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2-3 「『K』」

「K-3641……。それが私の本当の……」


 呆然と、味気ないその『名前』を呟く。


「まぁ、アナタが生まれる瞬間を見たわけじゃないから、100%そうだとは言えないけれどね。あくまで私が知ってるのは伝聞と記録によるものだし。でも、他の追随を許さないその身体能力に人ならざる『力』の発現。腐蝕にも耐えるその体と再生能力。どれか一つを取ったとしても、今を生きるまともな人間が持つ能力じゃないわ。何らかの外的要因が加わってることに間違いはないでしょうね」


 否定したいキソラの思いをハッキリと打ち砕くその物言い。

 けれど、セレスティアが語る真実は今まで自分が見て見ぬふりしてきた部分のことだ。キソラ自身、何も否定できないと心の奥底では理解している。


「……じゃあなんだ? キソラはなんらかの実験動物にされたってのか? アンタの言うこのどうしようもない落伍者たちの街から価値の低い子供を攫って——」

「前半は正解。けれど、後半が違う。彼女が灰塵都市スクルータ生まれとして攫われたのなら、彼女がいるべき場所はここじゃなくてむしろ新成国家オアシス以上のはずよ」

「キソラは……崩壊した三番街からやって来た……。でも、それは記憶を失ったキソラの代わりにキョウカ先生が言ってたことであって……本当にそれが正しいかは分からない」


 ——そうね、とユウリの答えに肯定するセレスティア。

 そしていよいよキソラの正体——己の『源』がセレスティアによって暴かれる。


「じゃあなんでアナタにそんな力が備わってるってことだけどね。アナタはね、キソラ。そこにいる。アナタに付いている『K』はキソラではなく、彼女のファーストネームの一部。そうよね、キョウカ博士」

「え……」 


 そのこぼれた声は誰のものだっか。

 この場にいる全員がキョウカ母親の方を向くと、罪悪感しかない眼差しがキソラの怯える瞳を貫いた。

 嘘だッと否定したいが、突き刺さる無言の肯定が口から出ようとするその言葉を妨げる。

 バケモノじみた力・実験動物・母親のクローン体。思考がぐちゃぐちゃになり自分の存在理由が根本から崩れ去ってしまった時、キソラに取れる行動はこの場からの逃走だけだった。


「——ッ!!!」

「キソラッ!? どこ行くの!?」


 重たい身体を無視し、ユウリを跳ね除けたキソラが保健室から裸足で飛び出していく。

 ユウリが慌てて手を掴もうとするも、その手は届かない。震える身体を抱きしめるキョウカと、状況と情報を上手く飲み込めず固まっている邑上兄妹が保健室に残された。


「セレス」


 一言、ディアラが静かに声をかける。

 その声にセレスティアは表情を後悔で歪め、頭をかいた。


「分かってる、ちょっと焦りすぎた。駄目ね、相手を考えずに上から目線で何でもかんでも知ったように語るのは私の悪い癖だわ」

「行くのか?」

「ええ、こうなったのは私のせいだしね。彼女を連れてくるまで、ここを任せたわよディアラ」

「あいよ」


 セレスティアが踵を返し、開けっ放しの扉をくぐってキソラが出ていった方へと向かおうとする。


「あ————」


 その直前、縋るようなユウリの声がセレスティアに届く。


「大丈夫、ちゃんと連れて帰ってきてあげるから。アナタ達は、その時に笑顔で迎えてあげて。彼女がちゃんと、本当の意味で帰ってこれるようにね」


 そうして笑みを浮かべ、セレスティアはキソラを追いかけて行った。





「はぁはぁはぁはぁ……!」


 逃げる、逃げる、逃げる。

 灰塵都市スクルータの街の中、キソラは裸足のまま一心不乱に現実から逃げていた。

 すれ違う人々は、悲痛に顔を歪めて走るキソラを見てぎょっと驚いていた。


「はぁはぁ……。ここ……は……」


 息が続かず、立ち止まって周りを見渡すと気づけば露店通りに立っていた。

 腐蝕の影響で建物も道もあらゆるところが溶け、商売どころかまともな生活機能も失ったこの場所で、街の人たちは必死に補修作業に入っていた。


 大人の男性らが培養器クルトゥラで作った培養肉で建物や道の穴を塞ぎ、その傍らでは女性が料理を作って施工者たちや悲しむ遺族らの腹を満たそうとしている。子供は邪魔にならない程度にかれらの手伝いをしていた。


「あんなことが起きたのに……」


 目の前の精気に満ちた光景を見て、目を細めてしまう。前向きすぎるかれらの姿は今のキソラには眩しすぎたのだ。


「——おおっ!? キソラ、キソラじゃないか!! お前、生きてたんだな!」

「ほんとだ! キソラおねえちゃんだー!!」  


 埋め立て用の培養肉を運んでいた男性がキソラに気付くと、その声に釣られてか、わいわいと老若男女問わずキソラの下に集まってくる。

 その中にはヤマトとワカナも混ざっていた。


「キソラちゃん……! 無事だったのね……!」

「キョウカさんから目を覚まさないって聞いた時は気が気じゃなかったが、こうして元気そうな顔を見られて良かったぜ」

「ワカナさん……それにヤマトさんも……。良かった、二人も無事だったんだね……。って、あ……」


 元気そうに笑顔を浮かべる二人を見て少し安心したのも束の間。

 キソラの視線は、むき出しだった骨を落とし、肘から先が無くなったヤマトの右腕に注がれた。

 その視線を受けてヤマトが苦笑しながら、左腕を上げる。


「気にするこたぁねぇよ。右腕は無くなっちまったけど、無いなら無いで左手で頑張るまでの話。オレの店がこんなんで潰されてたまるかよ」


 力強く、拳を握ってヤマトは決意を示す。


「それに、お前さんに拾ってもらった命だ。死ぬはずだった未来が右腕一本だけで済んだんだ。へこたれるわけにはいかんよ」

「私……が……」

「そうだよ。キソラちゃんのおかげでお父さんも私も今こうして生きてるんだからね! 本当にありがとう!」


 二人は心からの感謝をキソラに告げる。

 ただ、心がざわめき続けているキソラには、正面から満面のその笑顔が受け取れず、思わず視線を逸らしてしまった。

 そんな戸惑いを見せるキソラに、ヤマトは少しだけ驚くも、苦笑しておもむろにキソラの肩に左手を置いた。

 ——まるで肩の力を抜けと言わんばかりに。


「まぁ助けられた身で言うのはアレだが、キソラもあんまり無茶しすぎるなよ。なんか噂じゃ、得体の知れないバケモノが人を襲ったって話だし」

「————ッ!!?」


 得体の知れないバケモノ。

 その言葉が耳朶を打った瞬間、キソラの心臓が暴れ出した。


 ——人間を遥かに凌駕した能力の数々。まともな生まれをしていないクローン。


 自分が人間ではなく、母親のと知ってしまった今、そのバケモノが自分だと知られるのが怖くなったのだ。


「キソラちゃん!?」

「あ、おい!」

「ごめん……! ごめんなさい……!」


 手を跳ねのけ、脱兎のごとくキソラは逃げる。これ以上追及され、ボロが出ない様に。そして、親しい彼らの眼が恐怖で満ちる前に。

 ここにはもういられないと、涙を浮かべたキソラは宙を駆け、闇雲に辺りを彷徨って行った——。


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