目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
4-6 「サードフェーズ①」

 研究所の中に入り、手当たり次第に部屋を探っていくとキソラの胸中に妙な懐古感が湧き出てくる。

 ある部屋には、人一人は余裕で入れそうなほど巨大なガラス管が。ガラスは真ん中から突き破るような形で崩壊し、辺りに液体が散らばっている。

 またある部屋には赤黒く汚れたベッドが所狭しと並んでいたり、育児部屋と思われる穴だらけの隣部屋には、ぬいぐるみや積み木などが申し訳程度に落ちている。

 随所に見え隠れする凄惨な実験の跡がそこにはあった。


「気持ち悪いわね……。実験体を家畜みたいに扱ってるかと思えば、人間らしい優しさみたいなのも見せてる。まるでエゴの塊ねここは」

「みんながみんな、非情にはなれなかったのよ……。ぬいぐるみとかは、せめてもの慰め……ってヤツ」

「慰め……ね。はたして、慰められていたのは一体どっちかしら」

「……」


 一歩一歩進む度に、自分の行いを後悔する様に胸をかきむしりたくなるキョウカ。セレスティアも、この欲望に満ちた空間に物申せずにはいられなかった。

 少しだけ鬱屈とした空気が漂う中、それを切り裂いたのは深呼吸を入れたセレスティアだった。


「ふぅぅぅぅ……。ごめんなさい、ちょっと気が立ちすぎてたわ。キョウカを責めるつもりはなかったの」

「ううん、大丈夫。ちゃんと、分かってるから。自分の罪も、その為にやらなければならないことも……。ここに来て、改めてソレを認識できたわ」


 あの惨状を引き起こした一人の人間としてケジメをつける。その決意を定めたところで、先頭に立っていたキソラが先に気付いた。


「お母さん。多分、アレ……だよね」

「えぇ……。そうみたいね」


 研究所の奥の奥。天井が崩壊し、三番街を覆う屋根を見上げることが出来るその場所にソレはあった。


「コレがC機関が生み出した、最悪の兵器……」


 三人の眼前にあるのは巨大な楕円形の孵化装置の様なもの。その側面に等間隔に走っている線はおそらく開閉口の溝。中身は当然、【コロージョン】を発生させる用の大量の腐蝕だ。

 左右には脈の様なチューブが付けられており、コンソールと孵化装置を繋げてある。コンソールのすぐ脇に注入口があることから、ここからC機関製の改造L・A・Rを腐蝕と反応させることで【コロージョン】を発生させるのだろう。

 そして卵が孵化する様に、開かれた瞬間その中身が灰塵都市スクルータに向かって拡散される。


「怯える必要はないわよキソラ。色々あったけど、力もまだ残したままこの最終フェーズに入れるんだからね。今からの私たちの仕事は、スペルビア製のL・A・Rを注入口に入れて【コロージョン】を書き換えるキョウカを守るだけ。それでミッションは達成よ」

「うん、分かってる。ようやくここまで来たんだ。絶対に何が起きてもお母さんは守るよ」


 犠牲を払いながらも、辿り着いた運命の岐路。

 ここが死に抗う最終局面だ。


「それじゃあ、最後は任せたわよキョウカ。変化する環境データへの適応とコロージョンのコード変更。厳しすぎるミッションだとは思うけど……」

「心配しないで頂戴。ここまで無事に連れてきてもらったんだもの。必ずやり遂げて——」

「——おやおやおやおや! 我らが聖地にどんな薄汚いネズミが入り込んだのかと思えば! これはこれは! なんたる僥倖か! まさか裏切り者を始末する機会がやって来るとは!」


 荷物を下ろしながらキョウカがコンソールへ向かおうとしたその時。

 装置に裏側から、ペタペタと足音を立てながら狂ったようなしわがれた声が響き渡った。


「人事を尽くせばなんとやら、というのは本当だったようですな!」

「——ッ!! ミステリオ博士……! ってことは、やはりコロージョンはあなたが……!」


 ぐつぐつと、煮えたぎる溶岩のごとき熱き感情と共にキョウカの口からその名が溢れ出る。

 装置を慈愛の籠った手つきで撫でる白衣姿の男性。ボサボサの白い髪と痩せこけた頬。くぼんだように見える眼孔に首筋に浮き出た血管など、見た目だけで言えば老齢な科学者そのもの。

