レプリカコーヒー豆——新暦以前にあった嗜好飲料を化学的に再現したタブレット——をお湯に溶かし、人数分のカップに注ぐ。
鼻腔をくすぐる芳しい香りがキソラたちの心を少し落ち着かせた。
「それで、キソラがどうやってその体を手にしたか——だっけ?」
「うん……」
「そうね、どこから話せばいいのかしら……。まず、セレスティアさんの言ってたことに間違いはないわ。アナタはC機関の特別化学班だったセレスティアさんの父、クリス・ウォーカーさんの下で助手をやっていた私のクローン。この世界を救うために作られたの」
「この世界を……?」
クローンということを肯定され、キソラの心が少しざわつく。しかし、それ以上に『世界を救う』という突拍子もないそのスケールの大きさに思考がジャックされた。
「元々、
腐蝕に耐えうる免疫力を獲得するため、腐った細胞や腐蝕の感染が激しい細胞などあらゆる例をクローン体に打ち込んだと語るキョウカ。
しかし、辿る先はいつも腐り墜ちるという結果のみ。免疫を獲得する前に腐蝕にやられたクローン体は、異臭を放ちながらその体をドロドロに溶かしていったという。
そんなトライ&エラーを何千回と繰り返していた。
「最初は腐っていく自分のクローンを見て吐き気しか出なかったわ。だって、あの子たちいつも何かを言う前に静かに溶けていくんだもの。目に力を宿す暇すらなく、無慈悲に命を落としていくのよ? 正気でいられると思う?」
「キョウカさん……」
「でも、それも数十回くらいで収まったわ。私は自分の心が壊れない様にあの子たちは『モノ』だって言い聞かせて、そこからはずっと機械的に働いて……。そんな時だったわ、実験の凍結とクリスさんの『処分』が決まったのは」
「——ッ! パパ……」
悔し気にセレスティアは眉を顰める。
急がなければならない世界の状態の中で、失敗の連続で成果を一つも出せないのなら責任者が処分されるのは世の常と言えばその通り。
処分されたクリスは研究から外され、実験は終結。代わりに、当時他の研究グループが行っていた『L・A・R』にV5は力を注ぐ様にC機関に命令を下した。
「……ラル?」
「正式名称はLocas・Anima・Release。【
処分したにもかかわらず、使えるモノは使える精神だったC機関。
そうして改良型イミュニティは『L・A・R』となり、新たな救済のシステムにとって代わる——はずだった。
実験は成功したが、失敗にもなったのだ。
「L・A・Rは確かに強力だったわ。一回打ち込むだけで、細胞は若々しさを取り戻し新品同様になったの。数時間だけね」
「数時間だけ……」
ごくりと、キソラが唾を飲み込んだ。
「強力すぎたのよ。L・A・Rは風前の灯みたいなもので、打ち込んだ瞬間、残っていた力を一辺に集約させて躍動した様に見せかけてただけなの。ようは寿命の前借りね。効果が無くなった瞬間、打ち込んだ肉は今まで以上のハイペースで腐ったわ。当然、腐蝕の進行を早めるだけになったL・A・Rも失敗作として廃棄処分となり、結局V5は延命措置として元の【
「——けど、そのL・A・Rを利用した奴らがいた」
セレスティアが厳しい面持ちで言葉を挟む。
「その通りよ。化学班のトップ中のトップであるエヴァって人とミステリオっていうマッドサイエンティストが内密で狂気の実験を開始したの。それがクローン体による腐蝕の免疫獲得実験とL・A・Rの融合実験」
「————」
空気が冷え切る。
マイナスとマイナスをかけてプラスにする様な軽い思い付きで行われたというその実験。
腐蝕の細胞を打ち込んでクローン体が腐るのなら、それに耐えうる体を作ればいいと細胞強化が見込めるL・A・Rによる肉体強化が開始されたのだ。
しかし、それは言うは易しであり——
「彼女らは、処分されずに余っていたクローン体を使って実験を開始。でも、そんな簡単に物事が上手く進めば私たちはここまで苦労していなかったわ。
腐った細胞と再生を促すL・A・Rを同時に打ち込んだら、果たしてどうなるでしょうか? ユウリちゃん」
「え、え……。腐るから、肉体を強化させて……。もし、腐蝕と再生のペースが同じだったら——ッ!!」
そこまで思い至りると、ユウリは息を飲み吐き気を抑えるように口を塞いだ。
「ご明察。腐ったそばから再生されるせいで、身体が腐る痛みをあの子たちは味わうことになったの。しかも細胞が強化されたせいで、感覚が鋭敏になった状態でね」
そこからはもう悲鳴の嵐だったと、狂った様にキョウカは嗤う。
ガラスが揺れるほどつんざく悲鳴が無数に上がり、全身を針で貫かれる様な想像を絶する痛みはクローン体をのたうち回らせたその実験。
喉は叫びによって裂け、暴れる手足は拘束具によって抉れていく。もはや腐蝕によるものか自傷によるものか分からないほど、辺り一面は血に染まっていたという。
数百、数千人が絶望を実感しながら死んでいったことだろう。
「残っていたクローン体がいなくなれば、私たち細胞提供者を使ってまた新たにクローン体を生成して同じことの繰り返し。そんな時だったわ、あの子たちの悲鳴が耳に頭にこびりついて離れなくなった頃に、奇跡のクローン体が誕生したのは」
「それが……私……?」
壊れた様にせせら笑いを浮かべるキョウカを見ながら、胸元を握り締めていたキソラが恐る恐る尋ねる。
「痛みに喘ぎながらも腐蝕と再生に肉体が適応し、肉体強度が跳ね上がると共に腐蝕現象を中和することが出来た唯一の例。それがあなたよ」
「だからキソラは人並外れた身体能力を持ち、腐蝕にも耐えられるわけね……。薬によって突然変異された強化人種だから」
「えぇ、その通りよ。これで話しは終わり」
どこまでも冷酷に、そして露悪的にキョウカは言葉を紡ぐ。
「どう? 酷いでしょ? これがあなたの親のフリをしていた女の正体よ」
「で、でもキョウカ先生は上からの命令で……」
「そうね。でも、そんなのこの子たちには関係ないの。私は苦しむこの子たちに無理やり薬を投与して、苦しませ、時には腐らせて、無慈悲に処分したわ。母親として生きる資格も無ければ、こうして生きている資格だって無い。——だから、今すぐ死ねって言うのなら喜んで死ぬわ。それがせめてもの償いだもの」