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第5話

 濡れてるうちに。学生はそんな言葉を聞いて、何じゃそりゃ、と思う。学生の目には、それは確かに実体化しているにも関わらず、やっぱり靄のようなものに見えたのだ。

 雲のようなものなのに、濡れてるも何も。

 だが目の前の二人は、真面目にそんなことを話し合ってる。

 そんな二人の会話が聞こえたのかどうなのか、蛾妖は、大きく羽根を広げると、不意に飛び立とうとした。

 あ! と学生は小さくうめいた。燐粉が、ほんの少し目に入ったのだ。反射的に目を閉じる。幸運にも、それは片方だけだったらしい。だが入った方に、焼け付くような痛みを感じる。この痛みは、現実だ。

 目から涙がぼろぼろと流れた。

 蛾妖はそのまま、ふわりと舞い上がった。はるは涙を流す学生と、蛾妖の姿を交互に、確かめるように見ると、彼に向かって、苦虫を噛みつぶしたような顔で、あごをしゃくった。

 仕方ねえな、とつぶやくと、彼もまた、舞い上がった。


「下ろせばいいんだろ!」


 頭上で声。涙をぼろぼろ流しながら学生は、自分を追いかけた黒い妖の声を聞いた。


「そうや! とっとと下ろして来!」


 はるもまた、声を張り上げる。そして手を胸の前まで上げると、何やら口の中でつぶやき始める。

 何と言ってるのだろう、と学生は聞き耳を立てる。だがその言葉に聞き覚えはない。少なくとも、それまではるが喋っていた関西弁もどきではない。

 いやそうではない。

 少なくとも、それは日本語ではない。

 そして学生は目を見張った。はるのかざした両手の間から、オレンジの光が丸く、浮かび上がったのだ。

 一方、空へと舞い上がった彼は、次第に速度を上げて何処かへ飛んで行こうとする蛾妖に追いついた。


「と待てよ、と」


 素手で、その羽根を掴む。だがすぐに彼は熱い鍋に触れた時のように、それを離した。手に、細かい棘を刺したような痛みが走る。やべえ、と彼は思った。

 素手で羽根を持ってはいけない。ではどうすればいい?

 彼は蛾妖よりやや上に舞い上がる。蛾妖はそんな彼にはお構い無しに、何処かへ飛んで行こうとする。

 何処へ行くのだろう?彼は同じ速度で飛びながらも、蛾妖から目を離さない。複眼は真っ直ぐ何処かを向いている。鳥の一枚羽根のような触角もまた、空気圧こそ感じているだろうが、びん、と立っている。

 明らかに何かを目指しているのだ。彼は顔を上げ、自分と蛾妖の向かう方向に視線を向ける。

 そこには、光輝く繁華街があった。一時期は真っ暗な夜を形作ったこの都市も、講和条約、そして特需と言った一連の政治経済の変化以来、また昔のような……いや、それとはやや違った華やかさを生み出しつつある。

 尤も彼は、この国の繁華街の、戦争前の賑わいなど知らないので、それを比べる術も無い。

 だが、彼の中で何かが弾けた。

 何か…… そうか!

 羽根のある虫は、光のある方に引き寄せられる。だったら街灯の光から逃げ出すことはないかとも思わなくはないが、遠くの、大きな光の気配は、飛び出したばかりの蛾妖の感覚を狂わせたのだろう。

 こりゃまずい、と彼は思った。こんな奴が、繁華街なんか飛び出したら、パニックになる。それこそ、先頃封切られた映画「ゴジラ」ではないが、どんなことが起こるか判らない。

