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第5話 新たな仕事

 謁見の間。

 桜花に生きる者たちからの特別な用事、或いは賓客、それらの相手をする為に充てられた部屋だ。


 元々は大広間をそう呼び使っていたところを、威厳をひけらかすような仰々しい様相にはしたくない、という咲夜の進言から、ただのこぢんまりとした一室で代えている。

 それでも立場は立場だからと菊理が言うものだから、長机の上座、床の間を背負う形で着席する形だけは形式上取っている。


 しかし今日のように少数、それも気心の知れた相手との話し合いであれば、席次など関係なく内容自体に重きを置いて進めることもある。


「さて――ユウ。本日あなたを呼びつけたのは、他でもありません。先ほど話された通り、甚大な被害が出てしまった件についてです。美桜からどこまで聞いたのかは分かりませんが、とりあえず、現状判明している情報を共有しておきましょう。菊理」


「ああ」


 簡潔に応じ頷くと、菊理は小脇に抱えていた紙の束を机上に置いた。


「現在、医務長美桜の元で治療中の負傷者名簿だ。ユウはあまり関わりない者もいるだろうが、分かっているだけでも二十七名いる」


「二十七……」


 呟いたその後で、ユウは違和感を覚えた。


「気が付いたか、ユウ?」


 表情から読み取ったのであろう菊理が尋ねる。


「隊長、副長、以下一般隊員……医務室にいた者は皆、実力や強さに関係なく、等しく殺さず傷めつけられただけでした。それに、これは負傷者リストって言いましたよね。それはつまり、死者は現状出ていないということですよね」


「ああ」


「なら、やはりおかしい……一般隊員が先にやられたなら、それより強い者が倒せばいいですし、それでも倒せなければ皆戦死か、これも死傷者名簿になる。反対に、強い者から先にやられたのなら、他の者には倒せない道理です。それなのに、死者はおらず、皆が負傷……」


「そういうことだ。ただの妖魔であれば、その習性上、出会った妖は何も考えず殺すはずだ。が、そうはなっていない。だと言うのに、隊長格の者まで傷つけられたと来た。誰も殺されずに、な。敵は、知恵のないゴミ同然の妖魔ではなく、知恵を持つ何者か――考えたくはないが、妖の中に謀反を起こそうとしている者がいるかも分からない。或いは、これまでの常識が通用しない、新種の妖魔が顕れたか、だ。これまでも数例だけだが、前例はあるからな」


「姿形は?」


「不明だ。現状聞き取りが出来る二名の内、三叉の証言では、それは一瞬間の出来事だったとのことだ。にも拘わらず、誰の命も奪わず立ち去った。しかし皮肉なことに、それは敵が『桁違いに強い者』であるということの裏付けになってしまった」


「皆殺しにされていたのであれば、どれだけの時間をかけ殺されたのかは分からない。でも生かして証言を残させれば、彼我の力の差を示すことが出来る。そういう訳でしょうか」


「おそらく、だがな。ただ、相手が知恵を持つことは明確だ。意図までは掴めんがな」


 菊理が淡々と説明する横で、咲夜の顔色が険しくなってゆく。


「師匠、もう一名の証言は?」


「ああ、雲外からのものだ。その当時、哨戒任務に当たっていた当該隊員たちの妖気が、急激に弱まってゆくのを感じたらしい。それを受けて鏡渡りをしてみれば、件の惨状が広がっていた、という話だ。隊員らを回収したのも雲外だ」


 鏡渡りとは、隊の参謀総長である妖、雲外のみが扱える特別な妖術で、任意の鏡と鏡の間を『妖気』で繋げ、その距離を無視して行き来出来るというもの。

 妖の持つ生命力を指して呼ぶ『妖気』を多分に使う力である為、その性格も手伝って、余程のことが無い限りは使われない。

 その雲外が、何を考えるより早く鏡渡りをしたという事実は、言い換えれば、それだけ事の緊急性が高いと考えられているということだ。


「二十七名もの妖を鏡渡りで……かなり妖気を消耗したことでしょう」


「ああ。ゆえにユウ、これからお前に伝える任務に於いて、雲外の力は当てに出来ん。可能な限り休息させてやりたいからな」


「ええ、分かっています。であれば、やはり仕事というのは――」


「被害を受けた場所から最も近い、東の第一監視所へと赴き、聞き込み等情報の収集、同時に被害現場の現地調査を命ずる。可能であれば、その原因となった者の討伐か捕獲かも頼みたいところだが、その戦力が未知数である為、遭遇した時の第一選択は『逃走』と心得てくれ」


「随分と優しい指令ですね、師匠」


「他所の心配を皮肉で返すとは、馬鹿弟子が。怖くはないのか?」


 菊理の言葉に、ユウは間髪入れず首を振る。

 それは寧ろ、昔日の誓いを思い出させるには十分な問いだった。


酒呑童子しゅてんどうじを倒そうなどと宣う馬鹿者です。その程度の脅威に臆する訳がないでしょう」


 ユウの答えに、菊理は満足そうににやりと微笑んだ。

 しかしその隣にいる咲夜は、浮かない表情で机の上に視線を落としている。


 それもその筈だ。


 ユウがその誓いを思い出すことは同時に、咲夜にもその日のことを思い出させてしまう。

 もっとも、咲夜の方はそれを片時も忘れたことは無いが。

 思い出した、と言うより寧ろ、強く意識してしまったのだ。


「ユウ……ごめんなさい。菊理を除いた、今の桜花の最高戦力が貴方なのです。危なかったら、本当にすぐ退いてください。ですからどうか、身の安全には十分注意してください。貴方は、私たちとは違って――」