 仮に、キソラがその体躯を抱きしめたら本気を出すまでもなくポッキリと骨は折れるだろう。


「お久しぶりですキョウカくん。いやはや時間が経つのは恐ろしく早いものですな。あの頃はまだ科学に魂も売れていないかった小娘が、身体だけは成長しているのですから。ただ、その不健康っぷりはいただけませんね。化粧で隠しているみたいですが、目の下に薄らとある隈。肌も荒れているみたいですし、気をつけた方がいいですよ。科学者たるもの健康こそが大事ですから。ちゃんと、【免疫接種イミュニティ】を摂っていますか?」

「ご忠告どうも……。まさか、あなたに健康を説かれるとは思っても見なかったわ」


 ニタニタと嫌悪感を覚える粘着した笑みを前に、キョウカは表情を苦々しく歪めてしまう。

 狂気を孕み、瞳孔の開いた赤い双眸といい、その身一つで悍ましさというのを体現していた。


「なんなのあの人……! どう見ても、まともじゃないでしょ……!」


 異常としか思えない彼をキョウカとアステリアの後ろから見て、キソラは後ろに下がりそうになる足を必死に押し殺していた。

 隙間からでしか見えなかったのに、キソラを恐怖させたのは、彼が『素足』であるということ。

 腐蝕に汚染されたこの街だ。今は平時でも異常がないとはいえ、直接肌に触れてどんな影響が出るかは分かったものじゃない。

 今すぐにでもその素足が腐り落ちてもおかしくないのに、彼の顔に浮かぶのは笑みばかり。

 まるで腐蝕という災厄を、パーティのようなイベントごとだと認識しているような、そんな刹那的な快楽を持っていた。


「ねぇキョウカ、あのイカレた男は爺さんは誰よ……。博士なんて言ってたけど、もしかして……」

「えぇそうよ……。ミステリオ・ヴァン・ヒュース博士。『リバース・アクト』の第一責任者にして腐蝕のことが大好きなマッドサイエンティストよ」

「マッドサイエンティスト……」

「失礼ですね、キョウカくん。我輩の腐蝕に対する『愛情』をたかが大好きで収めようとするとは。減点ですよ減点」


 チッチッチと、ミステリオは人差し指を振るう。


「なるほど。よく分かったわ。じゃああの男が全ての元凶ってわけね。昔も、そして今も」

「そういうことになるでしょうね。第一次腐蝕事変の際は現場にいなかったから、生きてるとは思ってたけれどまさかこうして会うことになるなんてね……。良いんですか? C機関でも重役のあなたがこんな死の最前線にまで来て」

「くくくっ、相変わらず愚かですねぇキミは! 腐蝕によって一つの街を滅亡させるという新人類史上初の出来事を見なくてどうするのですか! 第一次腐蝕事変の際は、その場にいないという大失態を犯しましたからね! あんな劇的な瞬間をもう見逃したりしないと決めたのですよ!」


 呵々大笑と、大仰に手を広げながら歓喜の声をまき散らすミステリオ。

 腐蝕をあそこまで楽しく語る人は世界中探しても彼一人だけだろう。


「相変わらず、と言いたいのはこちらですよ。よくもまぁ、腐蝕を前にしてそんなに楽しそうに振る舞えますね。正直、何回あなたの正気を疑ったか」

「我が輩としては、苦しみの感情だけで腐蝕に向き合うことの方が正気じゃないと思いますけどね。だってそうでしょう? 人間、辛いことよりも楽しいことの方が心から動けるのですから」


 まるで子供に教える教師のように、ミステリオは高弁を垂れていく。


「好きこそモノの上手なれ。真剣に楽しく向き合い続けたことで、我が輩は腐蝕のコントロールという偉業を成し遂げたのです。何もしていない方々にとやかく言われる謂れはありませんね」


 そこで言葉を切ると、ミステリオは途端に侮蔑の視線をキョウカに向ける。


「まぁ理解してもらおうとは思いませんよ。なにせ、このを目にしてもそのような悲痛の顔をしているのですから。我が輩からすればそれこそ正気の沙汰じゃありませんよ——」

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?