう。起きた時、もし僕らに牙を剥くようなら斬る、そうでないなら話を聞く。目も明けないまま絶命したならそれでよし。どう?」
「……正気ですか? それに、妖魔と会話をするなどと、本気で言っているのですか?」
「冗談を言っているように見える?」
そう尋ねるユウの目に、濁りは無い。
冗談だとは思えない。
それが分かってしまうから、紗雪は息が詰まりそうな程に複雑な気持ちを覚えてしまうのだ。
「分かってる、妖魔は敵だ。でも、だからって敵意のない子どもを放ってはおけない」
「子、だなんて……はぁ、分かりました。ですが、その時はその時ですからね」
「勿論。僕もそこまで情けをかけるつもりはない。ただ、運が良ければこれは貴重な情報源にもなるんだ」
「嘘を仰いなさい。先ほども言っていましたが、話しも出来ない妖魔から、何を得るというのですか?」
「あれ? ああ、そうか。雪姉は知らなかったんだ」
「知らない? 何をです?」
「咲夜様の話では、かの酒呑童子は、流暢な言葉を話したらしい。これまでの文献にも口伝にも、そんな記述はなかったのに、だ。僕も、短い単語の幾つかだけだけど、聞こえたのを覚えてる」
「言葉を? 妖魔が……? そんな馬鹿な話が……」
「あるんだよ、事実。だから、こんな姿をしているこの子からも、ひょっとしたら何か聞けるんじゃないかと思って」
「咲夜様の言葉を疑うわけではありませんが、やはり信じられません。そのようなことがあるわけ――」
紗雪が首を振りかけた、その時。
「ぉ……」
横たわる妖魔の子が、何か小さく音を出した。
声かどうかも分からないそれに驚きながらも、警戒しつつ続く言葉を待っていると、
「ぉ……おなか……すい、た……」
「「…………へ?」」
あまりに拍子抜けする言葉に、ふたりして素っ頓狂な声を零してしまった。