「――いいのか?」
「ええ、もう大丈夫。それに、これは巫女である私の口から説明しなければなりません」
「そうか。ならば代わろう」
菊理は数歩横へと移動し、咲夜とユウとを向かわせた。
「せんねん、じゅんれい……ハクさまが、まえに言ってたような……おまつり、なんですよね?」
聞き覚えはある。が、思い出せる程の印象はない言葉だ。
きっと、会話の端に添えられたか、漏れ聞こえてきたか、その程度のものだったのだろう。
「千年巡礼――それは、私たち妖の、いええ、私を含む極一部の妖のみが知る、妖という種それ自体にとって、最も大切な使命を指す言葉なんです」
「し、しめい……おまつりじゃないの……?」
「ええ。少し、難しい話にはなりますが――」
千年巡礼。
一般の妖、城内でも一部を除く殆どの者は皆、それを千年に一度の祭典だと思い込んでいる。
しかしそれは、長年かけて国が吐き続けている嘘であり、その実態は、先年に一度執り行われる、ある重要な役目を指す言葉であり、その中心に立つのが、巫女と呼ばれる立場にいる咲夜なのである。
「みこ……そういえば、みおさんも、さくやさまのことを『みこさま』ってよんでました……」
「それは、私の役目、そして立場を指す言葉なんです。巫女とは、悪鬼酒呑童子を封印する為の妖気、そして妖術を使える身体を持って生まれた、『九尾』という種族のことを指します。前任であった祖母、
「ふういん……しゅてんどうじって、あのこわいやつだよね……?」
咲夜は深く頷いた。
「全ての妖魔を統べる長、負の感情の権化……あなたも目にしたあの怨嗟の塊こそが、酒呑童子。巫女、それに連なる一部の妖が、全ての妖の為に目指す、千年に一度の最終目標なのです」
「ふういん……あれを、ふういん……」
幼心にも、短時間でも相対していたユウには、酒呑童子がどれほどの脅威であったのかは分かっている。
あれを封印するだなんて、そう簡単な話ではない。
何があったか後退したとは言え、実際こうして皆がやられてしまったのだ。
「ユウの想像通りです。ええ、あれを封じるのは容易ではない。その為の、巡礼というわけです」
ユウが頭上にはてなを浮かべた様子を見て、咲夜は更に頭の中で噛み砕く。
「九尾の巫女という存在は、数多いる妖の中で最も強い妖気を、生まれながらにして携えています。が、それだけでは酒呑童子には遠く及びません。そこで、それに足る力を得るべく、巫女は先年に一度、『日本』へと赴くのです。それが直近、十数年後のことになります」
「に、にほん……えっ、でも、ここってゆめのなかって……」
「ごめんなさい、それは私の吐いた嘘……愚かでした。後々、あなたがこの世界へと来ることがなくなれば、話す理由もない筈だったのです」
「ゆめじゃ、ない……? じゃあ、このせかいって……」
ますますのはてなを浮かべるユウに、咲夜は一呼吸置いてから続ける。
「私たちの住まうこの世界は、ユウたちニンゲンの住まう世界で、一部からは『
「すぐとなり……」
「ええ。そしてここ幽世は、貴方たちニンゲンの、信仰心によって成り立っています。神社に参ったことはありますか?」
「う、うん、おじいちゃんたちと」
「あの時にするお祈りがいい例です。その祈りは神社の境内で妖気として蓄えられ、それを、我々が酒呑童子の復活する前年を通して集めて回る。それを持ってまたこちらへと戻り、千年先まで酒呑童子を封印する――と、簡単に言えばそういうことです。直前である前年まで待つのは、ぎりぎりまで妖気を蓄えておく為ですね。そんな循環、世界が出来てしまったのは、どこからともなく現れた負の権化、悪鬼酒呑童子が原因です。それが一度、現世を完全に壊しかけてしまったことがありました。それに対抗する為に、我々という存在が出来あがった――順を揃えると、酒呑童子が生まれ、それが現世を壊しかけ、抑止力の為に幽世が出来上がった、となります」
「ぼくたちのせかい、にほんに……あれ? でも、それならぼくは、にほんにかえれるんじゃ……」
