スペルビア基地内の広々とした食堂。カウンターには妙齢の女性数人が料理を作っており注文式か、あるいはその隣に並べられたバイキング形式で好きなモノを食べられるようになっている。
二十人ほどの構成員が食事を摂っているその食堂の出入り口近くで、キソラたち幼馴染三人組もいた。
動きやすさを重視した、黒が基調のスペルビア謹製の女性服。アステリアと同じハイネックに、黒のタイツを履いて肌の露出を抑えたショートパンツ。アウターには赤いスイセン印の白いオーバージャケットを着ている。
その男性バージョンを着たヨシハルと、アウターをスイセン印の白衣に変えたユウリもここにいる。
スペルビアに加入しておよそ一か月。こうして食事を摂っていても視線が飛んでこないくらいには、キソラたちは組織に馴染んでいた。
「んーーー! 美味しーーーー!!」
本物の生クリームとチョコが使われた小さなパフェを頬張ると、キソラはとろけそうなほど顔を緩める。無理もない。
灰塵都市で食べられるモノと言ったら、基本的に食材を模したまがい物なのだ。それ以外はサプリメントなどの錠剤だけ。
高価格もさることながら、そもそも滅多なことで流通しない以上『本物』の味を知る機会なんてないのだ。
ヨシハルとユウリの前に置かれているのも、緑が眩しい本物のサラダだ。口に入れたら、もちゃもちゃと不快感しか与えない緑色の固形物ではない。
初めてのその味わいに、三人の頬は今にも落ちそうだった。
「ほらキソラ、こっちも食べてみて。きゅうりって言うらしいんだけど、ポリポリしてて美味しいよ。はい、あーん」
「んー、あむっ。——ッ! うまっ!」
「ふふふっ。沢山持ってきたから、じゃんじゃん食べていいよ」
「うんっ!」
対面から差し出された、甘味の後に青臭さを感じさせる味。真逆の味に口の中が混乱するも、それすら楽しんでいた。
「スゲェよなスペルビアって組織は。裏の組織だってのに、表でも手に入れられないモノばかりが手に入る。こんなのが毎日食べられるだけでも、入った甲斐があったってもんだぜ」
シャキシャキと食べ物で新鮮な音を立てられることに、自分たちが加入した組織の大きさをヨシハルは実感する。
するとその時、三人のいる席の上に影がかかった。
「——なら、その分しっかりと働いてもらうわよ。働かざるもの食うべからずってね」
「あ、ティアっ!」
「ティアさんが食堂に来るの初めて見たかも。ボスだから専用の部屋とかで食べてるのかと思ってた」
「そんな寂しいことしないわよ。最近はずっと忙しかったから、みんなと食事の時間がズレてただけ。ここ、座るわね」
パンにサラダ、スープとバランスが整えられた食事を持ってきたセレスティアがキソラの隣に座る。
一口スープで唇を湿らせると、セレスティアはユウリに向かって微笑んだ。
「それより、ユウリのことエステルが褒めてたわよ。筋がいいって。治療行為が出来る人は貴重だから、本当に助かってるわ」
「そうなの!? ユウリ凄いじゃん! 私も怪我したら治してね!」
「キソラが怪我する様な事態とか、想像したくもねぇな……」
共に訓練することもあるから目撃するキソラの再生現象。それを阻害する様な攻撃なんて考えたくもないだろう。
それでも、だからといって治療しないなんてキソラ大好きのユウリが言うわけない。
「勿論、治してあげるよ」
「やたっ!」
「まぁ、って言っても今の私にできることは遊んで怪我してくるチビたちを手当てするような、簡単なことだけだけどね。知識ならだいぶ付いたんだけど。ティアさんもそんなに期待しないで」
「それが出来るだけでもありがたいのよ。あの子たちの面倒を見てくれる子は多いに越したことはないから」
そう言ってセレスティアは、奥でごはんを食べている五人の子供たちを見やる。そこにはエステルが三人の男の子の面倒を見ており、二歳くらいの女の子をクーが世話していた。
スペルビアの構成員は主にC機関から離反したウォーカー派の人間や、C機関に虐げられた復讐者に要介護者。幼い子供はスペルビアで産まれた子供たちだ。
ただ、クーだけは違う。親に捨てられ、孤児院によってC機関に売られ、キソラと同じ様に実験されそうになったところをセレスティアたちによって救われたのだ。
感情の起伏が薄いのはその時の影響でもある。
それでも、今ああして子供たちの面倒を見ているのだから、セレスティアやスペルビアの大人たちがクーに与えた愛情が伝わってくる。そこに子供グループの中で一番のお姉さんという責任感も、心の形成に役立っているのだろう。
今も、水を取りに行こうとクーがトレーを持って席を立った——その時。
「———っ!」
慌てた様子の金髪の男性構成員とぶつかりかけ、コップがトレーから落ちる。
プラスチック特有の軽い音が食堂に響いた。
「わ、悪いクー! 大丈夫か!?」
「ん、もんだいなし」
膝を折って頭を下げる彼に、ふるふると首を振っているクーを見る限り怪我はないようだ。
それにほっとした男性がこちらへとやって来ると、セレスティアが嗜める。
「フェンリ、気を付けなさい。分析班のアナタが慌てる気持ちは分かるけど、食堂じゃ走らないの。ここはみんなの安息の場所なんだから」
「す、すみませんボス! 以後、気を付けます!!」
ビシッと頭を下げると、フェンリは早歩きで食堂から出て行った。
「随分と慌ただしいな」
「よく見たらあのフェンリって人以外にも余裕のない人いるね。なにかあったの?」
キソラが壁際にいた黒髪の男性構成員を見やる。
彼はシリアルとサプリメント、腹の足しになるだけの培養焼肉をかきこんですぐさま席を立っていた。
美味しいものがコレだけあるというのに、最低限かつ栄養価しか考えていないタイムパフォーマンス重視の食事。言葉通りの『束の間』の休息しか取っていない様だった。
「調査班が新しい情報を入手したの。その精査が済み次第、すぐに動くことになるからみんなピリピリしてるのよ」
「そういえば、お母さんも研究室から出てきていなかったっけ……」
「彼女の実験の成否でこれからの運命が左右されるんだもの。彼女には悪いけど、その最重要任務を任せているいる以上缶詰状態は仕方ないわ」
【覚醒】の熟練と、セレスティア専用L・A・Rの調整で入団当初から何度も戦闘を繰り返しているキソラとセレスティア。
そしてボロボロになれば採血し、それを解析にかけてキョウカに届けて再調整してもらう。
そこに加えてキソラ協力の下、実施される『腐蝕を破壊し大地の寿命を延ばす』完成型
スペルビアの根幹と世界救済の要が全てキョウカの肩に乗っている。
断言しても良い。今最もスペルビアで働いているのはキョウカだ。
「……ってことは、ついに始まるんだね」
「えぇ。現時点での情報だけを見ればリミットはあと十数日。それまでに準備を整えておかないと、何にも対処できないわ。だから今すぐにでも情報を洗い出さないと——」
食堂の天井にあるスピーカーから
続けて、重々しい女性の声が食堂を包む。
『——総員に告ぎます。情報の精査が完了しました。至急、セレスティアは中央管理室に来てください。一時間後、戦闘員はブリーフィングルームへ。非戦闘員は所定の部屋で待機をお願いします』
それは状況を加速させる合図。
この先に待っているのが幸福か不幸かは、まだ分からない。