 ああまずい、まずいぞ。

 彼は再び速度を上げ、高度を下げた。

 そして蛾妖の背後にそっと回る。羽根の広がりを押さえ、その羽根が上下するのを巧みに避けながら。

 はためくたびに、燐粉がきらめきを伴って飛び散る。目に入らないように、薄目になるので、目的のものに手を伸ばすのが大変だ。なかなか焦点が合わない。


「せっ!」


 そして彼は両手を伸ばし、それを掴んだ。掴んだと同時に、彼はくるりと前方に一回転した。

 掴んだのは、大きな二本の触角だった。彼はそのまま二本を片手に持ち変えると、ぎゅっと握りしめて、いきなり速度を上げた。

 背後で何やらばたばたと音がするが、構ってはいられない。

 悪いな、と彼は心の中で小さくつぶやく。だけどここはお前の居心地のいい世界じゃないんだよ。

 何処をどうやって、この世界に紛れ込んだのかは知らない。

 だが、はるが言うように、居るべき世界があるのなら、多少強引でも、返してやりたい、と彼は思ったのだ。

 ……ちょっとばかり強引すぎる気はするが……

 実際強引なんだろう。蛾妖は、口を伸ばして、必死の抵抗を試みようとする。それが腕に巻き付こうとしていた。彼の背筋に一気に寒気が走る。悪いところにちょうど触れたらしい。

 そして彼は、ああこうしちゃおれん、とそばで見ている者が居たら、耳が痛くなるような勢いで元の場所の少し上にまで引き返した。


「避けろよ!」


 だが。

 ばさばさと音がした。来たか、とはるはつ、と顔を空に向けた。

 手の中のオレンジ色の光は、バレーボール位の大きさだ、と学生は推し量る。はるはそのバレーボールを、どちらかというと、砲丸投げの要領で、空に向けた。

 声が飛ぶ。それを合図に、彼は蛾妖から手を離した。オレンジ色のバレーボールは、真っ直ぐ、空へ向かって放たれる。それを見て、蛾妖は、光だ、と思ったのか、自分から近づいていった。

 バレーボールに蛾妖が触れた瞬間、それは、大きな丸い篭状のものに変化した。ばさばさと羽根をはためかせても、もう飛び続けることはできない。だがそれでも必死で蛾妖は羽根を上下させる。触角を震わせる。

 そしてバレーボールはゆっくりとそのまま降下を始めた。ばさばさとはためく羽根から燐粉が、バレーボールの光と相まって、まるであの最近出来た丸い回る広告塔のように綺麗だ、と学生は思った。

 何故か恐怖は失せていた。


「ごめんなあ」


 はるの目前までその光の球は降りて来る。その後を追うかのように、ゆっくりと彼の黒い翼も下降を始める。

 その場にそぐわないようなのんびりした声が、学生の耳に届いた。


「あん時はまだ、お前を帰す方法を知らなかったんや。忘れててごめんな」


 びく、と蛾妖の動きが止まったように、学生の目には見えた。


「さくらぁっ!! 耳塞いどれ!」


 はるは声を張り上げた。ちょうど地上に舞い降りたばかりの彼は、何が何だか判らないうちに、慌てて耳を塞ぐ。

 そしてまた、あの聞いたことの無い言葉が、今度は高らかに、その場に響きわたる。その言葉とも詠唱ともつかないような高低差の激しい声が、手を動かせない学生の耳に飛び込む。頭の芯がぐらんぐらんとする。

