「え……」
重たい衝撃音に紛れて、ぐしゃりと耳障りな音がキソラ達の耳朶を打つ。だがしかし、埒外・意識外からの攻撃に誰もが固まり動けないでいた。
弾丸による死なら理解は出来ただろう。腐蝕だとしても、その死は正しく認識できる。
だが、目の前の
「全員、その場から離れて!」
「——ッ!!」
キソラが出した咄嗟の号令に、ハッと意識を取り戻した隊員たちが一斉に動き出す。
セレスティアがキョウカを掴んで『ソレ』から離れ、キソラと『ソレ』を対峙させる形で分断すると彼女たちの思考が固まりかけた。
死したフェンリの上にいたのは異形の黒いバケモノ。地に付きそうなほど長く大木の様に太い両腕と短く太い両脚。構造的にはヒトに近いが、顔はそれと分かる形を成しているだけで、眼などのパーツは存在しない。黒い楕円形がそこにあるだけだ。
よく見ればもぞもぞと【黒】が奇妙に蠢いており、バケモノがフェンリに触れた箇所から腐蝕によって溶けている。
つまり、正体は不明だが目の前のアレは腐蝕の塊。だが、腐蝕弾やコロージョンと違うのは、アレは動いているということ。
足首より下にかろうじて見える白い塊は——骨。ご丁寧に自らの体で接地面を腐蝕させないという最低限の思考すらも身につけている様だった。
こちらを睨む様に佇むその姿はまるで狙う殺戮者だ。
目を見開くセレスティアが一筋の汗を垂らす。
「何が起こるかは色々考えたけど……流石にコレは予想外すぎるでしょ……! 腐蝕が意志を持って攻撃してくるなんて、C機関の奴ら一体何を生み出したの……!?」
「『得体の知れない……バケモノ……』」
——バケモノを見てキソラの脳裏に浮かんだのはスペルビアに入る前のあの時のこと。自分の真実を知り、保健室から逃げ出した後で出会ったヤマトが言っていた不穏な言葉。
あの時はバケモノは自分だと思い込んでいたが……。
「……あれって、私のことじゃなかったんだ……!」
絞り出す様に零れた声。
そして理不尽は続く。最初に振って来たバケモノの後ろからも同じ個体が現れ、ここら一帯は一瞬にして黒のバケモノで埋め尽くされたのだった。
「どうりで、治安部隊の数が少なかったわけね——」
セレスティアが悔し気に歯噛みする。
よくよく考えれば、コロージョンによって
目の前のバケモノがなんなのかは現時点で不明だが、人を襲う様な行動を取り、触れられたら死ぬのだから、ソイツ等に中に入って来た奴らを処分させるのが合理的だ。
飛んで火にいるなんとやら——
だがこの場合、火に入るのはどちらかという話だ。
いつまでも呆けてばかりではいられないと、セレスティアが真っ先に思考を取り戻すと、キソラを動かした。
「——イレギュラーを【ヴァリアント】と呼称! アレがなんであれ腐蝕なら、取るべき手段は一つだけよ! キソラ!」
「分かってる! 『コール:
——それはセレスティアたちと決めた【覚醒】の力に巻き込まれない為のただの
ただそれでも、仲間をやられた敵への怒り。何も出来なかった自分への怒り。
昂った感情が脳から右手へと奔流し、『力』となって発露する。
「フルスロットルだ……! こ、れ、で、も……、喰らってろぉぉぉぉぉ!!」
キソラが右手を薙ぎ払うと、巨大な炎が発生。
赫く、激しく燃え盛る炎は濁流となって【ヴァリアント】たちを飲み込んだ。
一気呵成にと炎の海に飲み込まれた全てのヴァリアント。何もかもを燃やし尽くさんと放たれた業火だが、なかなかどうして奴らは燃え切らない。
紅蓮に染まる中、黒いシルエットが身体に炎をまとわりつかせながら、ゆっくりと歩みを進めている。
「なんで!? 炎に弱いんじゃないの!?」
