寿王に縁談を持ってきたのは、父・玄宗皇帝の重臣、高力士であった。父の意志ではなく、高力士の独断で決められた話だった。高力士は宮中において絶大な権限を持っている。何か企みがあるのでは、という気持ちも起きたが、それだけでは断る事もできなかった。寿王は言われるままに妻を迎えた。
妻の名は楊玉環といい、稀に見る美女だった。
玉環は寿王より一つ年上だった。美しいだけでなく頭も回るし、歌舞にも秀でていた。しかし、どことなく馬が合わない感じがあり、気持ちが近づく事はなかった。
「玉環は、母上に似ている。だから僕の嫁にくれたんじゃないかな」
部屋の掃除をしている蒼天に、寿王はそんな感想を言った。結婚した今でも、蒼天はたまに話し相手に来る。もちろん玉環のいない時である。
「ごめんなさい、寿王」
蒼天は、突然掃除の手を止めて謝った。
「何を謝るのか、分からん」
「噂が気になって、調べてしまったの。玉環様があなたの元に来た理由を」
彼女は草原の時以来、敬語を使わない。寿王が堅苦しさを嫌ってやめさせたのだ。
「噂?」
「玉環様を、蜀の田舎から見いだして来たのは高力士様なのよ」
「知っているさ。縁談も彼が持って来た」
「問題はその前。あなたの嫁にと決まる前に、あなたのお母上が、玉環様を引見なさった」
「母が? どうしてそんな事を?」
「玉環様を見たお母上は、こう言ったそうよ。『皇帝陛下の御目に触れる前に、輿入れしてしまいなさい。できれば私の目の届く所へ』」
「なんだと……?」
寿王は、じっとりと汗をかいた。企みを持っていたのは、自分の母と言うことなのか。母が考えている事なら、これだけで大体見当が付いた。
「玉環は母の若い頃に似ている。という事は、父の好みの女性という事でもあるのか」
「そう。もし陛下が玉環様をご覧になったら必ず自分のものにする。そうすれば、若さで負けるお母上は、ご寵愛を失ってしまうかもしれない」
「自分の保身のために、玉環を隔離したのか。……無理もない。父の女好きは相当なものだからな」
玄宗皇帝には六十人近い子がおり、後宮にいる美女の数は三千とも言われる。その中で寵愛を独り占めにしている母は、野心家ではあるが確かに非凡な女性である。寿王はそういう意味で、母を尊敬してはいた。
「謀略めいた結婚だとは思っていたが……しかし、玉環が母に殺されずに済んだだけでもよかった」
と寿王は蒼天に言った。母の性格は、それほどに激しいのだ。蒼天も慎重な顔で頷いた。暗い淵の中にいるようで、二人ともしばらく言葉は出なかった。
「玉環様とはうまくいってる?」
不意に蒼天が聞いた。寿王は苦笑して、
「いってないな。子供もいないし。でも今の話を聞いて、玉環を守ってやりたくなったよ」
「そうしてあげて。仲良くなれたら、あたしも話し相手に混ぜてよ」
蒼天は微笑むと、部屋を出て行った。
男女の関係とは違い、少し距離をおいた蒼天との交流を、寿王は安らぎとして感じていた。