重たい、重たい自死もいとわないキョウカの贖罪。自虐的に笑いながらキソラに差し出した手には、メスが握られていた。
それを手のひらで返し、柄を向ける。生殺与奪の権利をキソラに与える為に。
「お母さん……」
感情を匂わせない平坦な声色で、キソラはメスを受け取った。
「おい、キソラ……!?」
「だ、駄目だよキソラ……! 早まらないで……!」
まさか本当に——と、躊躇い一つ見せないキソラにヨシハルとユウリが慌てる。それは覚悟していたはずのキョウカも同じ。
けれど、身を堅くさせたキョウカを見て、キソラはふっと微笑んだ。
「大丈夫だよ二人とも。それにお母さんも。私がお母さんを刺すなんてあり得ないから」
そう言って、キソラはメスを握り潰した。硬く、刃もあるメスがまるで紙屑の様に丸められゴミ箱に投げ捨てられる。
そして、傷一つないその両手でキョウカの冷たい手を包み込んだ。
「ありがとう、お母さん。話してくれて。うん、やっぱり私のお母さんは優しい人だった。これでまた私は一歩、前に進むことが出来るよ」
「な、なんで……。う、恨まないの……?」
「恨むわけないじゃん。何言ってんのさ」
温かな手に包まれ、優しい笑みを浮かべたキソラを見てキョウカは困惑する。
「なんで恨まないの……? 私はあなた達にあんな酷いことしたのに……」
「うん、そうだね。薬を打ち込んで、私たちを苦しめたことは確かに酷いことだと思う。その時の記憶はもう私にはないけど、きっとこの身体を得る前は同じように叫んでたと思う。でもね——」
手を放し、震えるキョウカの身体を抱きしめた。
「本当に酷い人で終わるんだったら、私をそんな場所から連れ出してここまで育てないよね?」
「——————」
キョウカとキソラ。同じ空色の瞳が合わさる。
そう、キソラのことをただのクローン体としか思っていなかったら、今もキソラはC機関の研究室で実験されているはず。
いや、一体辺りのコスパが低いクローン体が奇跡の身体を手に入れたんだ。量産体制の為にと身体をバラバラにされ、徹底的に調べられていたかもしれない。それが当たり前の場所があの研究室なのだ。
なんにせよ、キョウカが連れ出さなければキソラの命はそこで終わっていたのだ。
その事実を突き付けられ呆然とするキョウカに、セレスティアが口を挟む。
「何も思わない人がクローンごときの叫びを覚えているわけないじゃない。苦しそうな顔をして話すわけないじゃない。クローンとはいえ自分の娘だって認識しちゃったから、苦しみながらも足掻いてこの子だけでも育てたんでしょ。もう、露悪的に振る舞うのは止めたら? ——そんなんだと、送り出してくれたパパが浮かばれないじゃない」
「——ッ! あ、あなた、あの日のことを知って…!?」
「えぇ、ディアラが教えてくれたわ。彼はL・A・Rの研究チームの一員でね、パパとは仲が良かったの」
セレスティアの傍にいるディアラに視線を寄越すと、ディアラが深く頷く。
それをきっかけに、彼がキソラを見ながら丁寧に話し始めた。
「いくら秘密裡に実験が再開されようと、資材のコストや人員の動きが不自然なら誰だって違和感を覚えるモノです。ましてや、ソレが自分の研究に必要だったはずの資材なら猶更。研究チームから外され、時間が余っていたクリスさんはそれに気付きチームの所に乗り込みました。倫理を超えた実験を止める為に——」
最初はクリスだけの口論から始まったそれは、やがてクリス派と呼ばれる派閥との大論争となり休戦と再戦を繰り返す始末。
やがて歯止めが利かなくなると、クリス派と開発チームの抗争が激化し実力行使へと移った。
その果てに事件が起きた。
「——それは、抗争に苛立った開発チームの一人が暴走を始めたことがきっかけでした。ソイツは大量のL・A・Rを腐蝕寸前の肉に打ち込み、辺り一面に投げつけたんです。すると……」
「も、もしかして……!」
ヨシハルが目を見開く。
「はい、これが奇跡だったのか思惑だったのかは不明ですがL・A・Rを打ち込んだ腐蝕細胞は中和することなく、
それはまさしく第一次大規模腐蝕事変。
人類に絶望をもたらす引き金を引いたのは、人類を守り救済するはずだったC機関だった。
「そんな誰もがパニックになる中、唯一クリスだけが冷静に動きました。どんな思考をしていたかは分かりませんが、彼にはどうにか出来る算段があったんでしょうね。そして、混乱に乗じて彼は私にセレスティアを任せ、貴女に懐いていたキソラ嬢を託したんです。——命に代えても」