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第12話 師弟

 菊理から受ける修練の日々は、それはそれは過酷で辛いものだった。

 最初の方は優しいかに思えた日程も、日々確実に増え、決して減ることはなかった。

 しばらくすれば、それについていけるだけの体力、筋力、ある程度の技術も身についてはいったが、そうなったらそうなったで、それに見合った辛さへとまた内容が引き上げられる。


 とにかくも上へ上へ。

 ただひたすらに登り詰めるだけの日々が、数年続いた。


 月日を重ね、成熟し、十分な体力と体格が身に着いてからは、本格的な戦闘技術の習得訓練が始まった。

 ユウの最終目標は、言わずもがな酒呑童子――本心では、始めの内は半ば馬鹿にもしていた菊理だったが、ここへ至るまで決してさぼらない真面目さ、日程を確実にこなす本気さを見続けている内、その目標へ向かう為の内容を、真面目に考え始めるようにもなっていた。

 敢えて、入隊までに必要なこと以上の内容を課していたというのに、それに退かないどころか、負の感情を吐露することすら一切ないとは。

 幼子の口にした覚悟を、完全に舐めていた。


 実践、特に集団戦、或いは長期戦に於いては、ただ刀を振るうだけでは意味がない。

 重い得物を我武者羅に振り回していたのでは、簡単に体力が底をついてしまう。

 そういった戦場で求められる技術は、いかに温存しつつ、繰り出す攻撃の全てを確実なものと出来るか、その上で長い時間戦い続けることが出来るか、だ。

 それには基本的な型、それを応用した型、技術、それらを総合して実践中に取捨選択する頭と、とにかくも効率のよさが求められる。

 現場から長期間離れていた咲夜が、あの一戦で何百もの妖魔を斬ることが出来たのも、身に着いたそれら基礎、基盤が有ればこそ。刀一本、己の肉体一つだけで、妖術さえ使っていなかったのだから。

 結果的には体力が底を尽きてしまったが、普通の部隊員であれば――否、菊理ですら、気合い気合いで限界を超え続けなければ、咲夜にはついていけなかった。

 咲夜とは違って菊理はそれらを蔑ろにしてきた過去があったからこそ、その大事さを誰より理解している。

 教えを乞うには、正に適任というわけだ。






「ユウ。戦場で誰より生き残る確率が高いのは、どういう奴だと思う?」


 真剣による、緊張感漂う修行の最中、絶え間なく剣戟を重ねながら、菊理がユウに問いかけた。


「い、生き残る者……っと! えっと、誰より強い者、ですか――ねっ!」


 返答の影に隠した奇襲を、


「否!」


 いとも容易くいなしながら、更にその影から菊理が攻撃を繰り出した。


「答えは、誰より臆病な者だ」


「ちょ、あっぶな…! 師匠、これ真剣ですよ、真剣!」


「当然だ。この程度のことで死ぬようなら、あいつを護る等とは夢物語に過ぎん」


「とは言っても、完全に殺す気満々の一撃だった……って、それより、臆病者が生き残るって、どういうことです? 当然じゃありません?」


「いいや。前線に於いて臆病とは、言い換えるなら『慎重』であるということだ。その点で言うと、お前は今、臆病にも私の予期せぬ一刀を、受けるではなく避けてみせた。褒められる点だ」


「それはそうですが、だから何だって言うんです――かっ!」


 気合十分、最も得意とする出の早い技で応戦するが、それすらもするりと避けられ、更にもう一撃を返される始末。


「私は、死というものが大嫌いでな。散っていった者たちには、惜しみない称賛と祈りを捧げていると断言した上で言うが、戦場での死など、正直なところ糞の役にも立たん。英雄面した自死などもってのほかだ。生き返って、その次、更にその次にまで出て行ける者の方が素晴らしい。そうは思わんか?」


「それは――確かに、そうですね」


「生きて帰って来られなければ意味がない。そう出来ない実情、戦況の変化等はどうしてもあることだが、理想は命あってのものだ」


 現存する大半の妖より多くの年月を生き、誰より多くの戦場に立ってきたからこそ、菊理はその重みを誰より知っている。そのつもりだ。

 新しく知り合う数より、見送ってきた数の方が、圧倒的に多い。

 ニンゲン、それも戦場には未だ立ったことのないユウだが、その年齢を知っているだけに、どれほど過酷なものであったかは、知らない中でも容易に想像がついた。


「……当然、ですね」


「同じ思いで助かるよ」


 ほっとしたように柔らかな声で言った、そのすぐ後で、


「であればこそ、お前にはこれから、死ぬ気でその臆病さを身に着けてもらう。己が命第一、安全第一、自らを危険に晒すような応戦は許さん。それを常に頭に入れておけ」


 毅然とした態度で言い放つ。


「……嫌な予感しかしませんが」


「口を動かす暇があるなら、私の一挙手一投足に注力しろ!」


「うわっ…!」


 会話が途切れ、気の抜けたその一瞬に、菊理は刀を振り下ろす。

 すんでのところで避けることは叶ったが、それは今までで一番速い一太刀だった。


「よく避けた、とは言わん。今のは私が狙ってやらなかっただけだからな。しかしこれからの日々、何時如何なる時であっても、その軌道を教えはせん。睡眠散歩食事中、寝起きに夜陰――何処からいつ襲われるとも分からん私の刃を、一太刀も浴びるな。今振ったのは模造刀だったが、これもいずれ真剣に変える。その時期も教えん。良いな?」


