汗が飛び散る。マスクがずれる。コードを間違いそうになる。ドームツアーも終盤戦、年末の大東京ドームがオーラス、それに向けてラストスパートだ。
バンドって最高だ。
アンコールを経て、次が最後の曲。「悲しみの破壊」だったはず。悲しい曲を最後にするなとは思ったが、最近会議に出てないのでわからない。そういえば会議では、何か重大な話があったらしい。
ボーカルのキンジがMCを入れる。
「最後の曲の前に、伝えたい事がある」
意味深な発言に観客がざわつく。
俺は、残りのメンバー、ギターのサンディ、ドラムのセバっちゃんを見るが、驚いた素振りは無い。
メンバーで俺だけが上半身裸で、プロレスラーの着用するマスクをかぶってベースを演奏している。トレーニングとプロレス好きから始まった、冗談みたいなデビューがここまで続いていた。
「俺たち、マセマティックス。デビューして15年駆け抜けてきました」
キンジは情感たっぷり話す。
「年末、大東京ドーム公演を持って、解散します」
えーーーー!
悲鳴がドームにこだまする。
俺もマスクの内側から、同じ声を出す。何にも聞いてない。
最近メンバーだけの会議が、数度開かれた。マスクを新調するため採寸の時間と重なって、欠席した。その前は、トレーニング雑誌からの取材と重なって欠席した。もう一つ前は、下半身のトレーニングの直後で、パンプアップして行けなかった。
「メンバーで話合いをしました」
キンジが、左手を広げて言う。キンジの左手側にはサンディ、セバっちゃんといる。俺だけ右側。
俺ってメンバーだよな?
キンジとは高校の同級生で、サンディと三人でバンド結成。大学でセバっちゃんが入って今の体制になった。
キンジは前向いたまま涙を流し、サンディは下を、セバっちゃんは上を向いている。
こっち見ろよ! 俺は聞いてないぞ!
「辞めないでーー」
マセマティックスファンの事を『マセガキ』と呼ぶ。そのマセガキの声が響く。
俺も気持ちは同じだ。
会議に出れば良かった。トレーニングばかりしてて・・・
キンジは、作詞作曲を手がけていて、ソロになってもキンジが歌えば、マセマティックスだ。こいつは解散しても大丈夫。
サンディは、金髪ロン毛でイケメン、ファッション誌の表紙を飾ったりもしている。高校時代、タンクトップで二の腕にバンダナを巻いたセンスを、暴露してやりたい。しかしこいつも食っていける。
セバっちゃんは、大学の頃にドラムスを探していて入ってきた。ドラムの腕は普通だが、去年から動画投稿を始めた。料理にDIYと多彩な内容に、フォロアー数はうなぎ登りだ。外車に乗るようにもなった。こいつもやっていける。
問題は俺だ。
トレーニング以外、何も行動していない。俺はやっていけない。
最後の曲『悲しみの破壊』、どうやって演奏したのか覚えていない。来年からどうやって生きていこう? 曲通り、悲しみが、バンドとしての俺の人生を、破壊した。
「俺たち、約束する。絶対また戻ってくるから、待ってて。戻ってくるからなーーーー」
キンジの絶叫に、観客が声援で応える。
俺も『絶対だぞーー』と大きな声を出した。
その後、年末までは淡々としたものであった。俺が「聞いてない」と主張しても、決まった事だの一点張りで、話にならなかった。バンド内の空気は冷え切っていた。皆の気持ちは、その後の活動に気が行っているようだ。俺はそれに気がつかないくらい、トレーニングをしていたようだ。
解散コンサートも滞りなく終わり、マセマティックスは解散した。
俺はこうなる事をずっと恐れていた。
「やっぱバンドって最高だよな」
メンバーだけの飲み会では、良くこういう事を言った。特にキンジには、バンドはいいぞと言い聞かせてきた。
年明け、キンジはボーカリストとして新バンドに参加する事が、発表された。同じように活動休止中の他バンドの有名メンバーが参加するとの事。
そういう事じゃない。
サンディは、四月からドラマに主演する事が発表され、有名女優との熱愛も報道された。 どうやったら、出会うんだよ!
セバっちゃんは、動画投稿の功績が認められて、アメリカを拠点に活動する事が、自身の動画で発表された。
お前、全然英語の歌詞読めなくて、俺が教えてただろうが!