「いいえ。先ほど申し上げた通り、現世と幽世は、互いに断絶された世界です。信仰心、言い換えるなら目に見えない存在から成る私たちであるからこそ、私たちは現世では実体を持てません。ニンゲンには見えない存在、というわけです。半妖となったユウも、恐らくは同じか、少し違っても近しい存在となっている筈です。仮に私の細胞を取り込んでいなくとも、こちらの理に準ずることが出来る身体にしてしまった以上……」
「そうなんだ……じゃあ、さくやさまたちは、かみさまなの……?」
「この世界では『妖』と統一されていますが、ニンゲンからすれば、その認識でも正しいのでしょう。神仏への信仰心によって成り立っているわけですから。もっとも、その信仰心というものも、現代ではかなり薄れてきてしまっているようですが……彼奴が千年より早く目覚めたのも、恐らくはそこが関係しているかと考えています。封印とは言っても、それはこの世界の理。その理を形成する基盤である信仰心が少なくなる、或いは弱って来ようものなら、封印も弱ってしまう道理ですから」
「す、すごい、かみさま……」
ユウは、思わず言葉を失った。
それが手の届かない存在であると、どことなく想像出来てしまったからだ。
「そこで、重ねてお詫びを申し上げたいのが……あの場で酒呑童子が貴方に矛先を向けたのは、私が貴方を『ニンゲン』と呼んでしまったからです。彼奴の最終目標は、現世を壊すことですから……そのことについても、心の底から謝罪致します。汚い言葉の数々を浴びせたこと、本当に申し訳ございませんでした」
「い、いいですよ、そんなこと。ほんとうに思ってないって、今わかったから。それより、じゅんれい、って、けっきょくなんなんですか?」
ユウは首を振り、話の続きを促す。
「目的は、今お伝えしたように、酒呑童子を封じる為の力を得ること。その源となるのは、日本の土地に根付く、そして蓄えられた信仰心。ニンゲンによる千年分の信仰心を、各地を回って妖気としてお借りする。その見返りとして、酒呑童子を封じることで千年先までの安寧を保証する。その一通りの巡業を、我々は巡礼と呼んでいます」
「……つまり、さくやさまは日本にいって、力をもらって、あのばけものをやっつけるってこと?」
「やっつけられれば、尚良い話なのですが。残念ながら、巫女の身に出来るのは、あれを封じることまでです。誠に歯痒い話です」
「ふうじる……」
「ええ。しかし、今回は千年先までは約束出来ないかも分かりません。私が貴方に施した施術は、かなりの妖気を消耗してしまいましたから」
「それって、わるいことなの……?」
「結論から言ってしまえば。私、いえ、九尾の妖気は、幽世と現世を繋げる、唯一の力を持っています。が、行けたからと言って、一年近くもそれを維持出来る訳ではない。故に、長年溜め続けてきたのです。通年、何名もの妖が現世でも生きていけるだけの妖気を。とは言っても、貴方の為にやった結果だ、とも言えません。何せ、私はこれまで、少しずつではありますが、事ある毎に妖気を使用してきましたから。全ては私が至らぬせいで招いた結果……貴方のことも併せて、改めて、申し訳ございません……」
頭を下げ、気が付けば涙まで流していた咲夜。
しかしユウは、明るく笑って首を振った。
「さくやさまがいないと、ぼくはしんじゃってたんですよね? じゃあ、ありがと! さくやさまがいてくれて、よかった!」
「ユウ――貴方は……」
「ぼくね、すっごく山おくにすんでるから、友だちなんてぜんぜんいないんだ。さくやさまとくくりさま、あとハクさまだけなんです」
ユウの話を、咲夜はただ黙って聞くことしか出来ない。
「おじいちゃんもおばあちゃんも、すごくやさしくしてくれるけど、やっぱりぼくとはちがくて。ふたりとも、足がわるくてはしれないし、むずかしいことばもいっぱいつかうし、ぼくもめいわくかけちゃう……だから、さくやさまをまもれたなら、それでよかったって思ったんです」