「そんな滅茶苦茶な――って、ちょっ…! 痛っ…!」


 今度はその言葉の通り、避けたと思えた刃は腕を掠り、鋭い痛みを残した。

 これがもし真剣であったなら、早くも美桜の医務室送りとなってしまっていたところだ。


「し、師匠……」


「あの時、幼子でありながら咲夜を護ってくれたことには頭が上がらん。今もだ。何度礼を言っても足りん」


 振り下ろされる攻撃は鋭く、しかし声音はどこか芯が無い。


「が、あの場が収まったのは奇跡も奇跡だ。お前も含め全員が絶命していたはずの状況だった」


「そ、そんなこと――」


「故に、咲夜の代わりに私が問う。こうして命ある今、その命を咲夜の為に再び使おうなどと宣うお前の言動、それに伴う行動は、不可解が過ぎる。理解が出来ん。こうして何年も経ったが、どうして心が折れんのだ」


 それは、当然の問いかけだった。

 そしてユウ自身、他の者らと違って唯一のニンゲンであるが故、これまで何度も考えてきたことでもあった。


 ただ――その度、出てくる答えは一つだけで。

 それ以外の答えが、寧ろ考えても考えつかなかったのだ。


「師匠……」


 それは、自分に問いかけているようにも聞こえた。

 ニンゲンでありながら身を挺し、剰え立ち向かって見せたユウ。

 戦ったことすら、いや、そもそも戦いの場ですらない土地で育った子どもが、どうしてあそこで心折れなかったのか。そうなっても当然のところ、誰より前線に立つ部隊に入りたいと口にするだけでなく、それが嘘でないことを証明するかのように、日々の修行に耐え、確実な成長をして見せてきた。

 菊理とて、あの場で咲夜を護り時間を稼ぐことはした。が、後に全てが無事に済んだと分かってから、それ以上のことを望もうとはしなかった。

 未だ会議の域を出ないものではあったが、心のどこかで、アレには敵う筈がないと蓋をして、まだ向上しなければ、と思い至ることが出来なかったのだ。

 今でこそ疑うことなく信じると決めたとは言っても、酒呑童子を倒そうなどと宣うことも、心の底では笑い、馬鹿にし、どうせ無理だと思いもした。


「せっかく助かった命なのだ。叶うか否かも分からん結果の為に、どうしてそこまで意地になる。休み、時間を過ごし、咲夜が巡礼を無事終えるまで待っていればいい。妖気など、何とかなるかも分からない。先のことは、良くも悪くも分からんのだ。にもかかわらず、なぜだ?」


 それを、どうして幽世のことを何も知らないニンゲンの子どもが、信じ、疑うことなく続けることが出来るというのだろう。

 肉体も精神も成熟し、物事を見極める術も身につけていながら、どうして諦めずにいられるのだろう。

 そんな意味合いが含まれていることすら、ユウは敏感に感じ取れるというのに。


「師匠……恐れ多いこととは思いますが、僕はきっと、咲夜様に好意を抱いているんです。偶然出会った、あの時から」


「そんなことは――」


「ええ、知っていますよね。だからですよ。だから僕は、あの方のために戦いたいって思った。誰からも向けられたことのない笑顔を、友人のような気楽さを、親のような愛情を、ニンゲンである僕に教えてくれた……そんなあの方の為に、何を惜しむ必要がありますか」


「お前は……お前は、たったそれだけのことで……?」


「それだけのこと、じゃありません。とてつもなく大きなことなんです、僕にとっては。親も友人もいない身ですから」


「……そのようなことを、以前言っていたな」


「ええ。だから、僕はあの方の為になりたい。誰より優しくしてくれたあの方の恩に、命の限り報いたい。ただ、それだけなんです」


 嘘も、躊躇いも、何もない口調。

 図らずも、聞きたかった以上のことを聞けてしまった菊理は、一度刀を下ろし、深く息を吐いた。


「…………そうか」


 小さく呟き、一息ついたところで、


「相分かった!」


 言葉と同時、これまでで一番速いだけでなく、更に重い一撃を放った。

 ユウはそれを難なく避けて、笑みを返しながら短刀を握り直す。


「ならばお前には、存分に強くなってもらわんとな。私ごときに勝てん奴が、私より遥かに強い咲夜を護ろうなどとは、笑い話にもならん。ましてあの悪鬼を討とうなどとは、寝言にも勝らん妄言だ。妖術を使えん私に師事したこと、今更後悔するまいな」


「当然…!」


 一歩、大きく踏み込み、ユウは渾身の一撃を放つ。

 簡単に受け止められるに終わった一太刀だったが、菊理は馬鹿にするどころか、ニヤリと悪戯に笑ってみせた。


「それでいい。言われたことだけやっている馬鹿は、いつまで経ってもそれ以上にはなれんからな」


「お褒め頂きどうも。なら僕も、そろそろ馬鹿は卒業して、遠慮なく師匠に傷をつけてもいいってことですよね。師匠の意地悪さまで全部、吸収していってやりますよ」


「出来るものならやってみろ、小僧。私はその未知数な未来に、この『命』を賭けてやる!」


「……っ……!」


 あの日、あの庭園で、菊理はユウに、死んでも護ってやると口にした。

 それは極端に言い換えれば、少なくともそれまでは自分よりも弱いままだろうからな、とも取れる。

 それが今は、賭けてやる、だなんて。

 あまり冗談を言うことが好きでない性格も、よく知っている。


「――ありがとう、ございます」


 その言葉を、確と飲み込んで。

 ユウは益々の覚悟で以って、続く一太刀を繰り出した。







 そうして更に、数年が経ち。


 九重悠希、十七歳――その年、狐乃尾への配属が決まる。


 仕事をこなし、着実に武功を挙げて、更に一年。


 ユウは、千年巡礼参加の決定けつじょう、それに先駆け、第一部隊副長を拝命することとなった。

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