カランコロンと鐘の音が鳴り、全部の授業が終了。
時刻は十五時半。
広い校庭では、動きやすい服装に着替えたヨシハルと制服姿のままのキソラがストレッチしながら向かい合っていた。
その周りでは、二人を囲う様に子供たちとユウリがやんややんやと囃し立てている。
「キソラおねえちゃんがんばれー!」
「ヨシハルー! 今日こそキソラに勝てよー! 負けっぱなしはカッコ悪いぞー!」
座って見ているミクからの声援に立って拳を突き上げるニシキの鼓舞。
それを受けて二人は正反対の態度で返した。
「ありがとーミクちゃん! ヨシハルのことボコボコにしちゃうよんっ!」
「気軽に言いやがって……。おい見とけよニシキ!! この女に一矢報いてやる俺の勇姿をなぁ!」
勝ち気に表情を鋭くさせ、腰を低くして構えるヨシハル。
それを見て、ミクに手を振っていたキソラは大きく笑みを浮かべるとぴょんぴょんとその場で跳ねて最後の『調整』を行っていく。
「キソラー、そんなに跳ねるとスカートの中見えちゃうよー! 一応、ヨシハルも男なんだよー!」
「大丈夫だよユウリ! この下、スパッツ履いてるから! それとも、ヨシハルー。この下見てみたい?」
「うっせ。そんな色気の欠片もないモン誰が見たがるか。その言葉を吐くにゃ、あと十年は足りないね」
「むっ、このキソラちゃんに向かってそんな言葉を吐くとは。この年増好きめ。——流石、お母さんをずっと見てるだけはあるよ」
「ぶっ——!!」
顔をむっとさせたと思えばすぐに、にやりとしたキソラがヨシハルにだけ聞こえるように言ったその言葉。
思わず吹き出してしまったヨシハルに、ユウリたちは首をかしげていた。
「てめっ……! それは……そういうのじゃなくてだな……!」
「はいはいー。わかってますよー。お母さん綺麗だもんねー」
「~~~~!! もういい! さっさと始めるぞ!! ユウリ、合図!!」
「あ、うん!」
顔を真っ赤にさせながら、前傾姿勢を取るヨシハル。大きな声につられて慌ててユウリが笛を口の前にまで持っていった。
「あららーそんなに恥ずかしがらなくてもいいじゃん」
「絶対に……泣かす……!!」
「じゃあ、二人ともいくよ! ——始め!!」
笛の甲高い音が鳴り響くと、ヨシハルは勢いよくキソラに向かって飛び出していく。
それをキソラは余裕綽々の表情で見ていた。
「私を泣かす、かぁ。出来るといいね!!」
空気を切り裂きながら迫るヨシハルの拳を余裕を持って躱していく。
左ジャブ一発からのワンツー。それを片手で左側に逸らすと、ヨシハルは流れに逆らわずに軸足を回転させて顔面に向かって左後ろ回し蹴り。
身長がキソラの方が小さいから、無理に足を上げなくともスピード感を持って狙い放つことが出来る。
直撃すれば、顎の骨なんて簡単に砕けそうなその威力。
キソラが一歩下がると、眼前に唸りを挙げた蹴りが素通りしていった。
見切りは完璧だった。
「チッ! ほんと当たらねぇなお前は……!」
「ま、この程度じゃ流石にね! まだまだ私に一矢報いるのは厳しいかな!?」
「うっせ!!」
キソラの軽口に、更に猛攻を仕掛けるヨシハル。そこから先も、さっきの攻防の焼き増しだった。
けど、この攻略できそうにないこの構図こそがヨシハルの望みだった。
「相変わらずすばしっこい、なっ!」
「それが私の取り柄だからね!!」
ヨシハルが鍛錬と称して行う、身体能力が桁外れのキソラとのこの組手。
資源に乏しく、生きることが最優先とされているこの世界で、窮地に立ち行った時に最終的に頼れるのは自分の肉体のみ。また、災害が起きて自分の身体が弱くて死にましたじゃ、後悔しか残らないだろう。
肉体の強化は生き残るうえで大切なことであり、そこに終わりはあってはいけない。
ヨシハルはそこに加えて、
彼にとって守れる手段が多ければ多いほどありがたく、見据える壁は厚くて高い方が良い。
絶対に死なない環境に感謝しながら、ヨシハルは幼い頃からキソラとこの鍛錬を行っていた。
「言っとくけど、今日の俺はこんなもんじゃないぜっ! 本番はこっからだ……!!」
「っ……!!」
息を止め、一気呵成に畳み掛けるヨシハルの攻撃がスピードを増していく。
さしものキソラも片手だけではいなせなくなっていた。
「このっ……! やるね……!」