「良かったなんて……妖ですよ、我々は」
「ちがう、さくやさまだよ! ぼくのおともだちで、みんなのみこさま? で、くくりさまとわるぐちを言いあってる」
「ぷっ――ははっ! 悪口か! ああそうだな、咲夜と軽口を叩ける相手など、私くらいのものだからな! くくっ!」
「ちょっと、クク…!」
「あはは!」
憤慨する咲夜に、菊理はなおも豪快に笑う。
それに釣られるようにして、ユウも気が付けば笑っていた。
そうして落ち着き、聊か冷静になった頭で、ユウは考える。
「……ねえ、さくやさま。ぼくはそれでもいいんだけど、日本にはかえれないんですよね?」
「そのことについても、これから話そうかと考えていました。答えとしては、一つだけ方法があります」
「どんな?」
「巡礼にて得た妖気で、貴方から私の細胞を切り離します。美桜の話では、貴方の心臓それ自体に傷はついていないようでしたから。しかし、止まってはいます。今貴方が息をし、動いていられるのは、仮死状態とも言える状態である心臓を、私の細胞で補助し、無理矢理に動かしてあげているから。ですので、時間をかけ、妖の再生力が作用し身体が癒えた後でなら、九尾の細胞と切り離しても、問題は無いことでしょう。しかし――」
「それをするには、『ようき』がたくさんひつようになるんだよね?」
「――――ええ」
「そうなったら、しゅてんどうじをふういん、できなくなる?」
「――――――――ええ」
咲夜は、顔を伏せて答えた。
「そっか。なら、いいや。これからどうすればいいか、今ちゃんとわかったから。おじいちゃんとおばあちゃんには、しんぱいかけちゃうけど」
ユウは、どこか晴れやかな表情で言った。
何を思い、何を考えたら、今そんな表情が出来るのか。
理解が出来ず、思わず伏せていた顔を上げた。
自身の耳を、聞こえた言葉の内容を、咲夜は疑った。
「ど、どうれば、とは……? ユウは、何を……貴方はこれから十年、この城で私たちが――」
「かんたんだよ。あのわるいやつを、たおしちゃえばいいんだ!」
咲夜は、重ねて自身の耳を疑った。
何を言っているのか、分からなかった。
「……い、今、何と……?」
思わず聞き返す。
しかしユウは、顔色一つ変えず、重ねて堂々と口にする。
酒呑童子を倒せばいい、と。
二度も聞けば、それが聞き間違いでないことは分かった。
しかし、言葉の意味までは、やはり分からなかった。
倒す?
誰を?
酒呑童子を?
自身を一瞬の内に絶命にまで追いやった、あの悪鬼を?
目の前で直接触れていた、あの悪意の塊を?
年端もいかぬ少年が、そう口にしたのか?
それが最善手だとは分かっていながら、出来ないことも確かだと思っていた、いや確かにそうであるはずだと、身を持って体感したというのに。
「酒呑童子を……倒すだなんて……」
「だって、あのわるものをふういんするたには『ようき』がひつようで、そのために日本にいくんでしょ? でも、ぼくが日本にかえるためには、その『ようき』がひつようで、それをつかっちゃうと、わるものをふういんできなくなっちゃう。そうなったら、このせかいもなくなっちゃうかもしれない。ぜったいに、どっちかをあきらめなきゃだめ。ぼくのことはいいけど、さくやさまは、ぼくのことも気になっちゃう。だったら、あのわるものをたおしちゃえばいいんだよ! ぜんぶかいけつ! ようきはなくならないし、ぼくも日本にかえれる! ほら、いちばんいいかんがえ!」
「ユウお前、そんな簡単に言うがな」
「そ、そうですよ…! あれを倒すなどと、私たちには――」
「なら、ぼくがつよくなる!」
ユウは胸を張って、布団の上に立ち上がった。
身体が痛いと言っていたのが嘘のように、軽い足取りで。
「ぼくがさくやさまをまもる! ぼくは、さくやさまのヒーローだから!」
「ユウ、あなた……」