 はるはそのまま、右の腕を上げると、人差し指を立て、頭上に大きく円を描いた。その指先の走る軌跡は、蛾妖をくるんだバレーボールと同じオレンジの光を放つ。

 そしてその円は、ゆっくりと蛾妖の頭上へと移動した。


「*******」


 喉の奥から吐き出すような発音だ、と学生はくらくらする頭の片隅で思っていた。

 はるはそのまま、蛾妖のボールの下に手をかざすと、それを勢いよく、上へと放り投げた。

 オレンジ色のバレーボールは、同じ色の光の輪の中へと、吸い込まれて行く。学生は痛くないほうの目をいっぱいに広げる。

 入った瞬間、ボールは、その姿をこの夜の中から消しているのだ。

 まるで、その輪を通して、別の空間へと飛び出して行ったかのように。

 きらきらと、少しの燐粉だけを残して、蛾妖の姿が消えると同時に、オレンジ色の輪もまた、学生の目に残像を残して消えて行った。

 ふう、とはるはそれと同時に息を大きくつき、肩を落とす。


「さくら」


 そして彼の名を呼ぶ。名だろう、と学生も思う。何て姿に似合わない名だ、と思いながら、身体がやっと自由になるのを感じていた。何となく、あちこちの筋肉が痛い。

 はるは学生の姿にも目をくれず、壁にもたれ、脱力している彼に近づいた。そしてやや腰を落とし、その顔をのぞき込む。


「耳塞いでろって言うたやないか」

「馬鹿やろ、塞ぐって言っても限度があるんだ」


 しゃあないな、とはるはつぶやく。


「後でもちっとしっかり分けてやる」


 彼の首を抱え込むと、その唇を押し当てた。

 学生は、ようやく大量の涙とともに痛みが引き始めた目を大きく開き……凍り付いた。

 ……何やっとるんやこいつらはっ!

 それは、見ている学生のほうが、赤面しそうな程、深い、深いものだった。軽く合わせるような簡単なものではない。明らかに、相手の中に入り込んで、その感触をも楽しむような、そんな深いものに……少なくとも、学生には、見えた。

 何やこいつらは。

 そして再び、そんな問いが学生の中に飛ぶ。行われてるのが、明らかに接吻であるから、一瞬忘れていたが、少なくとも、片方は妖なのだ。


「お、おいっ!!」


 学生は声を張り上げる。だがそんな悲痛なまでの声が聞こえるのか聞こえていないのか、目の前のラヴシーンは続いている。

 ……ラヴシーンだろうか…… と言えるのだろうか…… 学生の頭は混乱する。

 だがさすがに理系学生だった。目の前にあるものは認めるしかないのだ。

 そして一度認めると、今度は好奇心の方が、むくむくと湧いてくる。何なんだこいつらは。


「おい聞いてるんかっ!!」

「う~る~さ~い~な~」


 はるは目を半ば閉じ、これぞ不機嫌、という顔で彼から顔を離し、学生の方を向く。


「邪魔せんといてくれや」

「邪魔って……あんたなあ」

「まあな」

「せっかく生気を補給しとるんやで? まあええか。とりあえずうちまで保てば。立てるんかさくら?」

「まあな」

「ほな、帰ろか。……と」


 そう言えば、こんな人いたなあ、という目つきで、はるは立ちすくむ学生を見る。


「そういや、何や目、押さえてたなぁ。痛いんか?」

「い、いや、もうそれほどでも無いけど」


 そう言った瞬間、学生の腹が、安堵のせいか、大きな音を立てた。


「何やあんた、腹減ってるんか?」


 う、と学生は喉の奥から声を出した。はるはそれを見て、にやりと笑う。


「もしかして、あの掛け軸を売って金にでもしよかと思ったんか? あかんあかん、あんなもの売れんで」

「別に売れへんでもええねん、とりあえず質に入れられれば」


 無理無理、とはるは手をひらひらと振る。無理か、と学生はがっくりと肩を落とした。するとまた、腹の虫が泣いた。はるは腕組みをしながら、ちら、と彼の方へと目を向ける。確かにもう大丈夫そうだった。ふらりと立って、羽根もしまい込んでいた。


「ま、ちっと家に寄って行き」

「おいはる……」

「鍋にカレーを作りすぎてなあ」


 カレー!と学生の目が輝いたのは言うまでもない。



「おかわりっ」


と声が響いた。

 尤もこれはあの続きの夜ではない。それから数日経ったお昼どきだった。

 あれから、あの理系学生……南町君、と名乗った…はちょくちょく彼らの家に来るようになっていた。いや、正確に言えば、ごはんを食べに来るようになっていた。朝はさすがにそういうこともないが、昼や夜はわりと偶然を装って来ることが多い。無論見え見えなのだが。

