「あーやだ! もーやだ! なんなんだこいつは」
隣にいる
「もーやってらんねえ!」
悪態をつきながら激しくキーボードを連打する。
俺はキーボードが壊れるんじゃないかと心配した。
「どうした?」
「見てくれ、これを」
藤平の鬱憤を代弁するかのようにものすごい勢いでプリンターが紙を吐き出す。
俺はプリントアウトに目を落とした。
《ひよこが寒がっていたので電子レンジに入れて暖めてやろうとしたら、破裂して死んでしまいました。どうしてくれますか》、とあった。
文面ににじみ出る理不尽な主張に唖然とし、非常識な飼い主によって命を絶たれたひよこの短い生涯に涙を誘われた。
「おまえ、なんて回答したんだ」
藤平は再びキーボードを迫害する。こいつのキーボードはもうすぐ壊れるだろう。
再びプリントアウトが猛烈な勢いで吐き出される。
《平素より弊社製品をご愛用いただき、ありがとうございます。お問い合わせの件につきまして、ご案内申し上げます》、という常套句で始まり、《取扱説明書に記載されておりますとおり、弊社の電子レンジは調理以外の目的にはご使用いただけません。お客様は注意書きをお見逃しになられたのではないでしょうか。今後は取扱説明書をよくお読みいただき、正しくお使いいただきますようお願い申し上げます》、とあった。
妥当な回答だ。『正しくお使いいただきますよう』は客の間違いを暗に責めているようなニュアンスがあるが、まあ許容の範囲内だろう。
俺は藤平の対応を支持した。
ちなみに藤平信平は、名前を逆さに並べると平身低頭と同じ読みになる。まさにお客様相談センターに配属されるために生まれてきたような男だ。
「だが、これを見てくれ!」
とうとう、エンターキーのキートップが外れて宙に舞った。
《取扱説明書の隅々まで目を通しましたが、ひよこを入れて暖めるなとは書いてありませんでした》
そうきたか~
「昔、アメリカで濡れた猫を乾かそうとして電子レンジに入れた婆さんの都市伝説があったな」
「猫チン事件か。取扱説明書には動物を入れるなと書いていなかったということで訴訟したら、婆さんが勝ったという話だろ」
「あれは事実じゃない。アメリカの訴訟社会を揶揄したブラックジョークだ」
「こいつはそれを真似て訴訟に持ち込もうとしているのか」
藤平の表情が強張っている。そんな事態は歓迎できない。客への対応の不手際から、ことが大きく喧伝され会社が社会的バッシングを浴びようものなら、社内における肩身の狭さは猫の額なみになる。
「模倣犯か」
藤平は猫チンに過剰な反応を示した。
「落ち着け。まだこの客の動機や目的がはっきりしていない。愛するひよこを失った悲しみを訴えたいだけかもしれない」
「訴える?」
藤平が真っ青な顔をして目を吊り上げた。
「訴える」という言葉に過剰な反応を示したのだ。かなりテンパッているようだ。
「客の名は?」
「
「名は体をあらあわすというが、あまり、いい名前じゃないな」
俺は率直な感想を述べた。
「五利忍様は、どうしてほしいという要求まで言及していないが、執拗な性格なのは間違いなさそうだ」
ウチのホームページは非常にわかりにくい。
お客様相談センターに問い合わせメールを発信してきたというだけでも、五利忍が相当な暇人か執拗な性格だということがわかる。
なにしろ、ホームページで問い合わせを送信するページに行きつくのは伝説のロールプレーイングゲーム「ウィザードリィIV ワードナの逆襲」をクリアするよりも難しいからだ。おそらく千人に三人ほどしかたどりつけないのではないかと言われている。
我が社では客とのやりとりはすべてインターネット経由に限定されている。
問い合わせをするためには、迷宮のようなホームページを攻略し、問い合わせページを見つけるしか方法がないのだ。
五利忍は千人に三人の執拗な性格の持ち主か、問い合わせページに偶然辿りついた強運の持ち主か、どちらかということになる。
