「——うぐっ……!」
「ほらほらセレスちゃん、動かないの〜。じっとしてくれなきゃ刺せないでしょ〜」
「し、仕方ないでしょ……。痛いモノは痛いんだから……」
六つある医療用ベッドの一つに灰色の病衣を着て横たわり、ひび割れて赤く染まった左腕と複雑骨折で腫れあがった右腕をさらけ出している。
広い医務室には小さい電灯が一つだけ。あとは、ベッドに備え付けられたライトだけが痛みで歪むセレスティアの顔を照らしていた。
「クソっ、あの筋肉男め。私の腕をこんなにぐちゃぐちゃにしやがって……」
「自分が無茶しちゃった結果でしょ〜。一人で動かなかったらこんなことにはなってなかったかもしれないのに〜」
「だって……、私は
「それでセレスちゃんが倒れちゃったら元も子もないけどね〜。——はい、痛いと思うけど右腕伸ばして〜」
「やらなきゃダメ……? エステル……」
「ダメで〜す」
エステルと呼ばれた二十代後半くらいの女性が、セレスティアの胸にそっと電極を付けていく。
ウェーブがかった赤いロングへアが白衣に映える。起伏のあるスタイルと柔らかな笑顔でぽわぽわとした彼女の雰囲気。おっとりとした口調は聞いているだけで心を落ち着かせてくる。
そんな彼女の少し垂れ下がった大きな赤い瞳は、この場に似つかわしくない最新型心電図機器を捉えていた。
穏やかなセレスティアの心電図。
なのに少しの異変も見逃さないと言わんばかりのエステルの真剣な眼差しは、これから起こることを予見している様だった。
セレスティアが右腕をまっすぐに伸ばし、苦悶の声と共に心電図が呼応する。
「それじゃあやるよ〜。覚悟は出来た〜?」
「はぁぁぁふぅぅぅ……。えぇ、やってちょうだい……!」
「流石〜、いい返事。じゃ、一思いにやるね〜。異常が起きたらすぐに鎮静剤打つからそこだけは安心して〜」
「信頼してるよ、エステル」
もう一回だけ深く深呼吸。その間にエステルはベルトでセレスティアの身体を固定。注射器を取り出し、腫れた右腕に添えた。
眼をぎゅっとつむり、彼女の腕に注射針が差し込まれる。
赤くドロッとしたその中身。それが細胞に染み渡ると——
「あ……、がああああああああああ!!!」
「くっ……! 頑張ってセレスちゃん……!」
耳をつんざく絶叫。強烈な痛みがセレスティアの全身を襲い、もがき苦しむ。ベルトが無ければ、彼女の身体は床に叩きつけられていたことだろう。
急いでエステルがタオルを噛ませる。
心電図は激しく波を打ち、警告音をこれでもかと鳴らしていた。
その音の奥。セレスティアの右腕からゴキゴキゴキと骨の生々しい音が聞こえてきた。
「ぅぅううぅ……。がはっ……!」
「あともう少し! 耐えて! BRはちゃんと効いているから!」
苦しむセレスティアの身体を抑えながら、エステルは心電図を見る。上下に高く揺れる心電図だがその流れは一定。徐々に徐々に波は小さくなっていっていた。
投与されたその薬【BR】。本人の遺伝子コードを写しだし、骨折を治りやすくさせる遺伝子
これで複雑骨折した腕も短時間で完全に元通り。ただし、その代償として本来治るまでの期間分の痛みを数十倍に圧縮した痛みが襲ってくる。
それはまるでむき出しの神経をやすりで擦られているかの様。感覚は過敏になり、触れる空気ですら痛みを誘っていた。
「—————ッ!!」
眼を見開き、気絶しそうになるほどの痛みが最後に襲って完治へと至る。
心電図は落ち着きを取り戻し、セレスティアの表情も和らいでいった。
「はーー……! はーー……! ——ふぅ……これで、終わったわね……」
「良く頑張りました〜。ベルト外すね〜」
ぐっぱっと右手を開閉して完治を確認。ベルトが外され、渡されたハンカチで脂汗を吹いていく。病衣はすっかり汗で色が変わっていた。
「調子はどう?」
「ん、問題ない。次は左腕だけど」
「それはまた今度〜。身体はもう限界なんだし、今日の処置はここまで〜」
「だよね」
分かっていた、と苦笑するセレスティア。ひび割れた左腕はエステルが丁寧に包帯を巻いて応急処置だ。
「じゃ、その汗だらけの病衣を脱ぎ脱ぎしましょ〜。服はそこに用意してるから、早く着替えて〜」
「分かった。ありがとう」
病衣を脱いで汗を拭き、ベッド傍の椅子の上に置かれていた服を手に取る。
黒のハイネックニットに黒のタイトパンツ。その上から青と赤のラインが交差するように袖に入った、白のオーバージャケットを羽織る。
そのジャケットの心臓部には真っ赤なスイセンが描かれていた。
着終わったら前髪を三つ編みにし、それを横に流して身なりを整えた。
「おう、終わったか。無事でなにより。ま、子供たちはお前の絶叫を聞いてどっか行っちまったけどな」
「あちゃ、聞かれちゃったのね……。っていうか、BRを打ち込んだらそうなるって分かってるんだから近づけない様にしても良かったんじゃないディアラ」
医務室から出ると、開けた扉の先に黒い肌の屈強な男が立っていた。スキンヘッドに黒のサングラス。黒を基調とした服に、セレスティアと同じスイセンが刻まれた白のコートを羽織っている。
黙っていれば威圧感を相当に感じるが、セレスティアに向けたその声には安堵の念があった。
「それを言われちまうと言葉もないんだが……。子供たちもお前のこと心配しててな。特にクーなんかはお前が意識失って運ばれた時、かなり慌ててたんだぞ」
「あー……それは申し訳ないことしたわね。後で元気な姿、見せに行ってあげないと。ったく、C機関の奴らにはホントしてやられちゃったわ」
「仕方ない……で片付けちゃダメなんだろうが、欺瞞情報を流されてたらな。こっちが情報精査の精度に劣る以上、どうしたって後手を踏んじまう」
足元だけを照らす狭い廊下を、ディアラがセレスティアに付き従う様に歩いていく。
「ないものねだりをしてもしょうがないわ。今後は気を付けましょう。計画もついに進められることだし」
「例の報告か。本当なのか? 薬なしでL・A・Rと同じ効果を引き出したなんて」
「それだけじゃないわ。状況を考えるに、きっと【
「なにっ!?」
驚きのあまり、思わずディアラは立ち止まってしまう。
それを無視しながら歩いてセレスティアの後ろを、ディアラは慌てて駆け寄った。
「私たち——パパが求めたモノが彼女にはあるはず。だから、目下私たちの任務は彼女の確保よ」
「ウォーカー・レポートの証人か……。机上の空論で終わったモノかと思ってたが……」
「彼女を手に入れられたら
先を見据える鋭い眼差し。小さく呟かれたその声には万感の思いが宿っていた。
それを聞いてディアラが深く頷き、セレスティアを支える様にぴったりと後ろについた。
「仰せのままに、我らがリーダー」