文書で出された解散理由は『それぞれにやりたい事が大きくなってきたから』
俺は、筋肉を大きくしたいだけだった。
こういう時はとにかく、スクワットだ。
1,2,3,・・・
迷ったら、トレーニング。それが俺を支えてくれてきた。
続けて俺は、腕立て伏せを始めた。
1,2,3,・・・
スクワット500回、腕立ては200回。
気持ちのモヤが晴れない。俺は、トレーニングを止めた。
トレーニングは俺を裏切らない。鍛え抜かれた体のおかげで、マセマティックスのベースとして活動できて来た。しかし、今日は俺がトレーニングを裏切ってしまうかもしれない。
ブィーブィー
スマホに着信。キンジかサンディ? もしかしたらセバっちゃん?
画面を見ると、登録外のため数字の羅列が表示されている。
いたずら電話か? 間違いでもなんでも出てやるよ。
「もしもし? 元マセマティックスのベースのジャーンです」
俺は大きな声で名乗る。俺の名前はジャーン。普段なら不審な電話にこんな事はしない。もうやけだ。
相手は英語で話しをしてきた。
「Could you please tell me your name?」
俺も英語で答えた。一体誰なんだ? 相手はペースを変えずに英語で話してくる。こう見えて英語科を卒業していて、日常会話程度ならなんとかなる。
「What? え? プロレスリングヒューリアス?」
10年後
カレンダーの1月4日に丸がつき、文字が書かれている。
『日本凱旋、大東京ドームヘビー級チャンピオンシップ』ついにここまで来た。
飛び込んだ新しい世界。元バンドマンとして鳴り物入りでデビューも、しょっぱい試合を続けブーイングを浴び。一度ヒールに闇落ちもした。しかしいよいよ初めてのタイトル戦。それも日本、解散コンサートの大東京ドーム。感慨深いものがある。
ブィーブィー
スマホが鳴る。
俺はカレンダーから目を離し、電話に出た。
「Hello my name is マスク・ド・ジャーン」
(ジャーン、元気か?)
相手はキンジだった。
「おおキンジか、久しぶりだな。10年ぶりくらいか? そっちはどうだ? しばらく日本に帰ってなくてよくわからないんだ」
(いや、全然ダメだ。新バンドは個性が強すぎて、一曲で空中分解。後は、ソロを少しだけ)
「そうか、サンディは?」
(ドラマは演技が大根で、1作品に出ただけ。頭も薄くなってきて、それどころじゃないよ。金髪がダメージの元よ)
「そうか。セバっちゃんは? アメリカを拠点にって。こっちで合ってはないが」
(あいつはお前と違って、英語しゃべれないだろう? 半年も経たずに、ホームシックで帰国)
「皆大変なんだな」
(お前はアメリカで忙しそうだったからな)
「ああ、自分の事で精一杯。皆がどうなったかも全然知らなかったよ」
(それで言いにくいんだけど、俺たちマセマティックス、復活しようと思うんだ。ソロでも曲出したが、やっぱりバンドの方が性に合ってる)
「いいな。久々に俺もベースを持ちたいと思ってた所だ」
(1月4日、東京スーパーコロシアムを抑えた。ただすまん。その日はプロレスの試合なんだってな。さっき知った)
俺は息を飲んだ。プロレスの試合とバンド再結成コンサートの日が被った。やっと勝ち取ったタイトル戦。これまでの10年間、痛くも嬉しい日々が蘇る。集大成のつもりで挑むつもりだった。
(お前は解散してからアメリカで、プロレスラーになったんだもんな。活躍はよく知ってる)
「俺だけ、方向性が定まらなくて絶望していたときに連絡をもらったんだ」
(何言ってる、皆お前みたいになりたくていろいろやってたんだからな)
「そうなのか?」
(バンドに頼らず、我が道を行く。それぞれにジャーンの背中を見てたんだよ。お前はスーパースターになったんだ。とにかく残りのメンバーで再結成するよ。今日はその許可をとろうと思ってな)
俺だけが気づいていなかった。捨てられたと思ってたが、皆は俺がバンドを捨てたように思ってた。違う、違うんだ。
「ま、待て、俺も参加する。マセマティックス再結成。参加させてくれ」
(いいのか? 大事な試合なんだろ?)
「何言ってる、バンドって最高だろ?」
(ああ、バンドって最高だ)
了