 何だかなあ、と思いつつも彼は、家主がそれをよしとしているようなので、よしとすることにしていた。

 意外なことに、彼もまた、この「南町君」に対しては初めから嫌いにはなれなかった。当初驚かれ、化け物呼ばわりされたにも関わらず、だ。

 むしろこの、どう見ても「人間じゃねえっ!」二人の家でばくぱくごはんを食っていくこの根性はなかなか面白いものがある、と思っていた。

 少なくとも、あのはるの昔なじみよりは、食卓を囲んでいても、気楽である。

 そんな彼の内心を知ってか知らずか、はるはその日の食事当番である彼に向かって、本日のお昼に対する感想をぶちぶちと口にする。


「ちょっと今日辛すぎやないか? みそ汁」

「ええっ!! そうかぁ?」


 思わず彼は、もう一人の食卓の参加者に顔を向ける。


「や、俺はなかなか美味いと思うで? 名古屋の味噌やろ? これ」

「赤だしか…… ならしゃあないな」


 そしてわざとらしくずっと音を立ててはるはとうふとなめこ入りのそれをすする。飲み干すと、それは丸いちゃぶ台の上にとん、と音を立てて置かれた。


「やけど南町君、キミ関西の人やのに、名古屋の味平気なんやな」

「や、高校が名古屋やってん。薄味も好きやけど、これはこれやし」


と箸を片手に南町君が言いかけた時だった。


「やあお昼ごはんですか」


 開けっ放しにしていた縁側から、声がしたので三人は一斉にそちらを向く。


「ああ山田さん」

「お邪魔してしまったようですね」

「良かったら、山田さんも如何です? 今日はとうふとなめこのみそ汁に、イカシュウマイですが」

「イカシュウマイですか。珍しいものを」

「いや、家庭雑誌で見て美味そうやったんで、こいつに作らせたんですわ。お昼はどぉです?」

「済ませてきましたが、シュウマイには興味がありますね」


 そして山田青年もまた、縁側から居間へと上がり込んだ。いつものように着物をさらりと着こなし、穏やかな笑みを浮かべ、ちゃぶ台の周りにつくと、実に自然にその指は普通よりやや白いシュウマイをつまみ上げ、ほんの少し醤油につけた。


「ふむ。これは美味い」


 まるで絵や骨董の値踏みをする時の顔のようだ、と彼は思う。

 実際、最近この隣の隣の隣の山田青年は、蔵の中のものを見せていただきたい、昼間ちょくちょくこの家にやってくる。

 蔵の中身は、この山田青年にとっては、お宝の山、と言ってもよいらしかった。穏やかな笑みが、その瞬間、実に晴れやかな笑みへと様変わりするのだ。


「いや~いい仕事してますね~」


 そしてそう言いながら、山田青年の指は一つ二つ、二つ三つと、シュウマイをつまみ上げる。南町君が一つ食べてはごはんに手を出し、とやっていると何やらどんどん無くなっていくかのようだった。ようやくそのテンポが、山田青年がごはんを食していないせいであることに気付いた時にはもう遅かった。

 だが平然とした山田青年は、美味しかったとばかりに指を懐から出したハンカチでぬぐい、その日の本論に入った。


「ところではるさん」

「はいな?」


 はるはぬっ、と手に余るくらいの大きい湯呑みをぐっと前に突き出す。彼はそれを見ると、土瓶を手にし、こぼこぼと音を立てて茶を注いだ。見事な連携プレーや、と何となしに眺めていた南町君は箸をくわえながら感心する。だが自分がそれを黙ってしたら、後が怖いのは判っていたので、南町君はお願いだから俺にもお茶欲しいな、とか言葉を加える。