藤平の声が一オクターブ跳ね上がった。
「信じられん!」
俺に向けられたパソコン画面上のメールを指差さす藤平の指が液晶画面を思いきりへこませている。たぶん、このモニターは早晩、液漏れを起こして壊れるだろう。
五利忍からの返信だった。
《ひよこの葬儀をするつもりです。香典を送ってください。香典の額はお気持ちにおまかせします》、とあった。
さらに、《あなたのメールは非常に不愉快です。なぜ、お詫びの言葉がないのでしょう。あなたのメールにはあなたの会社の殺ひよマシンによって命を絶たれた私のひよこへの哀悼の意がまったく感じられません。私は、あなたの非情さをあなたのために悲しみます》
「金銭を要求してきたか」
「香典だと」藤平が憮然とした表情で答える。
対面で話しあえば、相手の表情や語調など視覚的、聴覚的情報からある程度、相手の要求を推し量ることができるのだが、メールではニュアンスが伝わりにくい。こちらからのニュアンスも同様だ。
そうした理由から、この部署に配属される社員は文学部出身者が多い。達意の文章作成能力を期待して採用されている。創業者である社長の意向によるものだ。
技術畑出身の社長は技術系特有の口の重さと対人接触感覚の鈍さによって、クレームに対して適切な対応ができず起業時、地獄を見たらしい。
非対面式のカスタマーサービス、迷宮化したホームページ、通販を行わず、電話番号や会社住所を記載しないのも、すべてそのためだ。
いまだに消費者庁からシステムの改善指示を受けていない理由はわからない。
社長は「お客様相談センター」などとそれらしい名称をつけ、社員に「CS」という言葉を連呼したが、それが「
「謝れというのか? 電子レンジにひよこを放り込んだ阿呆に」
藤平は憤然として言った。
「直接、頭を下げるわけじゃない。メールで申し訳ありませんでしたと書くだけじゃないか。五利忍様はそれで満足するかもしれん」
この期に及んで、口にするときはクレーマーを様づけで呼ぶ俺たちの習性が哀しい。
謝罪すると当方の非を認めたことになるから決して謝るな、などとクレーム対応の現場を指導する会社や組織がある。病院なんかがその典型だ。だが、いまどきそんなことで不利になることはない。
謝罪は相手の不満、不快に対して発したもので、提供した製品や役務に対してのものではないことをはっきりとわかるようにすればいいだけだ。
「だが、香典なんか出したらそれこそ、当方の過ちを認めたことにならないか」
「溺愛していたひよこへの弔意をあらわすだけでいいんじゃないか。ひよこの香典なんか会社は絶対に出してくれないからな」
藤平は唇をかみ締めてメールを睨みつけている。相手の理不尽な要求を一部でも呑むのが悔しいのだろう。キーボードの上で打鍵を拒むかのように滞空していた指が一打、一打、キーを叩く。
《五利忍様、このたびは弊社製品が五利忍様のご要望に適う機能を発揮できず、大切なおひよこ様を損なうようなことになってしまい、誠に申し訳ございませんでした。ここに、おひよこ様への哀悼の意を表し、ご冥福を深くお祈り申し上げます》
「んぎぎぎぎ」
歯軋りの音が室内に響いた。たぶん藤平の奥歯は早晩、擦り潰れるだろう。
結局「ひよチン」クレームは、藤平が五利忍様の自宅に出向いて、ひよこの仏壇に手を合わせることで片付いた。香典はポケットマネーから出したそうだ。やっぱり対面がイチバンなのだ。
「いくら包んだの」
「千七十九円」
「なにそれ」
「
「苦しいなぁ」
五利忍は単なる頓珍漢だったのだ。藤平の偽りの誠意を受け入れてこれ以上ことを荒立てないことを約束してくれたそうだ。
「ふひひひひ」
病んだ笑みを浮かべながら、藤平がS社の消費者サポートセンターにメールを送っていた。
《おたくの電子レンジで卵からヒナを孵そうとしたら爆発しました。どうしてくれますか》