「咲夜様の仰りたいことは分かります。しかし、だからこそ僕は、この脅威を跳ね除けなければなりません。それすら叶わないなら、酒呑童子には届かない道理。いえ、そもそも、酒呑童子を滅することそれ自体が、僕と貴女の願いを叶える為の、ようやくの第一歩なんですから。それまでは全て、ただの前座に過ぎないことです。そうでないと、僕は貴女に罪滅ぼしは出来ません」


「つ、罪などとは…!」


「あの日あの時、僕が現れさえしなければ、違う結果になったかも分かりません。それに、あれは貴女であって貴女ではなかった。しかし、結果は結果です」


「ユウ……」


 咲夜の表情が、ますます曇ってゆく。

 ユウのことを誰より心配するのは、ユウの置かれている今この状況が、他ならない咲夜とユウ自身が直接関係しているからだ。


「まあ馬鹿弟子、お前の言いたいことも分かるがな。確かにお前は、私仕込みの刀術と、咲夜譲りの肉体を半分持っている。かつて『戦の鬼』などと評された私の弟子だ。これまでの仕事だって、一度を除き失敗したことが無い。その上、成功した任務の全ては、完璧以上のものだった。生意気なことにな」


「ありがとう、ございます」


 思いがけない評価に、どこか恥ずかしい。


「だが、なればこそだ、ユウ。お前が自身を過信するなどとは思えんが、忠告は素直に聞き入れるが吉というものだ。酒呑童子の討伐が一旦の終着点だということは分かる。しかし、今この瞬間に相対して勝てるだけの力を、自分が持っているとは思うか?」


「……いいえ」


「素直でよろしい。ああ、今のお前は持っていない。酒呑童子に勝てなかった私たちにすら、模擬戦でも一度だって勝てないのだからな。理想を掲げるのは立派だが、その道程を丸きり抜かせるわけが無いことくらい、分かるだろう」


 菊理の言葉に、ユウは頷くしかなかった。

 当然だ。


「勝って帰る、退いて帰る――前者は確かに素晴らしいことだが、それで後者が悪い判断だということにはならない。それは、他でもないお前が一番よく知っているはずだ」


「……ええ、まったくその通りです」


 ユウは、観念したように肩を落とし、苦笑い。

 本当なら、それは自分自身が一番意識していなければならないことだ。

 それを、師である菊理に指摘されるとは。

 指摘されている内は、まだまだ理想には程遠い。


「勝てそうなら勝つ、無理なら退く――了解です」


「うむ。それでいい」


 菊理は満足そうに頷いた。


「ああそうだ。ついでで構わんが、何か足取りが掴めたら、それも記録しておけ」


「足取り……ああ、承知致しました」


 菊理の言うそれは、旧隊長らの一斉失踪について。


 ユウが現在所属しているのは、国を護る近衛部隊の中に設けられている『狐乃尾』と呼ばれる特務部隊。前九部隊から成る精鋭だ。

 そこに配属が決まろうという少し前に、当時の隊長の面々が一斉に入れ替わった。その理由というのが不明かつ足取りが掴めないため、現在まで失踪事件として扱われているのだ。

 ユウが今、その部隊の中で副長の座に就いているのも、持ちうる実力の他、そういった事情も絡んでいたからである。


 失踪するまでの足取りは簡単に掴めた。が、その先の行方というのが、消されてしまったように掴めない。以前から何か変わった様子があったという話も、一切挙がらない。

 自ずから国を出るような理由にも、国中の誰も心当たりがないのだ。


「未だ事件は進展を見せない。欠片もだ。だから、何か変わったことが有れば、心に留めておいて欲しい。しかし、無論最優先なのは今し方伝えた任務の方だ。お前が不在の間は、私が本格的に動くことになっているからな」


「師匠が? では、咲夜様は――」


「自分の身くらい、自分で守れますよ。そうでなければ、私も酒呑童子を倒そうなどと宣う少年の妄言を信じる筈がありません。これでも私、刀術と身体の頑丈さには、少しばかり自信がありますから」


 それはよくよく知っている。

 菊理との修行の最中、咲夜が最前線に出ていた当時の武勇伝を、これでもかというくらいに聞かされたのだから。


「――分かりました。その任、謹んでお受け致します」


 ユウは改めて、ふたりの間に傅いた。


「頼んだ。隊を動かす余裕がないだけでなく、出来れば隠密に動いて欲しい仕事の為、先だって紗雪さゆきに同行者として同内容を依頼し、承諾をうけている。以上の二名だけでの遠征にはなるが、無理の無い範囲で頑張ってくれ」


「雪ね――紗雪がいるのなら、まあ下手を打つようなことは無いと思えますね。心強い相棒です」


 ユウと旧知の仲である紗雪は、現在知られている限り、唯一の雪女ゆきめの生き残りだ。

 役職にこそ就いていないものの、その実力はユウと肩を並べるか、場合によってはそれ以上。それでいて聡明であり、指揮する立場についても遺憾なく力を発揮する。

 ユウ本人から言わせれば、副長になるべきは自分ではなく彼女の方だった。


「荷造りが終わり次第、いつでも発ってくれ。早ければ早い方がいいのは確かだが、優先すべきはそれぞれの命だ、準備は怠るな」


「分かりました。師匠、咲夜様、行ってまいります」


「五体満足での帰還を願っています。任務の成否より、くれぐれも己が安否を優先してください。と、紗雪にも重ねてお伝えくださいね」


「ええ、必ず。それでは」


 短く返すと、ユウは会釈をしてから謁見の間を後にした。

 残ったふたりは、大きくなったその背中に、頼もしさと期待、それと同じくらいの罪悪感を覚えた。


 どちらともなく思い出すのは、過ぎ去った日々のこと。


 そう――あれはまだ、ユウが『人間』として、世の中のことを未だ知らない、年端もいかぬ頃のこと。

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