ヨシハルが濃密な鍛錬を行える一方で、この組手はキソラにとっても身体能力の調整というメリットがある。
簡単に人の限界を超えられるキソラの力だ。ひょんなところで力加減を誤って何かを傷つけるわけにはいかない。
だからこそ、体のあらゆるところを動かして自分の力を測れるこの鍛錬はキソラにも有意義だった。
「——! 甘い、そこ!!」
「うぐっ……! まだまだぁ……!」
絶え間ない攻撃の末にヨシハルが一息吸ったところを狙って、軽く胸に掌底一つ。呼吸が一瞬止まるが、無視して蹴りを放ち無理やりキソラに距離を取らせた。
基本的にキソラが防御をして、完全な隙が生まれたら攻撃するというこのルール。ヨシハルは一発でも当てれたらそれで勝利となる。
普通に考えればヨシハルが有利だろうが、キソラ相手じゃこれでもハンデになっているかは微妙なところ。
453戦453敗。それが今までの戦績だった。
「っらあ! どうしたどうした!! 俺のスタミナはまだ尽きちゃいねぇぞ!」
「っ! これはちょっと本気を出さないとまずいかもね……!」
「いけーヨシハルー! そこだー!」
ニシキの声援に押され、ヨシハルの猛攻が苛烈化する。
キソラへの劣等感なんかは微塵も感じていない。過去のことを糧にして今に利用する。顔面に流れる滝汗が、そのままヨシハルの努力の結晶だった。
ひらりひらりと躱し、手の甲や手のひら、足の脛を使って防御に徹するもキソラの防御が段々と間に合わなくなっていく。
そして——
「——やばっ……! まず……!」
「っ!!!」
後ろに下がっていたキソラが、足元のひび割れにかかとをひっかけ態勢を後ろに崩す。
降って湧いたような絶好のチャンス。ヨシハルはそれを見逃さない。
一気に前へと詰め、キソラの懐に接近。内側に足を入れると、キソラの浮いている足を狩って後ろに倒そうとする。
そこに追加で、左手でキソラの右腕を掴んで残った右手で顔面に向かっての掌底。
逃げ場はない。完全な勝利の構図に思わずヨシハルに笑みがこぼれた。
「これで、俺の……」
「油断大敵ぃぃぃぃ!!」
ここでキソラが『全力』を放つ。
掴まれた右手を思いっきり引いて逆に後ろに重心を移動させると、のけぞって左手で地面を掴み片手バク転の様な形に。
浮いた右足には力を入れず、そのまま慣性だけでヨシハルに蹴りを放った。
ぐしゃりと、鋭い蹴りが直撃する。
ヨシハルは地面へ崩れ落ち、キソラは両足着地でバンザイポーズだ。
「うごっ……!!」
「はい、私の勝ちー! スカートの中見れなくて、残念だったねー! ——って、あれ……?」
キソラおねえちゃんやりすぎ! ヨシハルだっせー!の子供たちの声の中に混ざるくぐもったうめき声。
ヨシハルは顔を地面につけたまま腰を上げた状態で、一向に立ち上がってこなかった。
「あっはははははは!! キソラそれはダメだって! ヨシハル可哀想すぎるよ! 流石のわたしでもそこまでやんないって! 」
「え、え? なにが? ただ、いつも通り蹴っただけじゃ……」
何故か爆笑するユウリがキソラの傍に近寄って来る。
キソラとしては力も込めていない蹴りだったのだが……。
「うごぉぉぉぉぉ……!」
「逆さ向いてたから気付いてなかったんだね~。どれだけ力を入れてなかったとしても、男にとってそこへの攻撃は地獄の痛みだって」
「え? あ——!!」
蹲る姿勢、ニシキに優しく腰を撫でられているヨシハル。それとユウリの言葉でようやく察しが付いた。
ヨシハルがキソラの足の内側に足を入れていたということは、ヨシハルの内側にキソラの足があるということでもある。それがそのまま上へと跳ね上げられたということは……。
つまり、そういうことだ。
「あぁぁぁぁ、ごめんヨシハル! 私、狙ったわけじゃなくてその!! そこだけの攻撃はやっちゃダメだったね……! 一応、ご時世的にも種は残さなきゃ——」
「うぐぐぐぐ……! そ、そこまで言わなくて良いし、そういう問題でもねぇ……よ。とりあえず……俺にも飯奢れ……。それでチャラな……」
「お、奢るから奢るから! ちょっとおかーさん! こっち来てー!!」
「あはははははははは!!」
完全に沈んだヨシハルと慌てふためくキソラ。それを見て更に笑うユウリ。
さっきまでの緊迫感はどこへやら。
カオスが放課後の校庭を包んでいくのであった——。