「実は先日お預かりした絵のことなんですが」


 山田青年は自分にはなかなか茶が出ないことに気付いているのかいないのか、話を切り出した。


「何ですか?」

「はぁ」

「ほぉ」

「実はあの絵に心当たりがある、という方がいらして」


 何やろな、という顔ではるは首を軽く回す。


「と言うか、ずっと探していたものらしい、というのですよ」


 そして茶をず、とすする。


「その方は磯野さんとおっしゃるのですが」

「何、サザエさんの家?」


 こほん、とはるは片眉を上げて彼に向かって咳払いをする。いえいえ、と山田青年は、手をひらひらと振った。如何にも気にしてませんよ、と言いたげに笑みを浮かべている様子が、彼にはややかんに障るのだが、まあこの場ではさすがに彼も口にはしない。尤も顔には出ているのだが。


「無論日本は広うございますので、そんな名字の方もおられるのですよ。ちょっとした知り合いで、以前から探している絵があるとおっしゃるのです……」

「で、見せてみたんや」


 南町君が口をはさむ。ええまあ、と山田青年は言葉をにごした。


「できれば今度、持ち主に一度お会いしたい、とおっしゃってましたがね。如何なものでしょう?」

「ええんじゃないですか?」


 間髪入れずに、はるは答えた。南町君は、彼の顔が次第に険悪なものになっていくのに気付き、やや背筋が寒くなるのを覚えた。

 それに気付いたのか気付かずか、はるは南町君ですら一瞬どきりとするほど、にっこりと完璧な笑みを浮かべると、空いた湯呑みをとん、とちゃぶ台の上に置いた。それをちら、と見、次に土瓶を持ち上げ、その中が空であることに気付くと、彼は黙ってその場から立ち上がった。

 はるはそのタイミングを見計らったのか、山田青年に向かってその笑みを向ける。


「そぉですね。いつでもおいで下さいと」


 山田青年は苦笑を浮かべる。どうもはるの背には、逆さに立てたほうきの姿が浮かんでいるように山田青年の「良くない目」には映った。


「あれ? 誰もいねーじゃないか」


 彼が土瓶に茶の葉と湯を入れ替えて戻った時には、山田青年も南町君もその姿を消していた。


「用も済んだことだしなぁ。皆忙しいんやろ」


 そう言いつつ彼は今朝来た新聞を床に広げると、身体を折り曲げるようにして、頬杖をつきながらそれを読む。

 ふうん、と彼は納得したようなしないような顔のまま、土瓶から湯呑みに茶を注ぐ。 はるはそれをちら、と横目で見ると、ゆつくりと身体を起こした。


「何や、言いたいことあるなら言ってみ」

「言いたいことなんて」


 彼はあえてはるから目をそらしながら茶を注ぐ。湯気がゆっくりと立ち上り、入れ替えた茶の香りが、辺りに漂う。ほれ、と彼ははるの前にそれを置く。

 はるは黙ってそれを受け取ると、一口すする。先ほどまでの喧噪が嘘のように、部屋の中も外も穏やかだった。


「……あの絵なあ」


 そしてとうとう彼の方が根負けした。何、と平気な顔ではるは湯呑みの中に反響させた声で問い返す。


「いいのか? そんな相手と会って…… あれはお前なんだろ?」

「言うたやろ? 俺や」


 はるはそれがどうした、と言外に含める。さすがに当の本人にそう言われてしまっては、彼も何も言えない。


「同じ名や」

「え?」

「そうある名やない。たぶん身内か誰かやろ」


 あっさりと、実にあっさりとはるは言う。別に俺は心配はしていない、と彼は思う。思うのだが。


「何や、元気なさそやなあ」


 気がつくと、はるが自分の顔をじっとのぞき込んでいる。大きな、焦げ茶色の、深い、深い、瞳。


「そぉいえば、こないだ、南町君がごはんに来たからちゃんと生気を補給してやってなかったな」


 そういうことじゃなくて。


「ごめんなぁ」


 そう言って、はるは彼の頭を抱え込むと、唇を合わせる。聞きたいのは、そういう言葉ではないのだけど。

 障子が、風もないのにひとりでに閉まる。いや、風があっても、そういう動きはしないだろう。一度顔を離したはるは極上の笑みを浮かべる。

 まあいいや、と彼は思い、目の前の相手を抱きしめた。

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