「その……はずよ……」
腐蝕の弱点であるはずの炎。たとえそうでなくとも、炎の中で生きられる生物なんてこの世に存在していいはずがない。
単に耐久性があるだけで片付けて良い問題ではなかった。
炎を関係なしに動けるのなら、少なくとも奴等に捕まった瞬間キソラとセレスティア以外はなす術なく死んでしまうだろう。
「いや、ちょっと待ちなさい……? この臭いは……。キソラもう一度燃やしてちょうだい。火力強めで」
「う、うん。分かった」
キソラがヴァリアント達に火を焚べると、今度こそヴァリアントは炎の中で頽れる。
それと同時に腐った肉が焼かれた際に放つ強烈な刺激臭がキソラたちの鼻腔を突き刺した。
「どういうこと?」
「刺激臭が放たれていたってことは、ちゃんと腐蝕が燃えてたってことだからヴァリアントに何かしらの影響が出ていたことは確実。だから、もう一度重ねてもらったわけだけれど……予想はあってたわね。ここでキソラに力を使わせたのは勿体なかったかもしれないけど……」
セレスティアが歯噛みする。
力にリミットがある以上、力をどれだけ温存できるかが鍵。本来ならこんな序盤で使う予定ではなかったのだ。
「まぁ仕方ねぇさ。トライを繰り返していかなきゃどの道、前へと進んでいけねぇんだから。ここは、奴らにも炎がちゃんと効くってことが分かっただけでも儲けもんだろ」
「ディアラ……」
場を和ませる様にディアラがセレスティアの背を叩く。
それに便乗する様に、キソラも笑顔を向けた。
「大丈夫だよティア。このくらいじゃ全然バテないからさ。ここから先で力をちゃんと温存しておけば、この時の分はチャラだって」
「そういうこった。ってことで、お前さん達はこれを持っていきな。追加分は他の奴らのも回すから、ちょっと待ってろ」
ディアラが自分の肩に手を回し、かけていた携帯型の火炎放射器をセレスティアに押しつける。
燃料タンクたる楕円形のボンベが二本付けられているソレは、瞬間的にだがキソラの火力にも勝るとも劣らない火力を放つことが出来る。
まさに対腐蝕の為の最後の手段。これを失うことはつまり、ディアラたち一般兵が腐蝕に抗うことが不可能になることと直結している。
だからか、押し付けられたソレをセレスティアは悲痛さを顔に滲ませながら拒絶した。
「ちょっ……! 私にそれを渡してどうするのよ……!? もし、腐蝕が来たらアナタたちが……!」
「だからだろうが。イレギュラーでフェンリがやられちまって動揺するのは分かるが、戦況を見誤るな。お前達は今からあの厄介な軍勢の中に突っ込むんだぞ。ここで来るかもわからねぇ敵を待つ俺らが持ってても仕方ねぇだろ。目的を忘れてんじゃねぇ」
「——ッ……!」
そう、本作戦の目的はあくまで『コロージョンを止め、大地を再生する』こと。それさえ叶えられればいいのだ。
そこに生還は含まれていない。
痛いところを突かれたと言わんばかりに、セレスティアが思わず視線を下に逸らす。組織を率いる立場とはいえ、まだ十代。作戦行動中に部下が死ぬのを直接目撃するのは初めてのことだった。
強烈な精神的負荷が彼女を襲っていた。
しかしそれでも、前を向かなければどうしようもない。
それを分かっているからこそ、セレスティアは深く息を吸って意識を無理やり切り替えた。
「ふぅぅぅぅぅ……。……正体不明、行動原理も不明。そもそも、この作戦自体仮説の上で成り立っているものね。今更、一つ謎が増えたところで深く気にかける必要もない……か。少なくともアイツには炎がきくって分かった。それだけで良しとしましょう」
「おう、それでこそ俺たちのリーダーだ——」