「あなたは――」
不思議そうな目で言いかけた言葉を、女性はすぐに飲み込んで、ふわりと優しい笑みを浮かべた。
「どうしたんですか、君? どうして、子どもが私のお城に?」
容姿が綺麗で、声も綺麗。
そんな女性に、いやそもそも若い見た目をした女性にすら出会ったことのない悠希は、上手く言葉が出てこず、えっと、あの、と繰り返すばかり。
それを見かねてか、クスリと笑ったその女性は、傍らから何かを拾い上げて手渡した。
「嗅いでみてください。その花の香りは、心が落ち着く効果を持っているんですよ」
何のことやら分からずも、悠希は言われた通りに、渡された花を自身の顔の前へと近付けた。
そうして深く息を吸うと、控えめな甘さと優しい刺激、言い知れず穏やかになる香りが鼻を突いた。
おぉ、と感心しつつ何度かその香りを楽しむ内、気が付けば、強く打っていた鼓動は落ち着き、乾ききっていた喉にも幾らかの潤いが戻っていた。
「あ、ありがとう、おねえさん…!」
そうはっきりと言い頭を下げる悠希に、女性は優しく笑って「どういたしまして」と応える。
「落ち着いたようですね。良かったです」
「え、っと……ぼく、うらやまの、みずうみにいたんだけど……」
「裏山、ですか?」
「う、うん。いえのうらやま、ひとりで」
「おひとりで?」
「あっ…! ち、ちがう、ともだちと…! 花火大会……」
「ここは私のお城ですが――あぁ、なるほど」
頷き、飲み込む女性に、悠希は思わず聞き返すが、女性はそれには答えてくれないまま、
「夢を見ているのでしょうね。素敵な夢を」
と、優しく返した。
「ゆめ、なのかなぁ……」
「ええ、きっと」
そう言って女性は、目を閉じ、吹き抜ける風に身を委ねた。
「あなたは、その子たちとはぐれてしまったのですか?」
女性は目を閉じたまま、悠希に尋ねる。
「えっ……? あっ、う、うん、そうなんだ……うん、はぐれちゃったんだ……じぶんから」
「どうして?」
その質問には、どう答えたものか迷ったが、夢なら下手に誤魔化す意味もないだろうと、これまで誰にも言えず抱えてきたモヤモヤを吐露した。
「……ともだち、いないから」
「花火大会、は?」
「…………うそ」
弱弱しく答える悠希に、女性は鼻を鳴らして笑った。
「えっ、な、なに……?」
「子どもの嘘というものは、とてもとても分かりやすいものなんですよ?」
「えっと、えっ、そんな……」
「まあ、別に怒るようなことでも、まして責められるような話でもありませんが。そう狼狽える必要はありませんから、お好きに話してください」
「う、うん……」
女性に優しく促されている内、悠希は、次第に喉が詰まるような感覚も和らいでいった。
「……おじいちゃんと、おばあちゃんと、いっしょに住んでるんだ……でも、きんじょに同じくらいの子どもはいなくて……それで、たいくつで……」
「退屈、ですか。では、ふふっ、私と同じですね」
「お、おなじ……?」
「ええ、おんなじです」
「どうして? こんなにりっぱなおしろに、住んでるのに」
「こんなに立派なお城に住んでいるから、ですよ」
そう答える女性に、悠希は小首を傾げる。
「あなた、お名前は?」
「えっ? えっと、ここのえゆうき、です……」
「ここのえ、ゆうき――では、ユウとお呼びしましょうか」
「な、なんで?」
尋ねる悠希に、女性は目を開いて振り返る。
「お友達だから、です。私も、そこそこ退屈していたんですよ、この暮らしに」
「と、ともだち……」
その言葉の響きが、どれだけ新鮮だったことか。
たまに出会う子どもと遊ぶ時、その母親が「お友達と仲良くね」なんて言っていたが、幼いながら、その言葉には違和感を覚えていた。
年に数回、ともすれば一度しか出会わない相手が、果たして友達なのかどうか、と。
「とも、だち……」
「ええ。友達、です。私なんかが第一号、ということで、よろしいでしょうか?」
「う、うん、うん! おねえさん、ありがとう…!」
「ふふっ、どういたしまして。でも、友達なら『お姉さん』はおかしいですよね」
ふわりと笑って、女性は姿勢を正す。
「咲夜――それが、私の名前です。一応、ここ『桜花』という国を統べている主でもあったりします」
優しく温かな笑顔は、ここへ来る時に見た湖のように、キラキラと輝いているように見えて。
きっとこの人が僕のことを呼んでくれたんだ――悠希は、ふとそんなことを考えた。
「さくや、さま……」
「様、だなんて。咲夜、で構いませんよ」
「そ、それはダメ…! さくやさま、ここのあるじ、なんでしょ? それって、王さまってことでしょ? だったら、よびすてにしたらダメだよ!」
「うーん、まあそれはユウに任せましょうか。ええ、好きに呼んでください」
「わかった、さくやさま!」
パッと明るく笑う少年に、咲夜もまた、胸が熱くなる。
こんなに純粋な思いを向けられたことは久方ぶり――いや、これまでの生の中で、あったかどうかすらも分からない。
ニンゲンという生き物は、こんなにも温かいものなのか。
そんなことを思いながら、ふたりは初めての握手を交わした。