「くくりさまは、いくさのおに、なんですよね? ぼくに、たたかいかたをおしえてください! じゅうねんでつよくなって、こんどこそ、ぼくがさくやさまをまもります!」
何が怖いことなどあるものか。
そう暗に言っているようにも取れる程、あまりに清々しい顔をして言うものだから、咲夜は開いた口が塞がらなくなってしまった。
そんな折、隣で、菊理が再び勢いよく吹き出した。
「ちょっと、クク……?」
「ぷっ…くっ、ははっ! そうかそうか、あの悪鬼を屠ると口にしたか! あの小枝のように足が震えていた子どもがか? あははは! これは傑作、いやはや傑作だ!」
「くくりさま、ぼくはほんきです!」
「ああ、目を見れば分かるとも。笑ったのは、何も馬鹿にしているからではない」
そう言いながら、菊理はユウの元へと歩み寄る。
「そうか、私に弟子入りを志願するか。言っておくが、頑強な妖でも音を上げる程の修練だ。修羅の道だぞ?」
「だいじょうぶ! ぼくは、さくやさまのヒーローだから!」
「――――そうか」
目を伏せ、その言葉を確かに飲み込む菊理。
「咲夜、こいつの容態が問題なくなったら私に報せるよう、美桜に言っておけ。私は、先に入寮手続きを済ませておく」
「手続き――って、クク…!? 馬鹿なことを言わないでください…! 彼はニンゲンの子ですよ? そんなこと、私が許しません…!」
「だが半妖だ。それにお前も認めたろう、妖気は既に使ってしまっている、と。それに、私の見たあの光景――」
言いかけて、首を振って。
「どの道、あいつを封印出来なければ全てが終いだ。生かすも殺すもない状況だ。しかし、それが叶わないかもしれぬと、その可能性があると、少なくともそういう状況だ。なら、討伐以外に方法はない。出来ることは何だってやった方が得だろう?」
「そ、そのようなこと……」
「保証する。この先、入隊するまでは――否、隊長、妥協しても副長の座に就くまでは、私はこいつを死なせん。死んでも護ってやる。こいつだって、見た目も言動もガキらしいが、ただ子どもの悪ふざけを口にしているばかりだとも思えん。だから、お前はこれから十年先のことだけを考えていろ」
「クク……」
納得は、出来ない。
「ユウ、貴方は本当に、武を学ぶ道へと進むことを願っているのですか?」
「ぶじゃなくて、さくやさまをまもるみち!」
納得は出来ない。が、その瞳に曇りの一つもないことが分かってしまっては。
「……そうですか」
それがどれだけ強い決意であるか――一度は心の折れかけた自分には、何を言う資格もないとさえ思える程だ。
しかしてそれを隠すように、咲夜は敢えて、呆れたように溜息を吐いた。
「入隊までには様々な条件、そして試練や試験がありますが……分かりました。ユウのこと、よろしく頼みますね、クク」
「ああ、大船に乗った気でいろ。お前すら手の届かないくらいの、強い兵にしてやろう」
「そこを任せたいわけではないのですが……はぁ、もういいです。好きにしてください」
もう何を言ったところで、決めたことは曲げない、変えない。
ふたりの似通ったところに、繋がるべくして繋がってしまったのだなと思う。
「さくやさま、おこった?」
「ええ。ですがそれは、ふがいない自分に対して――ユウ。みすみすその命を散らすことは許しません。貴方は本来、現世に住まう者。それすなわち、本当なら私たち妖が、命を賭しても護る対象です。ですから、必ず生きて、生きる術を存分に身につけて、十年後、必ず日本へと帰りましょう。いいですね?」
「はい、さくやさま!」
力強く頷く小さな少年に、咲夜は胸が痛くなるのを隠しながら頷いた。
「うむ。ではユウ、まずは食って寝て、十分に静養していろ。修行についてはそれからだ」
「はい! さくやさま、ぼく、がんばるね!」
「…………ええ。お願い、致しますね」
並々ならない歯痒さを覚えながらも、しかしその方法しかないのは事実、とも改めて思う。
それを第一に自分から提示することさえ出来なかった自分の弱さに、咲夜は嘘の笑顔を返すことしか出来ないでいた。