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第3話 おなか、すいた

 最後の一体が霧散したのを確認すると、息の揃った納刀で場が収まった。


「お疲れ様です、ユウ。給水は?」


「必要ないよ、ありがとう。それより――」


「はい。おそらく、私が感じていることと同じかと」


「だよね。ここらにいる妖魔にしては、強すぎる。まだまだ監視所までは遠いって言うのに」


「嫌な予感がいたしますね」


「やめてよ、雪姉の予感はよく当たるんだから」


 ユウは心底嫌そうに肩を落とした。

 紗雪の直観はよく当たる。これまで同道した任務で、それには何度も助けられたものだ。


「まあでも、妖気を感じることが出来ない僕でも気付くくらいだからね。緊張感は常に持っていこう」


「はい。私は左右と後方を、ユウは前方をお願いします」


「だね。それじゃあ――」


 と、言いかけた矢先。

 遠くの方で、何かが落ちるような音が響いた。

 気配も感じない奇襲か――ふたりして瞬時に刀の柄に手を添えながら、臨戦態勢をとる。

 そうして音のした方に視線を寄越してみると、


「……なんだ?」


 何かが落ちている、いや倒れているらしく見えるそれは、暫く見つめていても動かない。


「誰かが倒れている……? 子ども、でしょうか」


 遠目にもそれは、ユウや紗雪より幾らも小さく見えた。

 自身より遥かに目の良い紗雪の言葉に、ユウは刀から手を離し、倒れているものの方へと向かって歩き出した。


「ちょっと、ユウ…!?」


「分かってるって、罠の可能性を忘れるな、でしょ」


 振り返ってそう答えながら、ユウは手を振りつつも立ち止まらない。

 あまりの警戒心の無さに呆れながらも、妖気が感じられないことが分かると、紗雪もその背を追って駆けだした。

 罠も奇襲もなく薄れかけていた警戒心だったが、一歩、また一歩と近付くにつれ、緊張感がふたりを襲う。


「この子……」


「ええ。近付かなければ分からない程に微弱ではありますが、妖気を感じます。それも、妖魔の」


 ユウや紗雪と同じヒト型。身の丈は、ユウがここへ来た六つの頃と同じくらい。

 しかしその身からは、確かに妖魔の妖気が漂っている。小さいが、一本角もある。

 一本角は、妖魔の特徴だ。


「妖魔、と呼ぶには聊か弱すぎるようも思えますが。とりあえず――」


 言いながら、紗雪は仕舞っていた刀を抜き払い、構えの姿勢をとった。


「雪姉…!?」


「妖魔だと分かった以上、斬るのが我々の仕事です」


「子どもだよ」


「見た目だけです。妖気は確かに妖魔のもの」


「でも、僕らと同じ形だ」


「…………」


 毅然とした態度で言いながらも、紗雪はその違和感にも気が付いていた。

 妖魔は、自然の中に溢れる負の念が、酒呑童子の妖気に呼応することで生まれる存在だ。

 その姿形に法則性はなくバラバラで、ただ一本の角を持っているということ、そして負の妖気を持っているということ、そして言葉を持たないという点が判断基準だ。

 妖が共通して持つヒト型、或いは動物のような形、といった分かりやすい形式上の概念はなく、そもそもからして男女や大人子どもといった枠組みすらもない。

 過去、ヒト型に近い者が発見された事例もあるが、何れも同じ筋肉や神経系といった組織すら持っていない、中身の無い、ガワだけのただの塊だった。


 それが、ヒト型で、且つ女の子なのだろうと分かる形で、筋肉を使った呼吸を繰り返している。

 妖気は、確かに妖魔のものだ。

 小さいが確かに角もある。


 しかし、ヒト型だ。


 それら矛盾の数々に、紗雪は『本当に斬ってしまってもいいのだろうか』と聊かの躊躇いを覚えていた。ユウの言葉に間が生まれたのは、そのためだった。

 ただそれは、冷静に物事を分析した上での話。

 気持ちの上では、それを取り逃がすなどという考え自体はなかった。


「では、如何いたしますか? このままでは何も進展しません」


 紗雪の言葉に、ユウは少し考えた後で、その身体に両手を伸ばした。


「ユウ……?」


「一旦、介抱しよう。起きた時、もし僕らに牙を剥くようなら斬る、そうでないなら話を聞く。目も明けないまま絶命したならそれでよし。どう?」


「……正気ですか? それに、妖魔と会話をするなどと、本気で言っているのですか?」


「冗談を言っているように見える?」


 そう尋ねるユウの目に、濁りは無い。

 冗談だとは思えない。

 それが分かってしまうから、紗雪は息が詰まりそうな程に複雑な気持ちを覚えてしまうのだ。


「分かってる、妖魔は敵だ。でも、だからって敵意のない子どもを放ってはおけない」


「子、だなんて……はぁ、分かりました。ですが、その時はその時ですからね」


「勿論。僕もそこまで情けをかけるつもりはない。ただ、運が良ければこれは貴重な情報源にもなるんだ」


「嘘を仰いなさい。先ほども言っていましたが、話しも出来ない妖魔から、何を得るというのですか?」


「あれ? ああ、そうか。雪姉は知らなかったんだ」


「知らない? 何をです?」


「咲夜様の話では、かの酒呑童子は、流暢な言葉を話したらしい。これまでの文献にも口伝にも、そんな記述はなかったのに、だ。僕も、短い単語の幾つかだけだけど、聞こえたのを覚えてる」


「言葉を? 妖魔が……? そんな馬鹿な話が……」


「あるんだよ、事実。だから、こんな姿をしているこの子からも、ひょっとしたら何か聞けるんじゃないかと思って」


「咲夜様の言葉を疑うわけではありませんが、やはり信じられません。そのようなことがあるわけ――」


 紗雪が首を振りかけた、その時。


「ぉ……」


 横たわる妖魔の子が、何か小さく音を出した。

 声かどうかも分からないそれに驚きながらも、警戒しつつ続く言葉を待っていると、




「ぉ……おなか……すい、た……」




「「…………へ?」」


 あまりに拍子抜けする言葉に、ふたりして素っ頓狂な声を零してしまった。

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